ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

親バカ 2003.9.1

2003-09-01 10:09:25 | 嫩葉
「親バカ」にはユーモアがあり、温かい愛を感じる。わたしは「じじばか」と言われるとき、開き直りとも取れる態度を示すことにしている。ところが、これが逆になって「バカ親」となると子どもにとって悲劇になる。
「バカ」ということについて論じることは非常に難しい。つねに、お前はバカではないのか、という単純な反論が予想されるからである。つまり、バカの相対化の問題である。バカにつける薬はないし、バカについて論じることはバカげたことである。ところが、今年になって、2冊もバカに関する本が出版され、夏には読者界を独占した感があった。(少しおおげさか?)一つは、勢古浩爾著「まれに見るバカ」(洋泉社)で、もう一つは養老孟司著「バカの壁」(新潮新書)である。
勢古さんは、彼独自の「バカ論」を展開する上で、まず自分のことを「当然わたしはバカではない」という論点に立って論じている。この視点から、現代日本の有名無名の人物をメッタ切りにする。多少羽目を外したり、主観的すぎる点もあるが、「わたしはバカだなぁ」と思いつつ、多くの人は共感するのではなかろうか。
養老さんの「バカの壁」は、解剖学(医学)の専門家(東京大学医学部名誉教授)という立場から、特に脳の働きを素人にもわかるように説明しながら、人間の知的限界を「壁」として、それを認識しないことを「バカ」と規定している。非常にタフな論述で、説得力は抜群である。
ところで、この「バカの壁」の第7章で、養老さんは「教育の怪しさ」と題して教育論を展開している。これを発展させて、今年の8月末、「養老孟司の<逆さメガネ>」(PHP新書)が出版された。これは面白い。彼は東京都内の私立保育所の理事長でもあり、幼児教育について現場の教師たちとの交流、園児たちとの関わりの中から生まれた「教育試論」である。園長として、言いたくても言えないことが、東大名誉教授という肩書きから「堂々と」言っている。しかも、その口調は後半くらいからだんだん「落語調」になってくる。西大和双葉幼稚園の教師・保護者にはぜひ読んでもらいたい。
論点は二つ。子どもは自然であるということ、人間は変わるということ。この二点が、現在の「情報化社会」においては逆転している。だから「逆さメガネ」をかけないと本当の姿が見えてこない。いや、現代ではほとんどすべての人間が「都市化万歳」という「逆さメガネ」をかけているので、子どもは「人工的」になり、教育とは人間の成長(変化)を目指すものではなく、単に情報を増やすだけの営みになっている。                          (園長・牧師 文屋善明)

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