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運命じゃない人
2004
内田けんじ


中身無し。
何となく面白そうな感じで、その通りの映画です。
暇つぶし認定。

ただ、複数の人間の物語がパラレルに進行して交わるという脚本の描き方は本当に上手いです。
「パルプフィクション」を低予算ながら日本でやってみたかった、という作品ですね。
なかなかやろうと思っただけで出来ることではありません。
芝居も変なリアリティを出さないで、あくまで「あるかもしれないお話」としてやっているのも良いです。
けれど、それだけ。
でも、それだけでここまで引っ張れる作品も(邦画では)なかなかありません。

無理矢理に変な説教クサイ映画を見させられるのにうんざりしている方にはお勧めです。
往々にして変なヒューマンなテイストを押しつけられる邦画ですが、本作はそれをバッサリ落として、ただ脚本の妙だけで見せてくれる映画です。

得はしませんが、損はしない映画。
珍しい作品です。
「アフタースクール」は見ていませんが、多分テクニック重視の同じ様な感じだろうなぁ。
ぼちぼちの作品だと思って観たら意外とまとも、という感想。
だったら最初からハリウッドの腕利き脚本家の作品観ればいいじゃん。
レザボア観ればいいじゃん。ユージュアルサスペクツ観れば良いじゃん。


余談ですが、こういうその場限りの退屈しのぎ作品を日本映画が追いかけ始めると、ますます駄作ばかりになるんでしょうね。
本作はPFFスカラシップ作品なんですが、PFFってテクニシャン発掘の場になっているような。

さらに余談ですが、退屈しのぎに映画を観るのは大賛成です。
でも、製作が退屈しのぎみたいな映画ばかり企画して『映画離れが・・・』とか言ってんじゃねぇよ。
テレビでやれ。
ガツンと来いよ。

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イントゥ・ザ・ワイルド(INTO THE WILD)
2007
ショーン・ペン(Sean Penn)


『幸せとは、誰かと分かち合うこと』
自分探しの青年が荒野に出てくたばる寸前に思った言葉がこれ。
そういうことなんですよ。
外部性ですよ。
結局、『自分』を形成するのは他者との関係なんですよ。
で、その他者と共有できない、ないしはする気がないのは幸せな状態となり得ない。
人間原理(弱い方)の逆みたいなもんで、自分の状況が他者に認識されない限りその状態は無いのと一緒。


序盤は「卒業」かとも思うほどの青臭さと「イージーライダー」まんまのロードムービーっぷり。っつうか、「バニシング・ポイント」なのか?イヤ、「タクシー・ドライバー」かもしれない。
誰主観か判らない構成で、これは失敗作だったんじゃないか?と思わせるものの、結局人生ってこういうことなんだろうなぁ。
良い映画です。
全部がフリという暴挙なんですが、にしても良い。

永遠の中二病みたいな映画ですが、この結末は中二には出せません。
っつうか、そこまで行ってやっとそれかよ!とも思ってしまいますが、まぁ結局真理めいたことというのは恐ろしいほどに単純なことなんですね。
小難しいコト考えた結果は出発点と近かったりします。

こういう映画が好きだとか言ってると、また知り合いが一歩引いていくのを感じますが、それならそれで構わない。
好きな映画です。

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パコと魔法の絵本
2008
中島哲也


意外(?)なほどの好調な入りを見せ、予告編も好きそうな感じ。
で、随分遅いんですが観てきました。

一見子ども向けなところからポニョと比べられることが少なからずあるそうなのですが、結論から言えば作品(表現)としてポニョとパコは比べることに無理があります。
モチーフである絵本を役所広司が朗読する時に連呼する『げろげ~ろ』も『ポニョ!そうすけ、好きーっ!!』の破壊力には到底敵わず。

語弊全開で言えば、圧倒的にポニョの『自分の希望する世界』への観る者を畏怖させるほどの表現力が勝り、パコはやっぱり今流行りの飽きさせない構成で子ども向けっぽい勧善懲悪なモチーフを入れ込んだ映画です。
かといって本作が駄作だと言うことではありません。
普通に楽しめる映画です。
大きな仕掛けもなく、裏切りもなく、予定調和な世界。
本来であれば大好きなゾーンなのですが、どうも俗すぎるネタが飛び交うためシラフから抜け出せません。正直、それらのギャグが鬱陶しかった。
子どもの笑い声で判断すれば、幼児~小学生はあまり笑わず、中高生くらいのツボだった様です。

