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映画【リトル・ミス・サンシャイン】

2007-10-24 23:43:00 | 映画

リトル・ミス・サンシャイン
2006
ジョナサン・デイトン 、 ヴァレリー・ファリス


この作品は好きです。
良い映画でした。

問題まみれの家族が娘のミスコン出場の道中のドタバタで次第にまとまっていく、という割とベタな大筋ですが、ラストに下手な大げさなカタルシスを持ってこない。
中途半端な出来事で一憂しまくる家族のお話です。全員がダメ人間。
しかし、彼らをダメと言って良いものか。

ダメな部分は誰もが持っているモノで、それを映画として抽出しちゃうとこうなっただけ。
主人公(っぽい)女の子が小デブちゃんだというのも、ネガティブ要素ではあるけれど、ソレは素直に生きていたらそうなっちゃったということで、ほぼ先天的なもの。性格みたいなものですね。性格が先天的か後天的かの話は置いておいてください。
家族の面々が抱えるネガティブは冴えないルックスに隠された表面的には浮き彫りにされないモノ。誰もが持つ偏執的な部分。簡単に言うと頑固。
その面々が節々に直面する物語が大切に描かれています。

かなりコンパクトにまとまっていて、だらだらとすることもなく、サクサクと物語が進みます。
起こる出来事が結構な些細っぷりなので、人によっては「そこは良いから早く展開しろよ」なんて思うかもしれませんが、そう思う方には全く向いていません。

ポール・トーマス・アンダーソン監督の作品(マグノリア)あたり)が好きな方は好きなんじゃないでしょうか。もしくは「アダプテーション」とか。

ラストシーンも清々しいとは言い難いかもしれませんが、こういう爽やかさが好きです。
個人ありきで、そのキャラクターが勝手に走り回っている様を観ている感覚。
下手なデフォルメが無く、誰かの思惑がビシビシと伝わる訳ではありません。
自分と照らし合わせて解が見つかる様な感覚。
人生に忠実な映画、とでも言うんでしょうか。

映画【キャッチボール屋】

2007-10-24 23:14:55 | 映画

キャッチボール屋
2005
大崎章


難解なのか、ストレートすぎなのか。
多分、後者ですね。

モラトリアムモノとしてはちょっと薄味過ぎるな、というところ。
結構やり尽くされた「目標を忘れかけた(もしくは見失った)人の気付き物語」なんですが、今更こんな描き方されてもねぇ。
決して嫌いではないお話ですし、出ている役者も好きな方が多いんですが。
映画じゃなくていいじゃん、というところ。

ちゃんとしたテーマの割に、何も残らない。
何故なんでしょうか。
多分、その描き方が直接的すぎて、鑑賞者が入り込む隙が無いからでしょう。
万人に共通する出来事を織り交ぜるのが是だとは思いませんが、ここまで一つの「野球」というモチーフに頼ってしまうと、そこに興味が無い人間に響きません。
私もあまり野球に興味が無いからでしょうか。

他の引きつける要素がなかった。
「キャッチボール」というのはコミュニケーションとしてベタですが良い着眼だとは思うのです、が、それを「野球」とくっつけてしまったら全く面白味が無い。
ということで、演出云々の前に、脚本のせいですね、コレは。
ほぼ1シチュエーションで成立させようとした割に会話に全く含蓄が無く、ものすごく一般的なことしか喋らない。
「何かありそうだ」という期待をダメな意味で裏切られてしまった。
私の見方が薄いのかもしれません。


ところで、こういう現実に無さそうなお話をまとめてファンタジーと言う方がいらっしゃいますが、それは違うのでは。
ファンタジーなら全て良しというわけでもありませんが。
この「ファンタジー」という言葉が逃げ口上みたいに思えてきて最近使っていませんでした。
言葉の定義の話ではなく、果たしてその物語の中に「こうであったら良かった」と思わせる何かがあるかどうかだと思うのです。
この映画を観てそう思う方もいるのかもしれませんが、私には違いました。