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映画【ヒューマンネイチュア(HUMAN NATURE)】

2008-05-30 01:26:39 | 映画


ヒューマン・ネイチュア(HUMAN NATURE)
2001
ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)


コメディと言うよりもパロディ、パロディと言うよりもオマージュ、オマージュどころかコメディという作品。

脚本は病的とも言える伏線回収師であり、構造至上主義のチャーリー・カウフマンです。
監督は不治の中2病患者ミシェル・ゴンドリー
スパイク・ジョーンズ監督じゃなくて良かった。プロデューサーとして参加しています。

多毛症に悩む女性、野性で育った男、文明にスポイルされた男と女が、がっぷり四つに組んだお話。各々のパーソナリティの根幹でぶつかり合うドラマです。
コメディ全開なジャケ裏のテキストだったりしますが、そこはチャーリー・カウフマン。それだけで終わるわけがありません。
大筋としては「正直であると言うことはどういうことだ」というところに帰結していると思います。
結構ハードコア。
テーマは結構アレン監督がやっていることと共通。ニューヨークの図書館とか美術館とかカフェとかテレビスタジオなんかを行ったり来たりする痴話喧嘩映画と同じ構造。


本作を観て思い出したのが、多分、小学生くらいの時に先生に聞いたかテレビで聞いた件。
『あるテレビのドキュメンタリー取材班がアフリカに取材に訪れた。その時に取材の対象となった少年に先払いのギャラの代わりに靴をあげた。それまで彼は裸足で生活していた。クルーは「アフリカの少年」らしさを演出するために「撮影中は靴を脱いでくれ」とお願いしたのだが、少年は一度手にした靴を決して脱がなかった。』
結局こういうことで、一度快適なものを手に入れたらそうそう手放せません。
しかし、本作で語られている「言葉」と「文明」に於いて言うと、それをして快適と言うのか。
人に自分の考えを伝えることや何かを理解するということは結局ただの「ふるまい」でしかないのか。
本作のパフ(野性で育った後人間に文明を叩き込まれた男)を観ているとそんな気になります。

で、「言葉」を「情報」もしくは「便利なもの」とすると、現在は既に飽和してしてまっている。
飽和してしまったものであったとしても何らかの付加価値をつけて発信するのがメディアであるのですが、その付加価値は結局受ける側が感じることであって、発信側(メディア)が創り出すことが出来るものじゃないんですね。
そうすると、創る側の私たちは何を送り出せば良いのかというよりも、どう送り出すかということになってしまいます。これは広告の考え方ですね。
けれど感情というのは結局明文化できないもので、受け手によって千差万別(超文字通り)なのです。「ものを買う」と言うのも一つの感情からのアクションであって、AIDMA(Attention、Interest、Desire、Memory、Actionという古からの広告業界に於ける脳内購買システムの考え方)を持ち出すまでもありません。最近だとブログとか読んでてInterestが働き、SearchしてActionなんてこともよくあります。で、何で買ったのか後から考えてもよくわからない。理由が後からわからない買い物が増えた。
しかし、「芸」によるDesireは割とちゃんとした「~だからコレが欲しかったんだ」ということが残ることもある。
そこに到達できない「芸」は結局消費されるだけでテレビと同じように3秒経ったら忘れてしまう。

っつうか、何からのProblemを解決するためのSolutionとしての役割を映画に求めてんじゃねぇよ、という広告のロジックを映画にくっつけて売るやり方が嫌いだということを言いたかっただけです。詳しくはこないだの「ノーカントリー」の回をどうぞ。
※本作への批判では決してありません。

映画【ニュースの天才(SHATTERED GLASS)】

2008-05-29 01:07:45 | 映画
 
 
ニュースの天才(SHATTERED GLASS)
2003
ビリー・レイ(Billy Ray)


完全に期待はずれ。
捏造で社会を操る愉快犯的ライターの話でもなく、捏造記事を追求した社会派作品でもなく。
ただの20代中盤の若者がモンモンとしたわだかまりから良識ある社会派雑誌のライターでありながら記事を捏造する、でバレたところで無理矢理辻褄を合わせようとしてドツボにはまる。そんな映画です。