パコ役のアヤカ・ウィルソン嬢も、まぁ可愛らしいのですが、多分この子は大人になっても可愛いんでしょう。
「パンズ・ラビリンス」でのイバナ・バケロ嬢の一瞬しかないであろう最高の瞬間を撮りきったギレルモ・デル・トロ監督のパラノイアっぷりには敵いません。


予告編の質感は全く裏切らず、そのままでCGI丸出しでむしろアニメーション作品。この開き直りは好き。
キャストも『コレ誰?』ってくらいのメイクっぷりで、途中まで妻夫木君に気づけませんでした。
で、顔がイマイチわからないことで気づいたのが加瀬亮さんの声の良さ。
会話の中でもその先の人間にまで届かせようとする声。これに初めて気づきました。
ちょっと甘ったるい感じで好きずきはあるかもしれませんが、これは久々の発見でした。

やりきることに対するある種の照れを感じてしまった。
もっと行ききってしまったらもっと良い作品になったはずなのに。
中島哲也監督が表現したかったものを照れ隠し無しで観てみたいです。

なんというか、全体的に及第点を狙ったために突出してない作品です。
ちょっと、もったいない。

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僕らのミライへ逆回転(BE KIND REWIND)
2008
ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)


もうね、何というか、映画が好きなんですよ。
こればっかりはどうしようもない。
歴史に残る名作とか、文芸作品の最高峰とか、パルムドールがどうとか関係なくて。
『僕は、なんかエライ賞とかはどうでもいいのよ。
映画が好きな人が観て喜んでくれる映画を創りたかった。
というか僕が観たかったから撮った』

という映画。憶測ですが。
いやさ、これ観て難癖つけたりする人は人格から否定したくなるくらい。
これを観て無抵抗感涙する人とは何も語ることはないくらい。


「HOT FUZZ」の回でも似たようなこと言ってましたが、同じ気分で観ていただけたらと思います。
いろんな映画が出てきますが、予備知識も何もいりません。
『好きなんだから良いじゃないか』という感が満載。

原題のタイトルは「Be kind rewind」英語がダメな私にはなんとなくしかわからないけれども、なんとなくVHSをレンタルしてそれで育ってきた映画好きの為の言葉。
ちなみに、私のバイトしていたビデオ屋では『巻き戻しはしなくてOK』でした。むしろ、それがウリでした。


希代のアナログテクノロジストが満を持しての作品。
結局、僕(ゴンドリー)がやりたかったのって、最先端のCGIとかじゃなくて、こういうヤツ。ってのを最前面に押し出しまくってやりきった作品。
そりゃ序盤は詰め込みすぎてたり、その映画ネタ?ってのもありますが。

でも、私は全力でこの映画が好きです。
『くだらねぇなぁ』とか『予定調和じゃん』なんていうボケナスな感想も込みで。

クオリティとか技法じゃない。
笑いながら観てたはずが、いつの間にか喉にこみ上げるものが。
この映画のラスト30分を涙をこらえずに観られる方はどういう人なのか。

良い映画だった。

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トウキョウソナタ
2008
黒澤清


面白い。良い映画でした。
大きな流れ(社会の潮流)に翻弄されまくる、ある家族の物語です。

ホラー監督として今後も行くのかと思いきや今回は家族モノ。
しかし、ただのノホホン家族モノでは決してありません。

「ある種の希望にたどり着きたかった」というのが黒澤清監督の弁。確かにラストは「ある種の希望」。この作品でなければそれが希望に成り得ません。
大きな流れに翻弄され、崩壊してる?と思わんばかりのバラバラの家族。それをなんとかまとめ上げるのは、やはり大きな流れ(偶然込み)だった、と言うところでしょうか。ちょっとズルいなぁ、という気も。
ただ、あのラストのおかげでさらに複雑な気分になります。
ある一点の直接的な希望のおかげで、ズタボロの人生でさえやりなおせるという気分になるとは、人間とは打算的なものだなぁ、と。
というか、そもそもそういう打算的な人生を歩んできた人間にとっての希望は、やはり打算的なものでしかないですね。


