ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 3/1

2012-03-02 05:54:49 | ツイッター
お早ようございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。昨夜は「女三代如月法律事務所」を見て11時に就寝。今朝は7時に起床。次週の説教の仕上げ、「自分を捨てる」と「自己の十字架」との関係について再考し、書き換え、修正する。これでスッキリした。体調快調。チュン、チュン
posted at 07:13:56

#losungenj 03.01(thu) この神は世々限りなくわたしたちの神、死を越えて、わたしたちを導いて行かれる。 (Ps48:15) 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。(Heb10:28)
posted at 07:22:22
#losungenj 私の黙想: この「死を超えて」とは「世代を超えて」という意味であろう。古代ユダヤ人の神殿信仰には民族としての永遠性が含まれている。彼らの信仰の強さはここにある。まさにこれが個別的生命を超克する「永遠の生命」であろう。ここで「自爆思想」の根がある。
posted at 07:27:54

今日の名言: RT @Iwanamishoten:
人はパンのみにて生くものにあらず,されどまたパンなくして人は生くものにあらず。(河上肇『貧乏物語』)
<一言>そうかイエスの言葉にこの言葉を付け加えたのは河上肇だったのか。これこそ聖書に対する最高の読み方であり、解釈である。
posted at 08:40:56

「昨日のツイート 2/29」をブログにアップしました。 http://t.co/FHuvxq8h
posted at 08:41:45

ともかく事態が分かりホッとしています。しっかり静養して、また元気な「声」を聞かせて下さい。@Facata_romance RT : Selamat malam ☆彡 気がついたら、今日から3月だった…
posted at 20:36:05

<FBより>
門叶 国泰 日時: 2012年3月1日 8:50 ·
今日のローズンゲンは、詩編48:15です。新共同訳「この神は世々限りなくわたしたちの神、(死を超えて、)わたしたちを導いて下さる。」
ローズンゲンテキストは( )内を省略している。これは、スペースの問題ではなく、( )の解釈が分かれるから意図的に省いたのであろう。
マソラ原文は:「アル(の上に)+ムート(死)」となっている。 直訳は「死の上に」
写本によっては(BHSの注):「アル」と「ムート」を分けないで「アルムート」となっている。原意は「young woman」であるが、転じて「代々」「永遠に」と訳される。これを「幼少期と解する者もいる(カルヴァン)。」
LXXは:「εἰς τοὺς αἰῶνας(for ever)」と訳している(BHSの注)。
よって、英訳・日本語訳の翻訳は分かれる。
1)マソラによる翻訳:KJ・Amplified「until(unto) death」 文語訳「死ぬるまで」
2)LXXによる翻訳:RSV「for ever」 NEB「eternally」 新改訳・口語訳「とこしえに」
フランシスコ会訳「代々にわたって」
3)両方併記:New American Standard「until death or forever」
4)中間:New International 「to the end」
雑感:新共同訳の「死を超えて」との解釈は極めてユニークであり、これまで調べた範囲では他に類を見ない。「死後の世界」に踏み込んだのだろうか? 
対する新約はヘブライ10:23「約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかりと保ちましょう。」「公に言い表した希望」と訳されている箇所の直訳は「希望の告白」である。

文屋 善明 日本語のローズンゲンでは「死を越えて」は明記されている。ここまで詳細に語義を明瞭化すると私自身の解釈の問題点も明らかになる。私は単純に新共同訳に基づいて黙想した。

臼田 宣弘 「死後の世界」に踏み込んだというのは、あり得ると思います。

文屋 善明 「死後の世界に踏み込む」と「世代を越える」のとは意味が異なると思う。

門叶 国泰 原意が「on,upon」である「アル」を、何故ここまで踏み込んで訳したのか、しかも、英訳・口語訳がすべて「until or unto death」「とこしえに」であることを承知の上で。新共同訳略解は「ヘブライ語本文は明確にアル・ムートと記している(石川立)」と妙に強調しているので、益々気になります。やはり、「死後」に踏み込んだのか、あるいは、単に「世代を越えて」と言う意味なのか!?

文屋 善明 むしろ、この問題は語句の解釈の問題ではなく古代ユダヤの思想の問題として「死後の世界」という発想が何時成立したのかという視点から読み取る必要があるように思います。この詩編の成立年代の問題とも関わると思います。

門叶 国泰 詩篇の翻訳担当は、「カソリック」では?石川立氏はプロテスタントの筈。関係ないかな!
16時間前 · いいね!

門叶 国泰 文屋先生:同意!その意味で、新約側から踏み込んだのでは?との疑問です。48編の時代には「死後の世界観」が存在したのか、私の不勉強が出てしまっています。

門叶 国泰 新共同訳略解の注解者は「石川立氏」ではなく「飯健氏」でした。飯氏もプロテスタント。

臼田 宣弘 木田献一先生の「詩編を読む上」によれば、42~46はマカバイ時代のものとされます。残念ながら下巻がなく、上は46編で終わっているので47編以下がわからないのですが、流れからすると48遍もマカバイ時代のものとされているのではないでしょうか。

文屋 善明 マカバイ時代だとすると十分「死後の世界」の思想は成立している可能性はあると思いますが、いかがでしょうか。

門叶 国泰 臼田先生:文屋先生:有難うございました。新共同訳が「読み込んだ」と考えたいと思います。錚々たる方々が敢えて訳し変えたのですから。イザヤ25:8「主はとこしえに死を滅ぼし」の辺りに死後観の萌芽がある、と考えて宜しいでしょうか?一度は整理して置きたいと思ってはいたのですが。

<補遺>
3月に入った。3月はかなり忙しい月になりそう。3月は3回礼拝奉仕。早速貴志から電話、今日来訪する予定。9日に京大発表。4日から中旬まで孫息子、中旬から娘と孫娘が来る。賑やかになりそう。体調を整えておかねばもたない。iPad3の発売はいつからだ。




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