お早うございます。主の平和。朝の散歩20分。「断想:マグダラの聖マリア日」をブログにアップ。読書。昼食後、30分昼寝。『極東戦線』を読了。夕方、釣川堤防散策。夜、「伝七捕り物趙」を見て9時に就寝、起床5時。血圧(143,82:65)・体調・快調。チュン、チュン。
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29松井 信一さん、北村 良輔さん、他27人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。
村田 多鶴子 おはようございます~♪先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されます様にm(__)m
藤木 冨士子 おはようございます。
萩野 秀子 おはようございます。ガスレンジ、レンジフード設置にきます。良き日となりますようにお祈りします。
東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。
文屋 善明
7月23日 5:21 ·
お目覚めの花。「歩く生活を始めると、行動範囲が限られて、花との出会いも少なくなります」「夏を過ぎたら、もう少し広い世界に飛び出します。JRで」。
文屋 善明さんの写真
33松井 信一さん、植村 光郎さん、他31人
文屋 善明
7月23日 5:54 ·
2016 日々の聖句 07月23日(土)
人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。(イザヤ51:7)
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。(ルカ6:26)
私の黙想:
今日の聖句は、全体の後半である。前半は「わたしに聞け正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ」である。ここには前半と後半とが対比されている。「神の言葉」と「人間の言葉」。神の言葉を心に持つ者は、人間の言葉などにうろたえるな。大河の流れにも、川岸では渦を巻き逆流するところもある。大海も岸辺では波立っている。神の言葉を心に持つ者は、小さなことに囚われない。
私が若い頃、よく歌った聖歌にこんなのがある。(日本福音連盟発行 聖歌597)
「父なる神の恵みは、限りなき海ぞ。とも綱を解きて、沖へいでてみよや。
沖へいでよ、岸を離れ、主の恵みのただ中へ、いざ、漕ぎいでよ」
「世の人は岸に立ちて、沖を見るのみ、主の恵みの深さなど、あえて知らんとせず。
沖へいでよ、岸を離れ、主の恵みのただ中へ、いざ、漕ぎいでよ」
この歌を、大きな声で、会衆と共に歌うとき、心が晴れ晴れとする。
24松井 信一さん、森田 美芽さん、他22人
文屋 善明
7月23日 6:01 ·
今日の名言:@E_Levinas_jp
平和は、ことばを語ることが出来る能力として生起する。(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』)
<一言>戦争状態になると、言葉が制限され、秘密に蔽われる。戦争を好む者は、真実を語らない。
23増野 真美さん、Yuichiro Nakanoさん、他21人
文屋 善明
7月23日 6:06 ·
「断想:聖霊降臨後第10主日(T12)の福音書」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
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9藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他7人
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Kouko Egasira シェアさせて頂きます。
文屋 善明 どうぞ。
Kouko Egasira ありがとうございます。じっくり学ばせていただこうと印刷させて頂きました。
文屋 善明
7月23日 6:21 ·
「昨日のFB 07/21」をブログにアップしました。
BLOG.GOO.NE.JP
9藤木 冨士子さん、芳賀 道子さん、他7人
文屋 善明
7月23日 6:24 ·
イミタチオ・クリスチ(193):
この世で気楽に暮らすことと、あの世でキリストと共に支配すること、これら2つの喜びを併せ持つことは出来ない。24:39
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18藤木 冨士子さん、増野 真美さん、他16人
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藤木 冨士子 気楽にを平安にに変えたらできるんとちがうかな。
文屋 善明
7月23日 15:32 ·
宇良が勝ちました。これで2桁(10勝)です。
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9藤木 冨士子さん、鎌野 健一さん、他7人
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村田 多鶴子 良かったですね!