ところで今年、実力は作家監督の家族モノを3本観てきたわけです。まだあるかもしれませんが、自分比で。
橋口亮輔監督「ぐるりのこと」
是枝裕和監督「歩いても 歩いても」
黒澤清監督「トウキョウソナタ」
結局描いている「事」自体は結構共通しているのですが、視点の違いで全く違った作品になっています。当然か。しかし、どれも良い作品でした。私が家族モノが好きなわけではありません。


「ぐるりのこと」は主観的な目線でプライベートをのぞき込む。そのなかで10年連れ添った夫婦にしか感じることの出来ないであろう愛おしさを描く。
監督自身の願いが込められた表現。一つの理想を追いかけた作品。

「歩いても 歩いても」では超客観視である家族の1日だけを切り取り、その中で家族の関係性を描き、どうしてもつながってしまう家族の姿を描いています。
思いついてしまったことを忠実に映像化した表現。観る者の人生と作品を重ねた上で出てくる何かしらの図。何を思うかは鑑賞者任せ。とはいえ「ささやかな幸せを構成する何か」はビシッと洗われています。

「トウキョウソナタ」は完全な劇映画として一つの家族にあらゆる要素を詰め込み『これだけ悲惨な出来事をつなげるとどうなって、それを回復させる兆しは何なのか』という人間観察実験のような作品。視点の冷ややかさを感じます。黒澤清監督が冷酷だと巻がている分けではありません。映画は、あくまで芝居であり、実際の人生との関わりはそれほど意に介していない。
翻ってどんなテーマでも描いて見せるというプロフェッショナルな感じ、とでも言いましょうか。



本作はあくまでもファンタジーとして仕上げています。
リアルな人間の性というよりは、フィクションの中にリアリティを持たせてメタフィクションの様な芝居めいた作品です。ミュージカルみたい。
鑑賞者の感情をコントロールしようとする意図を感じてしまう作品。
まぁ、どの作品もそうなんでしょうけれど、結構操作されちゃった感あります。
『作家の抱く何らかの感情を表現するための作品』か『鑑賞者に何らかの感情を抱かせるための作品』かでいったら明らかに後者。
とはいえ、作品としては凄く面白い。複雑な気分です。

好みから言えば、やはり「歩いても 歩いても」です。
一本の作品に掛ける情熱は各作品ともに同じであったとしても、結局は観る側の好みですね。
身も蓋もない話ですが。

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コレクター(THE COLLECTOR)
1965
ウィリアム・ワイラー (William Wyler)


一応、本作(コレクター)の感想です。本筋とあまり関係が無いと思われるかもしれませんが、中盤でかわされる「ライ麦畑でつかまえて」を巡る会話が素晴らしい。

ある種の自閉症に追い込まれたコレクター(監禁してる人)と健常者だと思ってる人(監禁されてる姉ちゃん)の会話のズレが本作の全てと言っても過言ではないかと。

全て、というかこの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだときに主人公に同化できるかどうか、というか同化しすぎて嫌悪感を抱くコレクターの心情を察するに、とても他人事だとは思えません。
彼の言葉で「ライ麦畑でつかまえて」の主人公(ホールデン)が『どうして名門校に通って、金もあるし、友達もいるのに彼は反抗するんだ?それが僕には分からない」という場面があります。
そう!そういうこと!
そこに疑問を持つかどうかでその人の懐の狭さが伺えるというものです。
理解する姿勢がない。自分に持っていないものを持っている人間が不幸であるわけがないという誤解。
翻って監禁されてる姉ちゃんの「彼の苦悩がわかる」という無責任な発言。
そう!そういうこと!
安直に「わかる~~」とか言ってるバカ。
これは自分に決定的不満を見いだせない人間の発する一言。それこそ一度でもそこに陥ったことのある人間にとって「オマエらの無関心さがオレ達の様な人間を生んだんだ」と追い込む一言に間違いありません。
コレクターの彼を逆上させるに十分な言葉です。
そして「どうして彼が嫌いなの?」と姉ちゃんが聞けば「話し方が嫌いだ」と、もう小学生の文句。最高です。
冴え渡るこの件。

ちなみに、この会話の終盤では学歴コンプレックス丸出しの「オマエらは偉い人が良いと言ったから良いと思ってるだけだ!」とコレクターがピカソの画集を破り捨てたりします。良いですね、こういう中学生っぽい感じ。既に自分内での判断基準すら失い「偉い人が良いと言っているものは全部クソ」というルールが上書きされてしまっている。
もしくは、新たに捉えた採集物(姉ちゃんのこと)に自分の価値観をすり込もうとするも失敗の図。チョウチョの様にはいかなかった、と。
今まで人間と接していなかった故に、自分内で発生した不条理が理解できないコレクター。バツグンです。