売り方間違ってるんじゃないかなぁ。
ツタヤでは「シリアスドラマ」のコーナーだし、「ニュースの天才」なんてタイトルからすると、やっぱり痛快な「Catch me if you can」みたいな世紀の愉快犯のお話を想像してしまう。
むしろ本作は遅咲きの反抗期を迎えた未成熟大人の物語で「卒業」あたりと近いのでは。のでツタヤ的には「青春」コーナーにあったほうが合点がいきます。

実話を元にした映画で、その実話中にある要素はもの凄く面白いんですが、どうしてこんなイチ青年の葛藤というコンパクトな話にしてしまったのか。
もっとエンターテイメントに特化した面白い映画になるはずなのに。
下手な社会派作品が好きなトム・クルーズがプロデューサーということも一因なのか。
もしくは、草の根からはい上がる青年のお話というインディペンデントっぽい切り口でやった方が面白かっただろうなぁ。

映画【2010年(2010)】

2008-05-28 01:27:05 | 映画
 
 
2010
1984
ピーター・ハイアムズ(Peter Hyams)


映画史のみならず全世界的な歴史に残る傑作「2001年宇宙の旅」の続編を撮るという無理難題をやり遂げたハイアムズ監督の男気みなぎる本作。

本作は「2001年宇宙の旅」の続編としては16年の年月を考えるまでもなくあまりにもチープなんですが、むしろそれは捨てて別の角度で描かれています。
映像美や哲学ではなく「宇宙で困ったことがあったらきっと人間はこんな行動をするだろう」というの「アポロ13」みたいな映画。SFアクション映画としての側面が強く、人間同士の衝突がメイン。
とは言ってもHAL9000を正面から撮ったときのレンズフレアは無いでしょ。そこにレンズフレアがあったらHAL9000のキャラクターが無くなってしまって、ただの機械になってしまう。
それが狙いか。

中学生くらいの頃に「2001年宇宙の旅」の続編として「2010」を観たときは、実は「こっちの方が好きだなぁ」とか思ってました。分かりやすいもの。しかし、あれから十何年間、二度と観ることはありませんでしたが。
比べることが無意味ですね。
「2001年宇宙の旅」は、誰かがモノリスに仕掛けた謎に導かれるようにじわじわとその深みに連れて行ってくれる作品ですね。

しかし、恐れることなく(とはいえプレッシャーは恐ろしいものだったでしょう)撮ったハイアムズ監督の心意気たるや。

映画【うつしみ】

2008-05-27 00:16:24 | 映画
 
 
うつしみ
2000
園子温

インディペンデント劇映画とそのメイキング(稽古)とドキュメンタリーとが入り交じる「アレ?メイキング再生しちゃったかな?」と我が目を疑う作品です。

とはいえ、モチーフが「走り続ける体」に一貫しています。
愛知県の美術館企画でテーマが「身体」という意外に縛りが一切無いというもの。

正直、本作を映画としてはあまりオススメ出来ませんが、思うところは少なからずある映画です。
本筋(?)は走り続けることが大好きな少女と、それに翻弄される男(おでん屋)の二人の話。
そしてドキュメンタリー(兼メイキング)としてインサートで登場するのは荒木経惟・荒川真一郎・麿赤児という、その筋では超一流の方々。生き様と言っては言い過ぎかもしれませんが、それを垣間見させる映像。

話はズレますが、最近漫画の「F(エフ)」を読み返していて、その劇中の赤木軍馬の台詞。チームメイトの死を目の当たりにし、火に対して恐怖を抱いていた軍馬。しかしそれを克服した軍馬の台詞。
「瞬間を全力で生きることが恐怖を忘れさせてくれる」
ビビっているのは結果が怖いだけで、それだけ暇なんだったら今真面目にやれよ、ということなんですが。
ちょっと余裕が出てくるとそれに慣れてしまって結果を出す前にあーだこーだ屁理屈をこねくりまわす様になるもんです。私もそうなんですが。

映画【イカとクジラ(THE SQUID AND THE WHALE)】

2008-05-26 00:41:12 | 映画
 
 
イカとクジラ
2005
ノア・バームバック(Noah Baumbach)


