S08A03(L)
2007年 降臨節第3主日 2007.12.16
<講釈> メシアの秘密 マタイ11:2-11
「わたしがメシアか、あなたがメシアか」
芥川龍之介の「西方の人」に、バプテスマのヨハネの悩みとして、次のような言葉がある。
「彼(ヨハネ)の最後の慟哭はクリストの最後の慟哭のようにいつも我々を動かすのである。『クリストはお前だったのか、わたしだったのか』」(新潮文庫版 132頁)。芥川が抱いたこのような問題提起はキリスト教界からは出てこない。むしろキリスト教信仰はイエスがキリストであり、洗礼者ヨハネはその先駆者であると信じ、そのように主張する。4つの福音書も、多少は疑問を含みながらも、この点については一致している。その意味では芥川のこのような理解は一人の文学者特有の感性によるものであろう。しかし彼の深刻な問題敵もキリスト教界を揺るがさないし、むしろだから芥川は聖書に関心を寄せ、イエスを語りながらキリスト者になれなかった「憐れな男」と言って、後は無視する。しかしこの問題はそんなに簡単に処理できるのだろうか。イエスと洗礼者ヨハネとの関係はもっと複雑である。ついでに芥川の理解を紹介すると、ヨハネを「イエスの前に生まれたキリスト」であるという。
2. 洗礼者ヨハネとイエス
しかし、そういう前提に立ってしまったら、本日のテキストがもっている根本的な問題は理解できないであろう。ヨハネとイエスとはほぼ同世代で、少しヨハネの方が年長者であったものと思われる。ヨハネの方が少し早く預言者活動を開始したようで、イエスがヨハネから洗礼を受けたということも、ほぼ間違いないであろう。もちろんこの場合、洗礼を受けるということはヨハネの説教と生き方に賛同するということを意味している。後にイエスが独自の預言者活動を始めたときに何人かのヨハネの弟子がイエスの弟子に「転向」しているところを見ると、はじめの頃はイエスもヨハネと共に洗礼を授ける活動をしていたものと思われる。要するにヨハネとイエスとの関係はメシアの先駆者とメシアとの関係というよりは、同じような活動をする先輩後輩の関係にある同労者であった。その意味でいうならば、ヨハネがメシアの到来の準備をする先駆者であるとするならば、イエスも同様に先駆者であったのだろう。イエスがヨハネと同じように「洗礼活動」をしたのかどうか、明白ではないが少なくともヨハネ福音書にはそう思わせる記事が残されている。
「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた」(3:22,23)。この記事は少なくともヨハネとイエスとが平行して洗礼活動をしていた時期があったことを思わせる。同時にこの記事ではヨハネの弟子たちがイエスのもとに転向しているということについてのヨハネの弟子たちの不満が記録されている。
そうすると、何時からイエスは自分をメシアだと思いはじめたのか。ヨハネもイエスと同様に自分をメシアかも知れないと思ってもいいのではないか、という疑問が出てくる。いわゆる「メシアの自覚」の問題である。イエスがメシアは苦しみを受けて殺されるという認識を抱いたとすると、ヨハネだって同じ理解をしたのではなかろうか。とくにヘロデに捕らえられ、獄中で死を待つヨハネにとって、「自分の死」は決定的であると感じていたのだろう。「ひょっとすると、わたしがメシアかも知れない」。自分の死とは「メシアの死」なのか。という疑問を抱いたとしても不思議ではない。死ぬこと自体はそれ程問題ではない。むしろ、その死の意味である。その深刻な問いをイエスにぶっつけた。それが、本日のテキストである。
それに対してイエスは「イエス」と言ったのか。それとも、「ノー」と答えたのか。本日のテキストでは明らかではない。正直に言ってイエスは答えられなかったのではなかろうか。ヨハネは明確な答えを得ないまま、処刑された。
3. イエスのメシア意識(自覚)
イエスのメシア意識について松村克己はその著「イエス」において以下のように述べている。
「イエスは果たしてメシアであったかどうか。彼は自己に就いてどんな自覚をもっていたか。イエスのメシア意識如何ということは甚だ困難な問題であって簡単には答えられない。福音書中に散見するイエスの言葉を以て直ちにその証拠とすることは厳密には許されない。福音書は、パウロ書簡の如く直接的にイエスの体験なり意識なりを我々に開示するものではないからである。原始教団の信仰を背景とし成立の座としてそこで把握され想起さる信徒のイエス像の結晶に他ならない、が故に、我々は資料批評と共に心理的批判もまたそこでは要求されてくるであろう。