サイコサスペンスの皮をかぶった自閉症映画。
本作を語るに、この件に造詣の深い方はどうお考えでしょうか。

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グミ・チョコレート・パイン
2007
ケラリーノ・サンドロヴィッチ


邦画らしい邦画。
けれど、ケラリーノ監督の独特なセンスが面白い映画です。
劇場も行こう行こうと思いつつ終わってしまった。

原作は小説・漫画共に読んでいるのですが、それとも違うほぼオリジナルな内容。既読な方にもオススメです。

ただ、美術が酷すぎ。っつうか狙いなんでしょうか。チープ感の演出と手抜きは違うと思うんですが。
これが邦画の現状だと思うと先が思いやられます。
80年代の高校生がグラミチの短パン(緑)しかも2007年の現行モデル履いてるってどうなんでしょう?せめてロゴを取るくらいはして欲しいもの。
これは低予算故じゃないですね。
とはいえ、予算を圧縮しているのが美術・装飾部判断ではなく、プロデューサ判断であるのは容易に想像できます。
低予算の作品を撮ろうとすると真っ先に削られるのがその部分の予算だったりしますので痛し痒しだったりするんですが。


で、本編の話しなんですがオーケンの原作は後半(特にチョコ編)では「オレは人とは違う(サブカル全開)~エロ小説」へ破綻しまくってますが、面白かった。
漫画版は「サブカル全開高校生~オレはロックをやる」というストイックな展開。面白かった。
本作は基本線が「オナニーしかすることがないモンモンとした高校生(サブカル甘め)の純情」という牧歌的な作品に留まっていますが面白かった。

編集で相当カバーしていますが、もう少し丁寧に撮った方が良いとも思います。
けれど、良心的な作品です。
それだけに惜しい。

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イリュージョン・ホテル
2006
カートニー・ウェアン(Cartney Wearn)


よくあるホラーの定石。
男女で肝試しに行ったら本当に怖い目にあったというお話です。

ただ本作の場合、ホラーではなくミステリというジャケ裏だった(気がした)ために完全に期待はずれ。
日本での売り方が間違ったんでしょうが、これは完全に古のホラー文脈です。
ミステリを期待された方は相当腹が立つことでしょう。

だから、売り方をもうちょっとちゃんとしようよ。
原題(PRAY FOR MORNING)がちゃんとホラーしているのに、日本だとどうしてこうなっちゃうんでしょう。
国内で評価が低いのもやむを得ず。
本来のユーザーへ届くと良いんですが。

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散歩する惑星(SONGS FROM THE SECOND FLOOR)
2000
ロイ・アンダーソン(Roy Andersson)


シュールにも程がある。
正に、別の惑星でのお話のような常識を一切排除した様な世界。
地球と共通する価値観は「誰かがいるおかげで世界が成り立っている」ということくらい。

しかし、ロイ・アンダーソン監督のフレームは恐ろしいほど計算されているのか、隙が全くない。隙だらけであるように見せて、ぐるっと見渡すとやっぱり画面の端まで意識が届いている。サスガはCM監督。
けれども、不思議なのがキューブリック監督の作る自分の欲望で完全に計算され尽くされたフレームというわけではないし、ティム・バートン監督の様な奇妙過ぎる映像でもない。一瞬、現実にあるユルユルのように感じる映像。けれど、やっぱり現実離れした映像。
この感覚は何なんだろうと脳内検索したところ、出てきたのはやはりカンヌ国際広告祭での数々の受賞CM。
ロイ・アンダーソン監督はカンヌの常連だそうで。

ちょっとだけ日常の見方をずらすと全く違う世界が見えるということを実際に映像にしてしまった。これは凄い。
日常にグロテスクさを加味した映像が多いのですが、そのグロテスクさが子供の頃に虫の足を悪意無く抜いてしまうかのような感覚。
ロイ・アンダーソン監督はどういう人なのでしょうか。
常識のバランス感覚が優れていないことにはそこから逸脱することは出来ません。書道で言ったら楷書が書けなければ草書が書けないのと同じようなものですね。
お会いしたら素晴らしい紳士なのかもしれません。
まぁ、予定はありませんが。

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