高山樗牛と親爺とを結びつける大きな鍵は「死」ということであろう。「死ぬ」ということをどう考え、どう取り組むのか。「死」というすべての人に関わりを持つ重大事を二十歳前に真剣に考えるにいったのには、「結核」という「早死」を約束されたような病によるものだと思われる。
樗牛にとって、「死」の問題は、「自殺」という無意味さに向かうものではなく、「生」の問題の裏返しである。樗牛は「人生終に奈何(じんせいついにいかん)」を20歳の時に書いて以来、「殉死」ということが中心テーマになっている。ここらあたりに、親爺が樗牛に惹かれたものがあったのかも知れない。「瀧口入道」のテーマも「殉死」である。 . . . 本文を読む