宇和島市の里山には山桜が沢山咲いているのが
遠くからも分かります。山桜はソメイヨシノ桜に先立って咲き、
里山のあちこちに淡いピンクに見えるので、分かります。
山桜の一斉に咲いている里山の風景は独特のものです。
今日は里山の山桜とアラスカのオーロラを紹介致します。
あちこちに咲いている「里山の山桜」
アラスカのオーロラ
- アラスカ写真家・松本紀生氏の作品 -
宇和島市の里山には山桜が沢山咲いているのが
遠くからも分かります。山桜はソメイヨシノ桜に先立って咲き、
里山のあちこちに淡いピンクに見えるので、分かります。
山桜の一斉に咲いている里山の風景は独特のものです。
今日は里山の山桜とアラスカのオーロラを紹介致します。
あちこちに咲いている「里山の山桜」
アラスカのオーロラ
- アラスカ写真家・松本紀生氏の作品 -
イエスは、謙遜な態度で神エホバに仕える人々を捜し出したいと切に願っておられます。それであちらこちらを訪ね、会う人すべてに神の王国の良い便りを伝えました。その中には悪名高い罪人も含まれています。今ではそのような人々もイエスの伝える話を聞きに近づいて来ます。
それを見ていたパリサイ人と書士たちは、彼らが無価値な人間と思っている人々と親しく交わっているイエスを非難し、「この人(イエス)は、罪人たちを歓迎して一緒に食事をする」と、不平を言いました。パリサイ人や書士たちは、罪人とそのように接するなら、自分の品位を大いに下げると思っているのです。パリサイ人と書士たちは、一般の人々を足で踏みつける泥のように見なしていました。実際、彼らは、「地(土)の民」を意味するヘブライ語のアム・ハーアーレツという表現を使って、そのような人々を軽蔑していることを示していました。
一方、イエスは、どんな人にも威厳と親切と思いやりをもって接しられました。その結果、悪行者としてよく知られている人たちを含め、立場の低い大勢の人々が、真剣にイエスの話しを聴こうとしました。それにしても、パリサイ人から無価値な人間と思われている人々のために力を尽くすイエスに、パリサイ人たちが浴びせた非難はどうなったでしょうか。
イエスは例えを使って、彼らの反対にお答えになりました。そして、自分たちは正しいことを行っており、神の囲いの中にいて安全だが、卑しいアム・ハーアーレツは迷い出て失われた状態にある、と考えていたパリサイ人の観点からイエスは話されました。イエスの問いかけの話しは次の通りです。
「あなた方のうち、百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹を失った時に、九十九匹を荒野に残し、失われた一匹を見つけるまで探しに行かない人がいるでしょうか。そして、見つけると、その人はそれを自分の肩に乗せ歓びます。そうして家に着くと、隣人や友人を呼び集めて、こう言うのです。「一緒に喜んでください。失われていた私の羊が見つかったからです」」。
イエスはこの話しの適用を教えられましたが、次回に引き続きお伝え致します。
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障がい者 働く工房 春の午後 今日の一句
卓上の「バラ」