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映画【めがね】

2007-10-31 23:25:48 | 映画
「かもめ食堂」の荻上監督作品。
空気感は前作同様のユルイ感じ。
あの非日常感は見物です。どうやら与論島ロケだったらしいのですが。

全編にわたって美術が徹底しています。日本であって、日本でない。かといって、西洋にかぶれすぎてもいない。
「かもめ食堂」では余りの北欧っぷりにちょっとアテられましたが、本作はそんなこともなく。
コレは好きな感じだなぁと、パンフレットを読めば本作の美術は富田麻友美という方で、私が異常に好きな「好きだ、」の美術、「ロスト・イン・トランスレーション」ではアート・ディレクションをされていたとのこと。納得です。

ところで、パンフレットも良い出来で、リトルモア社の刊行物かと思いました。
スチールは高橋ヨーコという方。以前友人の誕生日に半分冗談でプレゼントしたことがある蒼井優の写真集のフォトグラファーで、この方の写真は蒼井優が被写体だということを抜いても好き。

本作、ユルイというかリラックスという言葉の方がはまるかもしれません。
個人的くつろぎの意のリラックスではなく、自分を取り囲む世界があって、そのなかでどう快適に過ごしていくかという意で。
本作は完全に非日常なんだけれども、それは場所の話であって、そこに登場する人物までもフィクションにしてしまっていないところが好きです。
浮世離れした童話的なお話かと思いきや、割とちゃんとした大人の話。

細かい笑いも随所にあります。
しかし、それも笑いをとるためにやっているのか分からないし、この作品の中でしか笑えないことばかり。
その笑いがとても気持ちいい。
もったいないのが、宣伝用ビジュアルがこの「ちょっと面白いポーズ」のカットだったこと。(劇中で『メルシー体操』と呼ばれている体操)
劇中でもそのシーンが多用されていてここは再考の余地ありだったのでは、と思うことアリです。
このおかげで「ユルイ笑いを狙った映画なんじゃないの?」と誤解されることがありそうです。私もちょっと誤解していました。
でも、そういうイヤラシイ映画ではありません。


キャッチコピーの「何が自由か、知っている。」というのはとても上手い言葉です。
劇中では決してそのことに直接触れないけれども、作品の空気が醸し出しています。
自由気ままに暮らす南の島でのひとときも、それが自由であると言うことを知らないと自由ですらありません。
よく言われる制約の中にある自由や、何らかのの対価としての自由のとはちょっと違って「衣食足りて礼節を知る」という言葉の方に近い。物事の良い面だけを都合良く解釈しないスタイル。
この作品に物語があたのかどうかは分かりませんが、作品を通して残るものがちゃんとあります。
押しつけがましく訴えてくるのではなく、元々知っていた感覚をふぃっと呼び覚まされるような。


椅子は堅いわ、やたら背もたれは直角だわ、前の座席との間隔は狭いわ、スクリーンがデカイだけのエコノミー症候群になりそうなテアトルタイムズスクエアで観たモノの、映画はとても良い空気でした。
また観たくなる作品です。

映画【アンノウン】

2007-10-28 23:29:52 | 映画


unknown/アンノウン
2007
サイモン・ブランド


密室系サスペンス、バイオレンス風味の本作。
「ソウ」のテイストで、「CUBE」の設定を織り交ぜつつ、「レザボア・ドッグス」の舞台装置を借りて「ユージュアル・サスペクツ」の様なオチを狙った作品です。

こう書けばおわかりかと思いますが、狙いがブレすぎてて結局何がしたかったんだか分かりません。
イヤ、分かりすぎるほどに分かりすぎてしまい、コレは逆算で作った作品なんだなという思惑バレバレ。
「ラストまでに鑑賞者の思惑を3回ひっくり返す」ことだけを狙った作品です。
ナメんじゃねぇよ。

ひっくり返し方が卑怯。
この「卑怯」はB級映画に良くある理不尽ということではなく、ただの後出しジャンケンであって、興醒めしてしまう。
センスが感じられない。
良い悪いの前に、意志というセンスが感じられませんでした。

