ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

3月18日(日)のFB

2018-03-21 09:20:04 | ツイッター
お早うございます。主の平和。3月18日、日曜日。今日の気温、2度、最高気温17度。今日は段々と雲が厚みを増すものの、日差しが届いてお出かけに問題のない天気。9時就寝。2回、熟睡。6時半起床。
体温:36.2度、血圧(132:86、88)。血液粘度:0.41、血液酸素:95%。体調:快調、チュンチュン

27Minae Moriwakiさん、Mabune Tatsuoさん、他25人
コメント
久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
礼拝が祝されます様にm(__)m
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されます様にm(__)m

小貫 ツマ お早うございます。主の平和!
やはりご自宅で過ごされるとご体調が宜しいようですね。でもお大事にお過ごし下さい。

Mabune Tatsuo おはようございます。
今日も主日礼拝を通して洗われ今週も主の教えに添って歩めますように!
アーメン。

文屋 善明·
終日パジャマのままで、過ごす。
午前に2時間、午後3時間熟睡。
夜、「男はつらいよ」を見て、9時に就寝。

23Minae Moriwakiさん、磯野 眞紀子さん、他21人

文屋 善明
お目覚めの花。「今日は大斎節第5主日、大斎節とは言え、主日ですから、少しは華やかに」。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物

34瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他32人
コメント
若月 新一 おはようございます。

Minae Moriwaki こんにちは。華やかですね~

文屋 善明
2018 日々の聖句 3月18日(日)
主よ、慈しみをわたしたちに示し、わたしたちをお救いください。(詩85:8)
恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた。(ヨハネ1:17)...
私の黙想:
今日の聖句、どこから何を黙想すべきか。単純であるが、私たちの祈り完全形である。他の翻訳もほとんど違いはない。ただ、岩波訳が最も丁寧に訳している。
「われらにお見せ下さい、ヤハウェ、あなたの恵を。そしてあなたの救いをわれらにお与えください」。
私が「慈しみ」という言葉を覚えたのは、日曜学校で「慈しみ深き」という讃美歌を歌った時である。
慈しみ深き 友なるイエスは うれいも罪も ぬぐい去られる
悩み苦しみを かくさず述べて、重荷のすべてを み手にゆだねよ
私にとって「慈しみ」とはこの讃美歌である。チョット、無理があるかな?
その意味では岩波訳、新改訳、関根訳の「恵」が分かりやすい。文語訳は「憐れみ」である。

31Minae Moriwakiさん、瀧本 直子さん、他29人
コメント
糸原 由美子 この讃美歌は葬儀にも結婚式にも用いられる「便利」なそして一般にもよく知られるメロディーですね。なぐさめられます!

文屋 善明 讃美歌中の讃美歌ですね。

糸原 由美子 「母君にまさる友や世にある」というのもありましたね。教会の方で早くお母さまを亡くされたかたの愛唱歌です。

井形裕子 この聖歌は、母のお気に入りです

文屋 善明
今日の名言:@Nietzschebotjp
誰にも一芸がある。いずれにしても、くじけず、たくましく、果敢に挑戦を続けていけば、自分の一芸がわかってくるはずだ。(『超訳 ニーチェの言葉より』006)
<一言>今日の言葉のミソは、誰でも初めは「自分の一芸」が分かっていない。だから、「何でも」なのだ。「自分の好きなこと」でも、いやいや「命じられたこと」でも、なのだ。それが「一芸」になるのだ。 

23Minae Moriwakiさん、瀧本 直子さん、他21人

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
去年のローズンゲンです。
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文屋 善明
2017 日々の聖句 3月18日(土)
わたしはこの地では宿り人にすぎない。(詩119:19)

わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピ3:20)

私の黙想:
今日の聖句、「すぎない」という言葉は余分であろう。口語訳では単に「わたしはこの地にあっては寄留者です」で、「すぎない」というような価値観を含む言葉はない。他のどの訳を見ても、そんな言葉はない。ただ単純に事実を述べており、言い換えるとそういう生き方を「わたし」はしているという。この点を外してしまうと、この言葉にいろいろ説明を加えなくてはならなくなる。
私はこの言葉を読むとき、ヨハネ8:23のイエスの「わたしはこの世に属していない」という言葉を思い起こし、さらにポンテオ・ピラトの前では「わたしの国は、この世には属していない」(18:36)と宣言するイエスを思う。これがヨハネ福音書が描くイエスの生き方の核心部分にある。その上で、弟子たちに対しても「あなた方は世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」(ヨハネ15:19)といい、そして復活したイエスが弟子たちに語ったのは「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(20:21)という言葉である。
イエスがそうであったと同様に、全てのキリスト者は「この世には属していない。いわば、この世は「派遣先」である。
この「派遣」ということがキリスト者の生命線であるが、これをもっとも端的に示しているのが教役者である。だから、私は教役者の派遣制度にこだわる。ここまで書いたらどうしても、次のことも書かねばならないだろう。
私が若い頃属していたホーリネス教団では、毎年春に「年会」が開催され、その最終日に「教役者の任命式」が行われる。そのとき、全ての教役者は緊張する。実は、任命表はそこではじめて読み上げられ、その1年の任地が決まる。それには逆らうことはできない。もちろん、突然の異動もある。そういう場合には、会場からどよめきが起こる。この任命表は「総理」だけが単独で作成される。前日に変更されることもある。それまでの功績とか人間関係等は一切考慮されず、総理は祈りの中で決定すると信じられていた。
私にとって派遣制度とはそういうものである。ただし、「任地」は教会であって、「地」という言葉がふさわしくない。だから牧師は教会へ派遣されたのであって地域に派遣されているという意識が非常に少ない。その点、聖公会では「教会」への派遣というよりもパリッシュへの派遣であり、それは地域社会への任命である。派遣された聖職は、教会だけに仕えておれば良いというわけではない。地域に仕えなかればならないが、その地域には属さない。これが聖職者の生き方である。

8磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他6人

文屋 善明
政治は腐敗しやすい。官僚制度は政治から一歩離れていなければならない。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、テキスト
‎Masato Mizutani‎ ― FB憲法九条の会

今朝の東京新聞電子版「こちら特報部」から。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2046284368721338&set=gm.1095301550611904&type=3&theater

「本音のコラム」
「公共教育—山口二郎(法政大教授)」
「…政権に歯向かった前川氏が公立学校で授業をしたのは一大事と騒ぐ御殿女中のような官僚が公共教育を監督するなど、噴飯ものである」。

「御殿女中」とはまさに(笑)。情けない。

17文屋惠さん、佐藤 彰子さん、他15人

文屋 善明さんが投稿をシェアしました。

梁取 洋夫
鳩山由紀夫さん(元首相)のTwitter

学校の社会の授業で三権分立と教えているのだろうか。立法府の長と発言した総理の意向を忖度して公務員が公文書を改ざんしたり、総理に不利な発言をさせないために籠池夫妻を不当に長く拘留したり、行政も司法も立法も総理一人に従属している。とても先生は生徒に三権分立と教えられないではないか。

11文屋惠さん、櫻井 啓子さん、他9人

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