ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

第175臨時国会が始まった

2010-07-30 19:58:55 | ときのまにまに
第175臨時国会が始まった。関心はそれだけである。ねじれている、という。それもどうでもいいだろう。いろいろなことが決議されたり、否決されたりするだろう。それもあまり関心はない。もう国会で何を議論しようと、何にも決まらなくても、どうでもいい。どうせ、碌なことには成らない。いい決議をしても、「有能な」官僚に骨抜きにされる。結局、国会議員よりも官僚の方がはるかに有能なのだ。ただ、彼らには「公僕」という意識は皆無で、霞ヶ関の利益だけしか考えていない。いつかの国会であれだけ官僚を批判し、国民から拍手喝采された仙谷さんも大臣になってしまうと美事に骨抜きにされてしまった。岡田外務大臣しかり、前原国土交通大臣しかり、あの長妻大臣にしても最近の発言は官僚の弁解に終始している。
私たちの国の官僚は、一人一人を見ると、非常に有能である。だれを取っても、官僚を辞めたらすぐにどこかの大学教授になれる。野党の議員になればそれなりに実力を発揮し、与党と論陣を張ることもできるし、与党の議員になれば、凄い論客になる。では、官僚時代の彼らはどうだったのかといえば、それなりに能力を発揮していた。ただ、官僚組織という組織においてその組織の利益を守り拡充するためにその能力を使っていたのである。それを、国益のため、国民のために使っていてくれたら、日本という国はどんなによくなっていたことだろう。
そんなことを考えていたら、国会での議論がつまらない猿芝居に見えてきた。どうせ「芝居」なら国民を「うん」といわせるような芝居をして貰いたい。アメリカに「ハイ、ハイ」といいながら、アメリカの裏をかくような「狂言」が見たい。確かに、吉田茂にはそれができた。彼は有能な政治家であったが、同時に有能な官僚でもあった。そのため、彼以後の日本の政治は官僚によって占領されてしまった。そこに彼の功罪の「罪」がある。

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