三位一体後第21主日(1985.10.27)
信仰への飛躍 ヨハネ4:46~54
今日、二人の方が洗礼をお受けになりました。洗礼というのは、一生クリスチャンとして生きようという決意をした人が、教会の交わりに加わり、主イエス・キリストの枝となるために受ける儀式です。信仰に入る動機は人によって色々あります。親が既にクリスチャンであり、その影響を受けて入信する場合もありますし、尊敬する人との出会いの中でその人と同じ信仰に入るということもあるでしょう。人生の悩みの中で、思想としてのキリスト教に触れ、それを受け入れるということもあります。
本日の福音書の中に、「汝ら徴と不思議とを見ずば、信ぜじ」というイエスの言葉があります。信仰に入るのに、つまりクリスチャンになるために、人々は「徴と不思議」を求めます。つまりクリスチャンになるために動機や理由がないといけないと思っています。「理由なき入信」ということに満足出来ません。そこには何かクリスチャンになるということが、特別な人間になるというような意識が働いている様に思います。ところが、その理由や動機が具体的なものであればある程、自分の利益、つまり御利益を求めて入信する様に思い、そこに何か「いかがわしさ」や「やましさ」を感じる様です。
多くの人がクリスチャンになりたいと思いながら、なかなか踏み込めない矛盾がここにあります。一方で、何か納得のいく動機つまり徴を求めながら、他方で、「徴と不思議」を求めることに「やましさ」を感じる。
本日の福音書に登場します「王の近臣」は子供の病気が問題でした。王の近臣というのですから、金も地位もあったでしょう。恐らく、多くの名医にも相談し、彼の出来る限りの努力をしたにちがいありません。しかし、彼の子供の病気は直らず、もう死にそうな状態だったのです。切羽詰まった彼は、かねて噂に聞いていたイエスの元にやって来ました。彼の様な高官が田舎の宗教家イエスの元に、しかもカペナウムからカナまで、約30キロの道のりをやって来るには、相当の覚悟がいったにちがいありません。まず、謙遜でなければ出来ません。これが信仰への助走なのです。
彼はイエスの前にひざまずき、必死になって頼みます。「主よ、私の子供は死にかけています。どうぞ、死なないうちに来て下さい」。その時、イエスは「帰れ、汝の子は生くるなり」と述べられました。さぁ、ここが正念場です。イエスの言葉を信じるか、それとも「この無礼者」といって腹を立てて帰るか。彼は30キロの道をわざわざやって来たのです。しかしイエスは彼の家に行こうともせず、ただ言葉だけを与えるのです。皆さん方だったら、どうします。
本日、洗礼式が行われました。もともと、この式は後期ユダヤ教においては異教徒がユダヤ教に入信する時に割礼に先立って受けねばならない「清め」の式であったようですが、イエスと同時代のバプテスマのヨハネによって「悔い改めのバプテスマ」として、ユダヤ人にも受けさせ始め、それがキリスト教にも受け継がれたものです。従って、この儀式は旧約聖書には見られませんが、洗礼式の原形ともなつた一つの出来事があります。
預言者エリシャの時代に(紀元9世紀後半)、イスラエルのライバルであったスリヤ国にナアマンという将軍がおりました。彼は敵味方を越えて、恐れられた勇士であったとのことです。しかし、どのように強い勇者といえども悩みはあるもので、彼は重い皮膚病であったのです。彼の家には戦争の時、掠奪して来た一人のイスラエルの少女がおりました。この少女がナアマン将軍の悩みを知り、ナアマン夫人にイスラエルの預言者エリシャのことを話しました。この「神の人」に相談すれば、どんなことでもなんとかなるというのがこの少女の確信でした。これが伝道というものです。