確かに裏切られますが、裏切られることを承知で鑑賞しているため、その瞬間の驚きがありません。
その安い脚本をごまかすためなのか、無駄なモーショングラフィックス的な映像処理が多い。余計。
映画はそういうもんじゃないだろう。


という思惑で観たモノの本当に予想通りの設計で、そのことに一番驚きました。

多分、監督は映画が撮りたかったんじゃなくて、視覚効果を狙ったんだと想います。



新作洋画ランキング1位に置くツタヤ渋谷店の悪意を感じた作品です。
ただの数字上の1位なんだと思いますから、やむを得無しか。
しかし、最近のリコメンド棚を観ると、どうもそれは違うんじゃないかと思うこと多々あり。
全部を見ている訳ではありませんが偉そうなこと言います。
ただのレンタル数からランキングを出すのであれば「店」なんていらないんですよ。
各人好きなものだけオンラインのディスカスなんかで借りれば良いんです。
でも、それはつまらないからお店に行くんです。何でもネットで借りられるし、買えるのにわざわざ電車に乗って、時間を使ってお店に行くんです。
その店の意志が感じられない、顔が見えない店は信用されない。で、離れられてしまう。

ツタヤ渋谷の場合はあまりの多様なターゲットに対して絞れないというのもあるかもしれませんが、少なくとも都内の映画好きはあそこに行けばアレはあるだろうという思惑で足を運び、ついでになんか面白いモノ無いかな、なんつってブラブラしているわけです。そこ、結構なロイヤルユーザーですよ。
私も学生時代に近所の小さなビデオ屋(裏ビデオ屋ではありません)でバイトしていたときに、魂を込めた手書きのPOP(商品の前に置く宣伝)を書いていたものの、ちゃんと署名すべきだったなぁと反省すべきです。
そのお店は私の陰謀でエリック・ロメール監督作品が全てそろっている無茶なお店でした。もちろんそのお店はもうありません。
新聞とか雑誌のコラムでイニシャルだけの署名で署名した気分になってるバカがいますが、それは無記名と同義。
実名伏せてブログやってる私も同罪なんですがね。

話も随分ズレましたし、このまま言を重ねると時代遅れなインターネット文化批判になってしまうのでこの辺で。
誰にとっても大切な2時間を消費させる映画の魅力は、関わる人間全てで作っていかなければいけないんだろうなぁ、と思った次第です。

映画【リトル・ミス・サンシャイン】

2007-10-24 23:43:00 | 映画

リトル・ミス・サンシャイン
2006
ジョナサン・デイトン 、 ヴァレリー・ファリス


この作品は好きです。
良い映画でした。

問題まみれの家族が娘のミスコン出場の道中のドタバタで次第にまとまっていく、という割とベタな大筋ですが、ラストに下手な大げさなカタルシスを持ってこない。
中途半端な出来事で一憂しまくる家族のお話です。全員がダメ人間。
しかし、彼らをダメと言って良いものか。

ダメな部分は誰もが持っているモノで、それを映画として抽出しちゃうとこうなっただけ。
主人公(っぽい)女の子が小デブちゃんだというのも、ネガティブ要素ではあるけれど、ソレは素直に生きていたらそうなっちゃったということで、ほぼ先天的なもの。性格みたいなものですね。性格が先天的か後天的かの話は置いておいてください。
家族の面々が抱えるネガティブは冴えないルックスに隠された表面的には浮き彫りにされないモノ。誰もが持つ偏執的な部分。簡単に言うと頑固。
その面々が節々に直面する物語が大切に描かれています。

かなりコンパクトにまとまっていて、だらだらとすることもなく、サクサクと物語が進みます。
起こる出来事が結構な些細っぷりなので、人によっては「そこは良いから早く展開しろよ」なんて思うかもしれませんが、そう思う方には全く向いていません。

ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品(マグノリア)あたり)が好きな方は好きなんじゃないでしょうか。もしくは「アダプテーション」とか。