このような立場に於いて我々の与えうる結論はほぼ次のようなものとなる。
第一、(イエスにおいて)終始一貫して変わらなかったものは神に召されて世に遣わされたという彼の特殊な派遣意識であった。
第二に、この派遣意識の内容は時と共に発展した。彼の宣教活動及びそれに伴って周囲に展開されて行く事実は、彼に遣わされた使命の本質を具体的に問うことを課した。
第三に、この道においてその課題を解くに当たって彼に光を投げたものは、イザヤ書や詩編の章句、殊に第二イザヤの「主の僕」の歌であったと考えられる。
第四、かくして彼の到達した理解は、従来とは些か異なるメシヤの自覚である。その自覚はむしろ予感とも信仰とも云うべきものであって、自覚という語は必ずしも当たらない。他面から云えば彼は新しいメシア像をば自らの戦いを通して獲得したのである。それは従来の用語例に照らして云えばメシヤと呼ぶことを拒まねばならぬ。しかし深い意味では、また具体的現実としては、なおこれを否定し尽くすことが出来ない。そこに彼が自ら一度も自己をばメシアと呼ばず、また人にこのことを求めず、却ってかく云う人々を抑え、厳しく警めた事実、また自己を呼ぶに「人の子」なる謎めいた語を以てした理由が初めて理解されてくるであろう。即ち「人の子」は「神の子」に対する、且つこれと相即不離の関係に立つ概念である。ヒブル語や当時の通俗語アラマイックでは単に「人」と云うに等しいがこの語には特殊な背景とそれに基づく響きとがある。ダニエル書7章13節の預言がそれである」 (メシアの秘密──イエスの自意識 134頁以下)。
イエスのメシア意識については上記の文章に尽きるであろう。イエスは「メシア観」などという伝統的な観念によって振り回されなかった。自分がメシアであるかメシアでないか、という疑問はイエスにはなかった。イエスにあった意識はただ「神から遣わされたという自覚」だけで、その自覚から伝統的なメシア観に対してむしろ批判的であった。ただ、生き方としてはイザヤ書が語る「主の僕」の生き方を徹底したということに尽きるであろう。
ところがヨハネの方はメシアの到来を語るという使命に固執していた。その視点から考えると、イエスは彼が考えるメシアとはほど遠かった。ヨハネの基本的姿勢は伝統的なメシア観に立って「メシアを待つ」ということであり、イエスにおいては伝統的なメシア観に吸収される以前の「主の僕」の生き方に倣うということであった。この両者のズレが、本日のテキストに現れている。
牢獄にあるヨハネがイエスのもとに使者を立てて質問させたという出来事が史実であるかどうかは疑問であり、むしろ初期教会におけるヨハネ集団とイエス集団との確執を反映しているものと考える。しかしヨハネとイエスとの間にメシア観をめぐって意識のズレがあったことは否定できない。
4. 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」
イエスにとって自分がメシアであるか、どうかということはそれ程重要なことではなかった。むしろそれ以上に重要なことは、自分の(イエスの)言葉と行為によって何が起こっているのかという事実であった。この点についてイエスがメシアであるか否かということでヨハネが「迷よっている」としたら、それは彼が今、死を直前にして動揺している証拠であり、イエスのこの突き放したような返事は、実はヨハネの迷いを癒やすものであった。「あなたがメシアなのか、わたしがメシアなのか、そんなことどうでもいいではないか。あなたの働きの結果、またわたしの働きの結果、こういうことが事実として起こっている。それでわたしたちの使命は充分に果たしている」。これがイエスの本当の回答の意味であった。
「わたしにつまずかない人は幸いである。」
「わたしにつまずく人」とは伝統的なメシア観にとらわれ、そこから脱出できない人びとを意味する。どんなに偉大な人間でも伝統的な観念にとらわれている限り自由な発想は生まれないし、事実を事実としてみる視力が失われる。イエスは自分自身を「メシア」であるとか、「預言者」であるというような観念を当てはめて見ていない。伝統的な偏見や、世論という噂や、マスコミの報道に惑わされることなく、わたしという人間をそのままに見てくれとイエスはヨハネに語る。これは何もイエスについてだけ当てはまることではなく、誰に対しても同じことで、その人をその人としてそのままに見て、受け入れることができる人は幸いである。