加藤 佑三 あの身体で凄いですね。運動神経の塊り。それだけにケガが心配ですね。
文屋 善明 それよりも、今の形の相撲をいつまでも取るわけにはいかないでしょう。いつ、どの段階で、形を変えるかか゛鍵でしょう。
加藤 佑三 ですね。初対戦の相手には良いでしょうが。
文屋 善明
7月23日 15:59 ·
今日の「折々のことば」。戦争中のことは、戦争を知っている世代とか知らない世代という区別を越えて、自分自身との関係の中で受け止め方に大きな差があるように思う。私は敗戦の時10歳(現在の数え方でいうと9歳)、開戦の時(昭和16年12月)、5歳だ。だから自分が戦場に行くと言うことは考えていなかった。しかし、10歳上の世代の人たちは、全然違う。特にその違いが顕著に表れたのは、敗戦後である。いわゆる「戦中派」と呼ばれている。だから今日の「ことば」もそれぞれ受け止め方が違うのだろう。今の「若者たち」はどう思っているのだろうか。
文屋 善明さんの写真
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1071665249577602&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater
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29藤木 冨士子さん、増野 真美さん、他27人
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藤木 冨士子 昔、戦争を知らない子どもたちという曲が流行りました。ちょうどその子どもです。ベトナム戦争からしか知りません。朝鮮戦争も知らないんです。
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。
村田 多鶴子 おはようございます~♪先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されます様にm(__)m
藤木 冨士子 おはようございます。
萩野 秀子 おはようございます。ガスレンジ、レンジフード設置にきます。良き日となりますようにお祈りします。
東山 富昭 おはようございます。今日も、よろしく、お願いします。
文屋 善明
7月23日 5:21 ·
お目覚めの花。「歩く生活を始めると、行動範囲が限られて、花との出会いも少なくなります」「夏を過ぎたら、もう少し広い世界に飛び出します。JRで」。
文屋 善明さんの写真
33松井 信一さん、植村 光郎さん、他31人
文屋 善明
7月23日 5:54 ·
2016 日々の聖句 07月23日(土)
人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。(イザヤ51:7)
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。(ルカ6:26)
私の黙想:
今日の聖句は、全体の後半である。前半は「わたしに聞け正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ」である。ここには前半と後半とが対比されている。「神の言葉」と「人間の言葉」。神の言葉を心に持つ者は、人間の言葉などにうろたえるな。大河の流れにも、川岸では渦を巻き逆流するところもある。大海も岸辺では波立っている。神の言葉を心に持つ者は、小さなことに囚われない。
私が若い頃、よく歌った聖歌にこんなのがある。(日本福音連盟発行 聖歌597)
「父なる神の恵みは、限りなき海ぞ。とも綱を解きて、沖へいでてみよや。
沖へいでよ、岸を離れ、主の恵みのただ中へ、いざ、漕ぎいでよ」
「世の人は岸に立ちて、沖を見るのみ、主の恵みの深さなど、あえて知らんとせず。
沖へいでよ、岸を離れ、主の恵みのただ中へ、いざ、漕ぎいでよ」
この歌を、大きな声で、会衆と共に歌うとき、心が晴れ晴れとする。
24松井 信一さん、森田 美芽さん、他22人
文屋 善明
7月23日 6:01 ·
今日の名言:@E_Levinas_jp
平和は、ことばを語ることが出来る能力として生起する。(エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』)
<一言>戦争状態になると、言葉が制限され、秘密に蔽われる。戦争を好む者は、真実を語らない。
23増野 真美さん、Yuichiro Nakanoさん、他21人
文屋 善明
7月23日 6:06 ·
「断想:聖霊降臨後第10主日(T12)の福音書」をブログにアップしました。
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9藤木 冨士子さん、北村 良輔さん、他7人
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Kouko Egasira シェアさせて頂きます。
文屋 善明 どうぞ。
Kouko Egasira ありがとうございます。じっくり学ばせていただこうと印刷させて頂きました。
文屋 善明
7月23日 6:21 ·
「昨日のFB 07/21」をブログにアップしました。
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9藤木 冨士子さん、芳賀 道子さん、他7人
文屋 善明
7月23日 6:24 ·
イミタチオ・クリスチ(193):
この世で気楽に暮らすことと、あの世でキリストと共に支配すること、これら2つの喜びを併せ持つことは出来ない。24:39
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18藤木 冨士子さん、増野 真美さん、他16人
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藤木 冨士子 気楽にを平安にに変えたらできるんとちがうかな。
文屋 善明
7月23日 15:32 ·
宇良が勝ちました。これで2桁(10勝)です。
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村田 多鶴子 良かったですね!
加藤 佑三 あの身体で凄いですね。運動神経の塊り。それだけにケガが心配ですね。
文屋 善明 それよりも、今の形の相撲をいつまでも取るわけにはいかないでしょう。いつ、どの段階で、形を変えるかか゛鍵でしょう。
加藤 佑三 ですね。初対戦の相手には良いでしょうが。
文屋 善明
7月23日 15:59 ·
今日の「折々のことば」。戦争中のことは、戦争を知っている世代とか知らない世代という区別を越えて、自分自身との関係の中で受け止め方に大きな差があるように思う。私は敗戦の時10歳(現在の数え方でいうと9歳)、開戦の時(昭和16年12月)、5歳だ。だから自分が戦場に行くと言うことは考えていなかった。しかし、10歳上の世代の人たちは、全然違う。特にその違いが顕著に表れたのは、敗戦後である。いわゆる「戦中派」と呼ばれている。だから今日の「ことば」もそれぞれ受け止め方が違うのだろう。今の「若者たち」はどう思っているのだろうか。
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29藤木 冨士子さん、増野 真美さん、他27人
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藤木 冨士子 昔、戦争を知らない子どもたちという曲が流行りました。ちょうどその子どもです。ベトナム戦争からしか知りません。朝鮮戦争も知らないんです。