ラストシーンも清々しいとは言い難いかもしれませんが、こういう爽やかさが好きです。
個人ありきで、そのキャラクターが勝手に走り回っている様を観ている感覚。
下手なデフォルメが無く、誰かの思惑がビシビシと伝わる訳ではありません。
自分と照らし合わせて解が見つかる様な感覚。
人生に忠実な映画、とでも言うんでしょうか。

映画【キャッチボール屋】

2007-10-24 23:14:55 | 映画

キャッチボール屋
2005
大崎章


難解なのか、ストレートすぎなのか。
多分、後者ですね。

モラトリアムモノとしてはちょっと薄味過ぎるな、というところ。
結構やり尽くされた「目標を忘れかけた(もしくは見失った)人の気付き物語」なんですが、今更こんな描き方されてもねぇ。
決して嫌いではないお話ですし、出ている役者も好きな方が多いんですが。
映画じゃなくていいじゃん、というところ。

ちゃんとしたテーマの割に、何も残らない。
何故なんでしょうか。
多分、その描き方が直接的すぎて、鑑賞者が入り込む隙が無いからでしょう。
万人に共通する出来事を織り交ぜるのが是だとは思いませんが、ここまで一つの「野球」というモチーフに頼ってしまうと、そこに興味が無い人間に響きません。
私もあまり野球に興味が無いからでしょうか。

他の引きつける要素がなかった。
「キャッチボール」というのはコミュニケーションとしてベタですが良い着眼だとは思うのです、が、それを「野球」とくっつけてしまったら全く面白味が無い。
ということで、演出云々の前に、脚本のせいですね、コレは。
ほぼ1シチュエーションで成立させようとした割に会話に全く含蓄が無く、ものすごく一般的なことしか喋らない。
「何かありそうだ」という期待をダメな意味で裏切られてしまった。
私の見方が薄いのかもしれません。


ところで、こういう現実に無さそうなお話をまとめてファンタジーと言う方がいらっしゃいますが、それは違うのでは。
ファンタジーなら全て良しというわけでもありませんが。
この「ファンタジー」という言葉が逃げ口上みたいに思えてきて最近使っていませんでした。
言葉の定義の話ではなく、果たしてその物語の中に「こうであったら良かった」と思わせる何かがあるかどうかだと思うのです。
この映画を観てそう思う方もいるのかもしれませんが、私には違いました。

映画【サッド ヴァケイション】

2007-10-22 23:31:34 | 映画

サッド ヴァケイション
2007
青山真治


シネマライズでの最終日も近かったのですが、入りは3割。平日の真っ昼間にしては入っている方では。
常々思うのですが、こういう平日の真っ昼間にこういう類の映画を見に行く人というのはどういう人なんでしょうか。

本作は北九州サーガ三部作ということで、「Helpless」、「「ユリイカ」に続く完結編ということだそうです。
しかし、扱っているテーマが違いすぎ。
本作の下敷きに「Helpless」が大きくあり、「ユリイカ」の設定は宮崎あおいを出演させるためだけの口実だったんじゃないか?と思うほどに「Helpless」寄り、というか完全に続編。
けれども、本作だけ観ても十分にテーマは伝わります。
以前の作品観るのがタルいなぁ、なんて思っている方は本作だけ観ても十分かと。その後に前2作でもオッケー。多分。


本作のテーマは「ゆるぎない女性」ということです。コレは相当真正面から響きました。
「母性」ではなく「女性」。
この言葉はプログラムの冒頭に書いてあった言葉で、チラシに書いてあったかどうかは失念。公式サイトにはビシッと書いてありました。
後付じゃないの?と思うほどに映像が即興的で、これはかなり「Helpless」寄りの演出。
整理されまくっていた「ユリイカ」とは全く違う感触。
そのなかで、本筋を通してくる青山監督はやはり演出家として相当優秀な方なんですね。自分が決して持っていない本能を映画という形で表現するなんてそうそう出来ることじゃありません。

画一的な側面を持つ「母性」という単語では表しきれない「女性」を本作では描いています。
それだけに、この「女性」を担う女優が何人か登場します。
最も印象に残っているのは借金取りの追っ手に怯えるオダギリジョーを膝に抱く宮崎あおいの顔。
私の宮崎びいきはやむをえずとしても、これは残る。と、思ったらパンフレットにもスチールが。