2007年 降臨節第3主日 2007.12.16
<講釈> メシアの秘密 マタイ11:2-11
「わたしがメシアか、あなたがメシアか」
芥川龍之介の「西方の人」に、バプテスマのヨハネの悩みとして、次のような言葉がある。
「彼(ヨハネ)の最後の慟哭はクリストの最後の慟哭のようにいつも我々を動かすのである。『クリストはお前だったのか、わたしだったのか』」(新潮文庫版 132頁)。芥川が抱いたこのような問題提起はキリスト教界からは出てこない。むしろキリスト教信仰はイエスがキリストであり、洗礼者ヨハネはその先駆者であると信じ、そのように主張する。4つの福音書も、多少は疑問を含みながらも、この点については一致している。その意味では芥川のこのような理解は一人の文学者特有の感性によるものであろう。しかし彼の深刻な問題敵もキリスト教界を揺るがさないし、むしろだから芥川は聖書に関心を寄せ、イエスを語りながらキリスト者になれなかった「憐れな男」と言って、後は無視する。しかしこの問題はそんなに簡単に処理できるのだろうか。イエスと洗礼者ヨハネとの関係はもっと複雑である。ついでに芥川の理解を紹介すると、ヨハネを「イエスの前に生まれたキリスト」であるという。
2. 洗礼者ヨハネとイエス
しかし、そういう前提に立ってしまったら、本日のテキストがもっている根本的な問題は理解できないであろう。ヨハネとイエスとはほぼ同世代で、少しヨハネの方が年長者であったものと思われる。ヨハネの方が少し早く預言者活動を開始したようで、イエスがヨハネから洗礼を受けたということも、ほぼ間違いないであろう。もちろんこの場合、洗礼を受けるということはヨハネの説教と生き方に賛同するということを意味している。後にイエスが独自の預言者活動を始めたときに何人かのヨハネの弟子がイエスの弟子に「転向」しているところを見ると、はじめの頃はイエスもヨハネと共に洗礼を授ける活動をしていたものと思われる。要するにヨハネとイエスとの関係はメシアの先駆者とメシアとの関係というよりは、同じような活動をする先輩後輩の関係にある同労者であった。その意味でいうならば、ヨハネがメシアの到来の準備をする先駆者であるとするならば、イエスも同様に先駆者であったのだろう。イエスがヨハネと同じように「洗礼活動」をしたのかどうか、明白ではないが少なくともヨハネ福音書にはそう思わせる記事が残されている。
「その後、イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた」(3:22,23)。この記事は少なくともヨハネとイエスとが平行して洗礼活動をしていた時期があったことを思わせる。同時にこの記事ではヨハネの弟子たちがイエスのもとに転向しているということについてのヨハネの弟子たちの不満が記録されている。
そうすると、何時からイエスは自分をメシアだと思いはじめたのか。ヨハネもイエスと同様に自分をメシアかも知れないと思ってもいいのではないか、という疑問が出てくる。いわゆる「メシアの自覚」の問題である。イエスがメシアは苦しみを受けて殺されるという認識を抱いたとすると、ヨハネだって同じ理解をしたのではなかろうか。とくにヘロデに捕らえられ、獄中で死を待つヨハネにとって、「自分の死」は決定的であると感じていたのだろう。「ひょっとすると、わたしがメシアかも知れない」。自分の死とは「メシアの死」なのか。という疑問を抱いたとしても不思議ではない。死ぬこと自体はそれ程問題ではない。むしろ、その死の意味である。その深刻な問いをイエスにぶっつけた。それが、本日のテキストである。
それに対してイエスは「イエス」と言ったのか。それとも、「ノー」と答えたのか。本日のテキストでは明らかではない。正直に言ってイエスは答えられなかったのではなかろうか。ヨハネは明確な答えを得ないまま、処刑された。
3. イエスのメシア意識(自覚)
イエスのメシア意識について松村克己はその著「イエス」において以下のように述べている。
「イエスは果たしてメシアであったかどうか。彼は自己に就いてどんな自覚をもっていたか。イエスのメシア意識如何ということは甚だ困難な問題であって簡単には答えられない。福音書中に散見するイエスの言葉を以て直ちにその証拠とすることは厳密には許されない。福音書は、パウロ書簡の如く直接的にイエスの体験なり意識なりを我々に開示するものではないからである。原始教団の信仰を背景とし成立の座としてそこで把握され想起さる信徒のイエス像の結晶に他ならない、が故に、我々は資料批評と共に心理的批判もまたそこでは要求されてくるであろう。