さすがのナアマン将軍、ここぞという時には、腹を決めるもので、この少女の話に乗ろうと決心し、直ちに行動に移ります。早速、休暇を貰うためにスリア王の所に出掛けました。王も大変喜び、イスラエルの王に手紙をん書いてくれました。ナアマン将軍は金銀宝物を準備して、イエラエルの国に行き、先ず王に面接し、スリア王からの手紙を見せました。イスラエルの王はこの手紙を読み、震え上がってしまいました。強国スリアからの無理難題だと思ったからです。この話はすぐに預言者エリシャの元にも伝わりました。エリシャは手紙を書き「ナアマンをすぐ自分の所に寄越しなさい」と王に進言いたします。やがてナアマン将軍は金銀宝物を積んだ馬車とともに預言者エリシャの家の玄関にやってまいりました。大変な行列ですから、家中大騒ぎの筈です。ところが預言者は将軍を家の中にも入れようとせず、召し使いを玄関に出して、「あなたは、ヨルダン川へ行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの身体は赤子のごとくに清くなるでしょう」という言葉を言わせます。これを聞いたナアマン将軍、カ-ッとなり、くびすを返して、立ち去り、「私は預言者はきっと自分の所にやって来て、神の名を呼んで、私の身体に手を置いて、祈り、病いを癒してくれると思ったのに、なんと無礼な。スリアの川はイスラエルの全ての川よりも、もっと美しく、清らかだ。こんな汚いヨルダン川で身を洗う位ならスリアの川で洗うほうがまだましだ」。
その時、ナアマン将軍の部下達は彼を励まし、「将軍、あなたはあの預言者がもっと難しい事を要求しても、それに従ったのではありませんか?まして、かの預言者が命じていることは、ヨルダン川に行って7回身を洗え、と言っているだけに過ぎないではありませんか」。この言葉を聞いて、さすがのナアマン将軍、ハッと気付き、直ぐに預言者の言葉に従い、ヨルダン川に行き、7度身を洗いました。すると、その身体は幼子のように清くなりました。
信仰に入るということは、丁度こういうものです。理屈を言ったり、面子に拘っていては、信仰には入れません。この病気を直して貰いたい、この問題を解決して欲しい、自分の人生を楽しいものにしたい、もっと向上したい。信仰に入る道は色々あります。
しかし、信仰とはナアマン将軍がヨルダン川に入るように、本日の福音書に登場する王の近臣がイエスの言葉に掛けて見る様に、また本日洗礼を受けた人々の様に、腹を決め、素直に教会に飛び込むことなのです。
信仰への飛躍 ヨハネ4:46~54
今日、二人の方が洗礼をお受けになりました。洗礼というのは、一生クリスチャンとして生きようという決意をした人が、教会の交わりに加わり、主イエス・キリストの枝となるために受ける儀式です。信仰に入る動機は人によって色々あります。親が既にクリスチャンであり、その影響を受けて入信する場合もありますし、尊敬する人との出会いの中でその人と同じ信仰に入るということもあるでしょう。人生の悩みの中で、思想としてのキリスト教に触れ、それを受け入れるということもあります。
本日の福音書の中に、「汝ら徴と不思議とを見ずば、信ぜじ」というイエスの言葉があります。信仰に入るのに、つまりクリスチャンになるために、人々は「徴と不思議」を求めます。つまりクリスチャンになるために動機や理由がないといけないと思っています。「理由なき入信」ということに満足出来ません。そこには何かクリスチャンになるということが、特別な人間になるというような意識が働いている様に思います。ところが、その理由や動機が具体的なものであればある程、自分の利益、つまり御利益を求めて入信する様に思い、そこに何か「いかがわしさ」や「やましさ」を感じる様です。
多くの人がクリスチャンになりたいと思いながら、なかなか踏み込めない矛盾がここにあります。一方で、何か納得のいく動機つまり徴を求めながら、他方で、「徴と不思議」を求めることに「やましさ」を感じる。
本日の福音書に登場します「王の近臣」は子供の病気が問題でした。王の近臣というのですから、金も地位もあったでしょう。恐らく、多くの名医にも相談し、彼の出来る限りの努力をしたにちがいありません。しかし、彼の子供の病気は直らず、もう死にそうな状態だったのです。切羽詰まった彼は、かねて噂に聞いていたイエスの元にやって来ました。彼の様な高官が田舎の宗教家イエスの元に、しかもカペナウムからカナまで、約30キロの道のりをやって来るには、相当の覚悟がいったにちがいありません。まず、謙遜でなければ出来ません。これが信仰への助走なのです。