主人公や殆どの動きのある芝居を男性が占め、しかしその芝居が浮かび上がらせたい"女性"の輪郭を浮き彫りにします。
グダグダと自分のことばかりにかまい続ける男の視野とは全く違う女性の視野。
ラスト付近までこの物語の本来のテーマが全く分かりませんでしたが、見終われば「なるほど」と膝を打つ。
映画一本を通してちゃんと表現したいことが響いてくる。
コレが映画ですよ。
派手なシーンはありませんが、作品として残ります。



ところで、本作は日本映画の中で実力派とされる方が多数出演していますが、その中でも浅野忠信の信頼感というか、安定感がもの凄いですね。
今となっては実力派俳優として通っているオダギリジョーが本作では完全に脇。多分、浅野忠信が同じ作品にいなければ、ちゃんと際立ってきたんでしょうが、その存在を薄めてしまう浅野忠信の存在感。この人の何がそんなに凄いのか分かりませんが、一瞬で視界を奪うことができる数少ない俳優ではないでしょうか。


「青山真治作品って面倒でなんかキライ」という方が多いかもしれませんが(私もその一人でした)この3部作は必見です。
トリロジーDVD出ないかなぁ。

ドラマ【24 -TWENTY FOUR- シーズンVI 】

2007-10-21 20:48:09 | 映画

24 -TWENTY FOUR- シーズンVI
2007
製作総指揮 ジョエル・サーナウ、ロバート・コクラン


なんだかんだで1から6までシリーズ全てを観ていますが、何も覚えていません。
観るときは3日くらいで一気に観てしまうので。
本シーズンも同じくらいの期間で鑑賞。大筋は覚えていても、細かいところを全く覚えていません。
覚えているのは副大統領の秘書がエロいということくらい。


しかし、この観る者を離さないストーリー展開は凄いです。
シーズン6ともなれば多分途中で飽きるだろうと思って観ていたものの、やはり最後まで観てしまった。
ラストは24ならではのカタルシスゼロ。
あくまで24時間に起こった出来事しか描かないスタイル。情景描写なんて一切無し。


やっと途中で観るのを止めるコツをつかんだんですが、これは1話を見切らずに、比較的タルイであろうシーンで止めること。
1話開始10分くらいが良いポイントです。

映画【Helpless】

2007-10-18 23:32:02 | 映画


Helpless
1996
青山真治


新作「サッド・ヴァケイション」の為の予習です。

本作ですが、青山真治監督の劇場用長編映画一作目。
正直、分かりづらい。
先日見た「ユリイカ」の整理のされっぷりとは全く違います。

淡々とした映像で描くエッジの効いた若者像。
カットも少なく、自主制作の様な、ただ「撮りたい映像」を並べただけで何となくストーリーが出来上がってしまった様な作品。
特殊なキャラクターを登場人物全員に持たせてしまったためにコアがどこにあるのかもよく分かりませんでした。
しかし、トーンとして全編が整っていて、不思議と観られてしまう。
その先に「ユリイカ」があったとしてもなんか納得してしまう。
本作のたった4年後に「ユリイカ」にまでいってしまった青山真治監督、恐るべしです。
「サッド・ヴァケイション」はどこまで進化したのか。
楽しみです。

ところで、本作で浅野忠信が着ているのがNirvanaの"Nevermind"Tシャツ(曲名がバックプリントのヤツ)。
このジャケットの赤ちゃんは今どうしているんでしょうか。




本編と全く関係のない余談です。
随分前に観たのでもう一度見返そうと近所のビデオ屋へ行くも見あたらず。
「青山真治のヘルプレスありますか?」と聞くと「アオ・・・アオヤマ・・・ヘルプ・・・?」と。
「ヘルプレスという邦画です」と補足し、サクッと検索されてあっさり「ありません」という返事。
と言うか、何故ビデオ屋でバイトしている兄ちゃんが「青山真治」の「ヘルプレス」を知らないのかね。
大して時給が良くもないレンタルビデオ屋でバイトする意味は何かね。
むしろゲーム屋の側面を重視かね。
君はゲームで人生を変えられたのかね。そうか、それなら構わない。
そのビデオ屋はゲーム屋でもあります。

