M.エンデの「自由の牢獄」の4番目に収録されている「ちょっと小さいのはたしかですが」という作品は、奇想天外物語ともいうべきものである。「はてしない物語」において、現実の世界と小説の世界とが入り乱れる名作を書き、読者に2匹の蛇がお互いに尻尾を呑み込んだら最後にはどうなるという問題を提起した。今でも、わたしはこの問題に確かな答えを持っていない。そのエンデである。
「ちょっと小さいのはたしかですが」という作品は、ローマの観光スポットを背景にして、平凡なイタリア人家族の風景から始まる。主人公「私」は何処ででも経験するような家族の普通の会話に巻き込まれ、奇妙奇天烈な世界に呼び込まれる。この作品を読みながら、時々、「あれ、変だな。読み間違えたのか」と頁を戻して読み直し、間違いないことを確かめながら読み進まなければならない。何か変なのだ。まるで、数頁落丁したような感じである。空間感覚が狂う。普通はガレージとは車を入れる場所であるのに、車のトランクの中にガレージが入っている。「ご存じのように、街の中に駐車する場所を見つけるのは難しくなる一方ですからね。クルマの中に自前のガレージを付属品として取り付けてあるのは、便利この上なしです」。主人公が出会った家族はそのような会話をごく当たり前のように日常的に話し合っている。この小説に高度な「空間論」を求める必要はない。まったく、ナンセンス・ストーリーであるが、それがまたエンデらしく面白い。エンデはイタリアが大好きだったとのこと。この作品はエンデがイタリアへ贈る愛のレポートである。
「ちょっと小さいのはたしかですが」という作品は、ローマの観光スポットを背景にして、平凡なイタリア人家族の風景から始まる。主人公「私」は何処ででも経験するような家族の普通の会話に巻き込まれ、奇妙奇天烈な世界に呼び込まれる。この作品を読みながら、時々、「あれ、変だな。読み間違えたのか」と頁を戻して読み直し、間違いないことを確かめながら読み進まなければならない。何か変なのだ。まるで、数頁落丁したような感じである。空間感覚が狂う。普通はガレージとは車を入れる場所であるのに、車のトランクの中にガレージが入っている。「ご存じのように、街の中に駐車する場所を見つけるのは難しくなる一方ですからね。クルマの中に自前のガレージを付属品として取り付けてあるのは、便利この上なしです」。主人公が出会った家族はそのような会話をごく当たり前のように日常的に話し合っている。この小説に高度な「空間論」を求める必要はない。まったく、ナンセンス・ストーリーであるが、それがまたエンデらしく面白い。エンデはイタリアが大好きだったとのこと。この作品はエンデがイタリアへ贈る愛のレポートである。