このような立場に於いて我々の与えうる結論はほぼ次のようなものとなる。
第一、(イエスにおいて)終始一貫して変わらなかったものは神に召されて世に遣わされたという彼の特殊な派遣意識であった。
第二に、この派遣意識の内容は時と共に発展した。彼の宣教活動及びそれに伴って周囲に展開されて行く事実は、彼に遣わされた使命の本質を具体的に問うことを課した。
第三に、この道においてその課題を解くに当たって彼に光を投げたものは、イザヤ書や詩編の章句、殊に第二イザヤの「主の僕」の歌であったと考えられる。
第四、かくして彼の到達した理解は、従来とは些か異なるメシヤの自覚である。その自覚はむしろ予感とも信仰とも云うべきものであって、自覚という語は必ずしも当たらない。他面から云えば彼は新しいメシア像をば自らの戦いを通して獲得したのである。それは従来の用語例に照らして云えばメシヤと呼ぶことを拒まねばならぬ。しかし深い意味では、また具体的現実としては、なおこれを否定し尽くすことが出来ない。そこに彼が自ら一度も自己をばメシアと呼ばず、また人にこのことを求めず、却ってかく云う人々を抑え、厳しく警めた事実、また自己を呼ぶに「人の子」なる謎めいた語を以てした理由が初めて理解されてくるであろう。即ち「人の子」は「神の子」に対する、且つこれと相即不離の関係に立つ概念である。ヒブル語や当時の通俗語アラマイックでは単に「人」と云うに等しいがこの語には特殊な背景とそれに基づく響きとがある。ダニエル書7章13節の預言がそれである」 (メシアの秘密──イエスの自意識 134頁以下)。
イエスのメシア意識については上記の文章に尽きるであろう。イエスは「メシア観」などという伝統的な観念によって振り回されなかった。自分がメシアであるかメシアでないか、という疑問はイエスにはなかった。イエスにあった意識はただ「神から遣わされたという自覚」だけで、その自覚から伝統的なメシア観に対してむしろ批判的であった。ただ、生き方としてはイザヤ書が語る「主の僕」の生き方を徹底したということに尽きるであろう。
ところがヨハネの方はメシアの到来を語るという使命に固執していた。その視点から考えると、イエスは彼が考えるメシアとはほど遠かった。ヨハネの基本的姿勢は伝統的なメシア観に立って「メシアを待つ」ということであり、イエスにおいては伝統的なメシア観に吸収される以前の「主の僕」の生き方に倣うということであった。この両者のズレが、本日のテキストに現れている。
牢獄にあるヨハネがイエスのもとに使者を立てて質問させたという出来事が史実であるかどうかは疑問であり、むしろ初期教会におけるヨハネ集団とイエス集団との確執を反映しているものと考える。しかしヨハネとイエスとの間にメシア観をめぐって意識のズレがあったことは否定できない。
4. 「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」
イエスにとって自分がメシアであるか、どうかということはそれ程重要なことではなかった。むしろそれ以上に重要なことは、自分の(イエスの)言葉と行為によって何が起こっているのかという事実であった。この点についてイエスがメシアであるか否かということでヨハネが「迷よっている」としたら、それは彼が今、死を直前にして動揺している証拠であり、イエスのこの突き放したような返事は、実はヨハネの迷いを癒やすものであった。「あなたがメシアなのか、わたしがメシアなのか、そんなことどうでもいいではないか。あなたの働きの結果、またわたしの働きの結果、こういうことが事実として起こっている。それでわたしたちの使命は充分に果たしている」。これがイエスの本当の回答の意味であった。
「わたしにつまずかない人は幸いである。」
「わたしにつまずく人」とは伝統的なメシア観にとらわれ、そこから脱出できない人びとを意味する。どんなに偉大な人間でも伝統的な観念にとらわれている限り自由な発想は生まれないし、事実を事実としてみる視力が失われる。イエスは自分自身を「メシア」であるとか、「預言者」であるというような観念を当てはめて見ていない。伝統的な偏見や、世論という噂や、マスコミの報道に惑わされることなく、わたしという人間をそのままに見てくれとイエスはヨハネに語る。これは何もイエスについてだけ当てはまることではなく、誰に対しても同じことで、その人をその人としてそのままに見て、受け入れることができる人は幸いである。