嘆かわしきは彼らの常識の低さでもあり、以前同じお店で領収書に「マエカブXXXでお願いします」と言えば(株)ではなくカタカナで「マエカブXXX」と宛名を記入して頂けました。
面白かったのでそのまま頂こうとすると何故か店舗印が無かったので「店舗印ありませんよ?」と言えば不思議な顔でこちらを見る。「お店のハンコのことです」と言えば「そう言えよ」と言わんとするふてくされ顔。
私もすっかりオッサンです。

で、結局本作は友人のS氏に借りることができました。
ありがとう。
「サッド・ヴァケイション」行ってきます。

映画【スケアクロウ】

2007-10-14 23:46:26 | 映画


スケアクロウ
1973
Jerry Schatzberg (ジェリー・シャッツバーグ)

名作の誉れ高い本作。
確かに良い作品です。グッと来ます。
今更の初見ですので普通に感想です。


ロードムービーの様な2人の男の物語で、もの凄い微妙に彼らが変化していきます。
変化していくと言うよりも、次第に心がむき出しになっていきます。
マックス(ジーン・ハックマン)は刑務所帰りの人間不信さと神経質、加えて猥雑。刑務所で貯めた金を元手に洗車商売で一発当てようとピッツバーグへ向かう。
ライオン(アル・パチーノ)は人なつっこく陽気でユーモアを常に忘れない。5年の船員生活から足を洗いデトロイトの我が家へ一度もあったことのない子どもに会いに行く。
このみすぼらしい格好をした2人が路上で出会い、旅を共に氏、徐々に心を開き友情を通わせていく、という「ソレ、本当に面白いの?」というプロット。

この2人を見事に対比させて物語を展開させています。
守るべきものがある者は強く人に優しくあることができ、反面、失うものが何もないからこその省みない強さという対比。
おぼろげながら拠り所があるライオンは常にユーモアを持ち人を気にすることができ、マックスは誰も待ってくれる者がいないと端からあきらめすぐに粗暴になってしまう。
欲しいモノを手に入れるための方法が正反対の2人。
例えとしてはちょっと遠いかもしれませんが「太陽と北風」の様な2人。
そんなマックスも、次第にライオンという友達を失わないがために、行動が変わっていきます。この展開が絶妙なのです。

はっきり言ってしまえば、ワンシーンでの強烈な面白さはありません。キメのイカした台詞もありません。
しかし、時間が積み重なっていく映画です。
アカデミー賞ではなく、カンヌのパルムドールというあたりからご想像下さい。
たった112分にこの物語を焼き付けられていることが驚きです。今だったら3時間モノになってそう。
コンパクトな尺の中に積み重ねられた時間がきっちり効いている、不思議な映画です。

「卒業」「真夜中のカーボーイ」なんかのアメリカン・ニューシネマに分類される本作です。
アメリカン・ニューシネマ全般はアンチ・ハッピーエンドと言われることが多いのですが、それは当時の社会の黙殺されていた不条理さを描いたのもので、「生きている人間がどうやって何を考えて生きているのかを描いた作品」であるからで、エンディング(結果)のための作品ではな無かったんですね。
本作も同様で、これが「エンディングのための映画」であったら、そんなどうでも良いことを描くことに何の意味があるんだ、ということになるんですが、それまでの物語こそが映画であるという考えで撮られた作品です。
映画のエンディングの後にもその主人公達は生き続けるし、生き続けなければいけないのです。
人生にすれば死こそがエンディングなのか。しかし、人は死ぬために生きてるわけじゃないという宗教がかった解釈にもなってしまいますが、ほぼそういうことでしょう。
「人生で何も起こらないことなんてあるわけがない」と言ったのは「アダプテーション」の脚本家チャーリー・カウフマンです。
オチが無ければいけないとか、ハッピーエンドじゃなきゃイヤだ、というのも良いですが、たまにはこういう作品も良いですね。


