キャッチボール屋
2005
大崎章
難解なのか、ストレートすぎなのか。
多分、後者ですね。
モラトリアムモノとしてはちょっと薄味過ぎるな、というところ。
結構やり尽くされた「目標を忘れかけた(もしくは見失った)人の気付き物語」なんですが、今更こんな描き方されてもねぇ。
決して嫌いではないお話ですし、出ている役者も好きな方が多いんですが。
映画じゃなくていいじゃん、というところ。
ちゃんとしたテーマの割に、何も残らない。
何故なんでしょうか。
多分、その描き方が直接的すぎて、鑑賞者が入り込む隙が無いからでしょう。
万人に共通する出来事を織り交ぜるのが是だとは思いませんが、ここまで一つの「野球」というモチーフに頼ってしまうと、そこに興味が無い人間に響きません。
私もあまり野球に興味が無いからでしょうか。
他の引きつける要素がなかった。
「キャッチボール」というのはコミュニケーションとしてベタですが良い着眼だとは思うのです、が、それを「野球」とくっつけてしまったら全く面白味が無い。
ということで、演出云々の前に、脚本のせいですね、コレは。
ほぼ1シチュエーションで成立させようとした割に会話に全く含蓄が無く、ものすごく一般的なことしか喋らない。
「何かありそうだ」という期待をダメな意味で裏切られてしまった。
私の見方が薄いのかもしれません。
ところで、こういう現実に無さそうなお話をまとめてファンタジーと言う方がいらっしゃいますが、それは違うのでは。
ファンタジーなら全て良しというわけでもありませんが。
この「ファンタジー」という言葉が逃げ口上みたいに思えてきて最近使っていませんでした。
言葉の定義の話ではなく、果たしてその物語の中に「こうであったら良かった」と思わせる何かがあるかどうかだと思うのです。
この映画を観てそう思う方もいるのかもしれませんが、私には違いました。
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