彼はイエスの前にひざまずき、必死になって頼みます。「主よ、私の子供は死にかけています。どうぞ、死なないうちに来て下さい」。その時、イエスは「帰れ、汝の子は生くるなり」と述べられました。さぁ、ここが正念場です。イエスの言葉を信じるか、それとも「この無礼者」といって腹を立てて帰るか。彼は30キロの道をわざわざやって来たのです。しかしイエスは彼の家に行こうともせず、ただ言葉だけを与えるのです。皆さん方だったら、どうします。
本日、洗礼式が行われました。もともと、この式は後期ユダヤ教においては異教徒がユダヤ教に入信する時に割礼に先立って受けねばならない「清め」の式であったようですが、イエスと同時代のバプテスマのヨハネによって「悔い改めのバプテスマ」として、ユダヤ人にも受けさせ始め、それがキリスト教にも受け継がれたものです。従って、この儀式は旧約聖書には見られませんが、洗礼式の原形ともなつた一つの出来事があります。
預言者エリシャの時代に(紀元9世紀後半)、イスラエルのライバルであったスリヤ国にナアマンという将軍がおりました。彼は敵味方を越えて、恐れられた勇士であったとのことです。しかし、どのように強い勇者といえども悩みはあるもので、彼は重い皮膚病であったのです。彼の家には戦争の時、掠奪して来た一人のイスラエルの少女がおりました。この少女がナアマン将軍の悩みを知り、ナアマン夫人にイスラエルの預言者エリシャのことを話しました。この「神の人」に相談すれば、どんなことでもなんとかなるというのがこの少女の確信でした。これが伝道というものです。
さすがのナアマン将軍、ここぞという時には、腹を決めるもので、この少女の話に乗ろうと決心し、直ちに行動に移ります。早速、休暇を貰うためにスリア王の所に出掛けました。王も大変喜び、イスラエルの王に手紙をん書いてくれました。ナアマン将軍は金銀宝物を準備して、イエラエルの国に行き、先ず王に面接し、スリア王からの手紙を見せました。イスラエルの王はこの手紙を読み、震え上がってしまいました。強国スリアからの無理難題だと思ったからです。この話はすぐに預言者エリシャの元にも伝わりました。エリシャは手紙を書き「ナアマンをすぐ自分の所に寄越しなさい」と王に進言いたします。やがてナアマン将軍は金銀宝物を積んだ馬車とともに預言者エリシャの家の玄関にやってまいりました。大変な行列ですから、家中大騒ぎの筈です。ところが預言者は将軍を家の中にも入れようとせず、召し使いを玄関に出して、「あなたは、ヨルダン川へ行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの身体は赤子のごとくに清くなるでしょう」という言葉を言わせます。これを聞いたナアマン将軍、カ-ッとなり、くびすを返して、立ち去り、「私は預言者はきっと自分の所にやって来て、神の名を呼んで、私の身体に手を置いて、祈り、病いを癒してくれると思ったのに、なんと無礼な。スリアの川はイスラエルの全ての川よりも、もっと美しく、清らかだ。こんな汚いヨルダン川で身を洗う位ならスリアの川で洗うほうがまだましだ」。
その時、ナアマン将軍の部下達は彼を励まし、「将軍、あなたはあの預言者がもっと難しい事を要求しても、それに従ったのではありませんか?まして、かの預言者が命じていることは、ヨルダン川に行って7回身を洗え、と言っているだけに過ぎないではありませんか」。この言葉を聞いて、さすがのナアマン将軍、ハッと気付き、直ぐに預言者の言葉に従い、ヨルダン川に行き、7度身を洗いました。すると、その身体は幼子のように清くなりました。
信仰に入るということは、丁度こういうものです。理屈を言ったり、面子に拘っていては、信仰には入れません。この病気を直して貰いたい、この問題を解決して欲しい、自分の人生を楽しいものにしたい、もっと向上したい。信仰に入る道は色々あります。
しかし、信仰とはナアマン将軍がヨルダン川に入るように、本日の福音書に登場する王の近臣がイエスの言葉に掛けて見る様に、また本日洗礼を受けた人々の様に、腹を決め、素直に教会に飛び込むことなのです。