ごちゃごちゃ書いてますが、名作に間違いありませんでした。

映画【カイロの紫のバラ】

2007-10-13 22:39:33 | 映画

カイロの紫のバラ
1985
ウディ・アレン


いつも映画ばかり観ている映画好きの冴えない女と、映画のスクリーンから文字通り飛び出して来た俳優が恋に落ちるというお話。
とても素敵なお話、だけれどもそれだけではないアレン節。
映画という虚構に対する観客の認めたくない自分の人生への諦観を絶妙に描いています。
本人が映画監督であるアレン監督をして映画は虚構であるけれども、映画が自分の分身であるという背反した思いを描いているのではないでしょうか。


耐えきれないほどの退屈な日常をごまかすために映画を観て、その中に逃避していると、いつの間にかそれが現実なのか虚構なのかの区別が出来なくなってしまう・・・なんてことはありませんが、その着想を本当に映画の中でやってしまうことで、観る者にとても不思議な感覚を与えてきます。
多分、アレン監督作品が好きで良く観ているような方は、ある程度映画が好きで、その映画の中に何か特別なもの求めて観ているのではないでしょうか。それはただのカタルシスではなく、面倒なオッサンの話をわざわざ田舎まで聞きに行くような。

映画の中で起こる出来事やその中で提示される答えって、結局は虚構だったり理想で、けれどもそれがどんな残酷な話であっても、素敵なロマンスであっても、些細な出来事であっても、素晴らしく純化されていて言いたいことを端的に表すことが出来ています。出来てないのも山ほどありますが。
その表せているという感覚に出会うために映画を見ているのかもしれません。
ボキャブラリーの収集と言うことではなく、感覚として。

特に、私は口ベタなので、思ったことを瞬間的に思ったこと話すことが出来ません。間違ったことも沢山言っています。「あぁ、あんときああ言ってれば良かった」の連続。
けれども、脚本を書くときは「あぁ言っていれば良かった」ことを事前に言ってしまうのはつまらない。
難しいモノです。


アレン監督作品は「自分がこう言いたい」のカタマリで、説明くさすぎず、圧倒的な正解も見せない、けれども筋がちゃんと通っていて、一本見終わって初めて感覚として言っていることが分かるというもの。
映画を、観客との会話の結果として表現させることが出来るアレン監督、やっぱり凄いですね。

映画【LOFT】

2007-10-10 23:48:12 | 映画


LOFT ロフト
2006
黒沢清


日本ホラー界の重鎮、黒沢清監督作品。
ホラー女優として一流の中谷美紀と俳優陣は豊川悦司、西島秀俊というハズシようのないキャスティング。
しかし、ここに加わる第二の女優が大惨事を引き起こすことに。

黒沢清と言えば「CURE」ですかね。
随分前に観ましたが、萩原聖人のサイコっぷりがバツグンだった気が。

で、本作ですが、結構王道の国産ホラー方式で、サイコとホラーのミックスみたいな感じ。
どちらかと言えば、サイコ色強し。
そして黒沢清節。
カットの切り返しでもの凄い違和感のあるところに亡霊を配置してくる。
後半は間違い探しの気分もあります。
細かいところにも気を遣い、これはやっぱり日本人じゃなきゃやらない演出だろうし、観てる方も気がつかないだろうなぁという塩梅。
良いです。


しかし!
しかしですよ!
この亡霊役が安達祐実!

コレはイカンですよ。
顔がマンガのため、怖くない。むしろ面白い。
正直、安達祐実って顔の造形が面白くないですか?(※参照
序盤の顔を見せないで立っているだけであれば「うわ~~」なんですが、顔がバレちゃうと、もうコメディ。
殆ど出オチです。
終盤での寄り画での安達祐実の泥まみれにボサボサ頭、奇妙な動きで近づいてくる。何故か爆笑してしまいます。
惜しかったなぁ。


美術とかロケ地とか懲りまくってても、一人の女優がこんな有様に。
いやぁ、もったいない。

笑えましたけど、それは狙いじゃないですよね。