じゅりりんのめげずにいくのだ*

ドールハウスやちっちゃいもの、ガーデニング、手芸など趣味や日常を中心に時々思い出わんこも登場します。

お宝騒動

2006-11-17 22:22:31 | 芸術・芸能・漫画

以前このブログにも一度登場したことのある、父の仕事関係で私が小学校の頃からお世話になっているクミちゃん(仮名)のお宅が今年家を建て替え、その際ずっと以前に亡くなったおばあちゃんの遺品のお針箱を整理していると、素晴らしい達筆の文書が出てきたというので、
「おおそれは如何なる~」と興味津々で実物を見せてもらいました
折りたたんで木綿糸をぐるぐるに巻いてあったということでボロボロでしたが
黄土色のうす~い紙に物凄い達筆でしたためてあります
(注:トップ画像はそれをコピーしたものです。)
しかも最後に「家康」なんて書いてありますよ

彼女の住む町には昔々、伊達家の誰か?がかけおちをして
密かに隠れ住んでいたという住居跡が今も残っているそうで、
正宗と家康は同じ時代の人なのでもしやそれに関係する文書
いっせんまんえんしたらどうする
これで家のローンを払えというご先祖様からの新築祝いかも
などとみなで色めきたっておりましたが、
これはあくまでもそうあってほしいという私たちの“願望”なので
本当のところはどうなんだろう?といろいろな憶測が飛び交いました

1、手習い説<クミちゃん(仮名)>
    親戚に昔とても字の上手なおじさんがいたので、
    その叔父さんが字の手習いに何かの文書を書き写したもの。

2、ラブレター説<じゅりりん母>
    おばあちゃんの昔の恋人からのラブレター家康とは偽名。
    その人とは一度も添うことが出来ずにその恋人は若くして亡くなり
    おばあちゃんはその思い出を自分の胸にだけ秘め、
    誰にも見つからないように自分のお針箱の中にそっと隠し持っていた。
     ↑結構ロマンチック(^m^)

3、印刷物説<じゅりりん>
    字とは違うミミズのはったような痕(虫食い?)が気になる。
    もともとは別にさらに古い文書があり(それは何かはわからないけれど)
    それを印刷したもの。
     ↑一番つまらない説

こんなことなら“なんでも鑑定団”をもっとしっかり見ておくんだったと
金額にばかり気をとられていた己を嘆きつつ、歴史好きなうちの叔父に見せると、
これは「日光東照宮にある家康の言葉」だとあっさり答えが返ってきましたよ
がんくび揃えて無知とは悲しいものですなぁ・・・・・(T▽T)

ネットで調べましたらありました
「東照宮遺訓」というものらしいです。
最初の文章は有名なので聞いたことはありましたが、
それが家康の言葉だったとはね。おかげで勉強になりました

でもこれを見た限りでは、家康のものとは字体が違うので
これを印刷したわけではなく、別の人が書いたものですね。

叔父がさらに独自に調べたところによるとそこからさらに有力な説が浮上してきました。

さて、その一番有力な説とは

4、六分説(じゅりりん叔父)
   昔、日本には「村八分」という悪しき差別がありましたが、
   さらに卑下した言い方で「六分(ろくぶ)」といわれる人達がいた。
   六分とはいわゆる「乞食」のことで、彼らは家々を回り
   有名な人生訓や格言を書でしたためてそのお礼として食事を得ていた。
   (なので本来は学のある方なのでしょう。)
   その文書が残っていたもの。

↑う~ん、やっぱりこれが一番ありそうです
結局真相は闇の中ですがみんなで楽しい空想の時間に浸れました
私としては母の説がロマンがあって一番好きだったんですけどネ~

いずれにしても滅多にあるものではないので大切に取って置くそうです。


余談ですが・・・
お礼として一般家庭ではおにぎりをギッチリと握ってもたせてあげたそうなのですが
裕福な家ではきちんとお茶碗に盛ってもてなしたそうです。
・・・ですがこれ、ありがたいようで実はちっともありがたくなかったのです。
そう・・・・・お気づきですね・・・。

おにぎりは意外とご飯の量を使いますが、お茶碗ならさらりと盛っても1杯は1杯です。
金持ちとはそうやってお金を貯めるのだそうデス
人生訓・・・・・全然生かされてないやんけぇぇぇ
・・・とツッコミをいれたくなるのは私だけではないはず―――。

コメント (17)
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