ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 12/12

2017-12-13 09:46:07 | ツイッター
お早うございます。主の平和。12月12日、火曜日。宗像市は気温2度、最高3度、今日は日差しが届いても雪が降ることがあります。風が冷たく手昼間も気温は上がらない。10時半就寝、5時起床、夜中にトイレ3回。足の甲が痛み23時に薬を貰う。痒みはまだ治らない。体温:36.8、血圧(121:81、79)。体調:昨晩は熟睡感あり。チュンチュン

38 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他36人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
そちらは、まるで冷蔵庫の中のような気温ですね。
こちらもとても寒い朝です。(早朝お手洗いに行った際に暖房を入れておいたのですが、余り暖まっていません。)晴れ時々曇り、最高気温は8度の予報です。お守りとお支えをお祈り致しておりますm(__)m

Mabune Tatsuo おはようございます。
今日も主にあって守られますように!
アーメン。

東山 富昭 おはようございます😃。今日は、冷たいです。先生のことを、お祈りしています。15日に年金が支給されるまで、間食等は、我慢しています。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。よろしく、お願いします。

Izumi Nara 日本列島が冷たくなりましたね。

文屋 善明
昨日 5:18 ·
昨日の日誌
早朝に採血、その結果は芳しくない。午後から家内と息子が来てくれたのでシャワーを浴びる。気持ちが良い。マルコの超超訳順調に進む。
よる、「天才少年」、報ステを見て10時半に就寝。

31 Mabune Tatsuoさん、瀧本 直子さん、他29人
コメント

中尾 ケトラ 香鶴子 · 共通の友達: 町田 勝彦さん、他10人
先生、ゆっくり療養してくださいね。必ず治ると信じてお祈りしています。

文屋 善明さんが写真2件を追加しました。
昨日 5:25 ·
お目覚めの花。我が家のサボテンも花が咲いているとのこと。病院から入院時と11月分の請求書を頂いた。かなりの出費だけど、かかったのだから仕方がない。(これは去年撮影)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、空、屋外、自然
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然、屋外

39 瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他37人
コメント
岩城 真紀子 医療費は本当にこたえます。

Izumi Nara かかった費用はそれなりに戻るでしょう。

矢野 寛子 今頃?我が家では咲くとしたら、初夏です。先生の回復を願って咲いたのかもしれませんね。

文屋 善明
昨日 6:04 ·
2017 日々の聖句 12月12日(火)
わたしの舌はあなたの仰せを歌うでしょう。あなたの戒めはことごとく正しいのですから。(詩119:172)
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイ3:16)
私の黙想:
「あなたの仰せ」、あなたが口に出して喋ったこと。ずいぶん変わった言葉をついかったものだ。口語訳では単純に「み言葉」。これを「あなたの仰せ」となると、むしろあなたが発せられた御言葉をほとんどオウム返しに私の舌が動く、というニュアンスが強くなる。あなたの語られた言葉が、正しいがどうか、よく考えて、良し「正しい」と判断したのでそれを歌う、というのではなく、あなたが言われたことは間違いないのでほとんど機械的に、ほとんど無反省に、あなたの言葉を私は口に発している。そこでは私の言葉なのか、神ご自身の言葉なのかももう区別されない。あなたの言葉が私の言葉であり、私の言葉があなたの言葉だというニュアンスが前面に打ち出されている。
長い長い「御言葉賛歌」である詩119編の最後の大合唱のような響きがここにある。

26 磯野 眞紀子さん、菊池 泰子さん、他24人

文屋 善明
23時間前 ·
「昨日のFB 12/9」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8 安井 郁夫さん、Izumi Naraさん、他6人

文屋 善明
23時間前 ·
「昨日のFB 12/10」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 磯野 眞紀子さん、岩城 真紀子さん、他9人

文屋 善明
23時間前 ·
今日の「折々のことば」で取り上げられている、「子供の貧困」の問題は、自由競争社会では決して救済・解決は望めない。まさに、この問題こそ、コミュニティにおける「共存共栄」が問われている。そのためなら、社会が収縮しても良いではないか。大人の世界における貧富の格差がそのまま子供の貧富の格差になるなんて言うことは、「恥ずかしいこと」なんだと言うことが一般社会における常識にならなければならない。アベさんを初めとして政治家2代目、3代目にそれが分かるかな。
自動代替テキストはありません。

26 磯野 眞紀子さん、文屋惠さん、他24人

文屋 善明
16時間前 ·
全人類が心して読むべき講演です
画像に含まれている可能性があるもの:1人
大脇 友弘
18時間前 ·
ノーベル平和賞 サーロー節子さん演説全文

(身が震えるような演説をコピペしておきます、どうぞシェアしてください)

東京新聞 2017年12月11日 夕刊

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1559470694132821&set=a.199256020154302.50635.100002097172160&type=3&theater

写真:ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん=10日、オスロで(共同)


 十日オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。 

      ◇

 両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない

 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

▼叫び声聞こえた

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

 このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない

 その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

▼終わりの始まり

 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって

 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 (オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる

29 磯野 眞紀子さん、丹羽 一二さん、他27人

文屋 善明
14時間前 ·
「昨日のFB 12/11」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

8 岩城 真紀子さん、Izumi Naraさん、他6人

文屋 善明
14時間前 ·
これがアベの正体だ。

偽りだった“拉致の安倍” 横田早紀江さんの手紙を2年無視|日刊ゲンダイDIGITAL
 11日、「希望の党」の松原仁氏と中山恭子氏の2人が、安倍首相に拉致被害者救出に向けた申し入れを行った。2人は拉致...
NIKKAN-GENDAI.COM
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/219366

25 木村 栄子さん、岩城 真紀子さん、他23人
コメント

松下 光雄 冷血動物としか言いようがありません・・・

加藤 佑三 口先だけの男、総理の資格無し。憲法・立法を無視する犯罪者だ。

最新の画像もっと見る