ノア・バームバック監督とはいえ、随所に響き渡るウェス・アンダーソン節。
キャラの描き方と言い、編集といい、まんまです。
面白かった。

両親の離婚によって父親と母親のもとを週の半分ずつ過ごすことを余儀なくされ、だんだん壊れていく兄弟の話です。もちろん、ウェス節によって何も解決しません。
けれど、ラスト付近に見える急激に成長した(様に見える)兄弟の姿にはある種の感慨を感じざるを得ません。
「ロイヤルテネンバウムズ」でわがままなだけの爺ちゃんのラストと通じるものがありまくります。

人を描くというのは、やはりこういう突拍子もない(事実は小説よりも奇なりな)ストーリーの方ができるんですね。
自分の身に起こるはずもない展開に、自分を置き換えてみると、そこには今まで考えもしなかった行動が浮き上がります。そしてそれに全く沿わない劇中の人物の行動。
一見理性的に見える人間のキチガイじみた行動。その中に見いだす人間性。誰に自分を重ねるかで改めて分かる自分の性癖。
想像が絶えない映画です。

友人に「これ、結構良かった」といっても食いつきが悪い本作ですが、ウェス・アンダーソン監督作品が好きな方は是非。

映画【ぐるりのこと。】

2008-05-21 01:00:39 | 映画
 
 
ぐるりのこと。
2008
橋口亮輔


この映画、大好きです。

140分という割と長尺にもかかわらずその時間を感じさせません。
試写にて鑑賞させていただきました。
橋口監督ということもあり期待せざるを得ませんでしたが、その期待に十分応える作品でした。むしろ、それ以上。
同行して鑑賞した方は『「ハッシュ!」の方がもっとエッジが効いてた』という感想だったのですが、むしろそのエッジの鈍さというか、まさにタイトルにある「ぐるり」と人を描く目線がとても好き。
説教クサイ台詞を言うでもなく、とんでもない事件が起こるでもない。
そのとりとめもない夫婦の姿をドキュメントのような目線で追った作品。
恐ろしいほど真剣に撮られた映画です。
もちろん、見た目の派手さはありませんし、物語の奇抜さもそれほどありません。
しかし、そんなことはむしろ邪魔。


設定では法廷画家の夫(リリー・フランキー)と小さな出版社に努める美大卒の妻(木村多江)という夫婦。
この二人、というかそれ以外にも良い役者さんが多数出演しています。おかげで、随分と個性的な人間ばかりが出てきますが、それらは香辛料に過ぎず。
物語の節々出てくる過去10年を騒がせた数々の事件。その法廷を描く夫。
でも、その事件たちはなんだかその時間を感じるための舞台装置であったのでは。その事件の時に感じた気持ち。そのときに交わしたその事件に関する会話。それを含めての私たちの時間。
そうではないのかもしませんが、私はそう感じました。
「わたし」の中心はすべからく「あなたとわたし」であるべきなのだなぁ。

あまりに脇の役者さんが上手いために「そこもうちょっと上手いこと描いたら面白いのになぁ」なんて気分にもなりますが、そこを掘らないことで、むしろその一見アクの強い人たちと対比させることによって主人公夫妻の凡庸さが際だっています。


ただ「離婚しない夫婦」を描いた「だけ」の作品です。その夫婦を巡る出来事は他人から観たら酒の肴になる程度の事件しか起こさない。けれどもその周辺の出来事を描く橋口監督の目がものすごく暖かい。暖かいというか、こういう目で人を見ることができることが羨ましい。
前作からの6年を費やした作品とのこと。しかし、その年月は別としても橋口監督の想いを超えた魂が入り込んでいる気がします。おかげで、作品との距離を感じてしまった。あまりにもプライベートな目線。
決して号泣する映画ではないと思うのですが、節々でニヤつきつつノドの奥が締め付けられる気分になります。
そして鑑賞後、シーンを思い出すほどにどんどん締め付けられる。
家に帰っても思い出される数々のシーン。
目に付く何かを見ることで思い出す何か。
まるで、誰かと一緒に聴いた音楽をもう一度聴くような感覚。


愛おしいとはこういうことか。

この映画を観たあとに頭の中に描きたいのは誰の顔でしょう。

映画【パーク アンド ラブホテル】

2008-05-16 00:23:37 | 映画
 
 
パーク アンド ラブホテル
2008
熊坂出


ベルリン国際映画祭新人作品賞を受賞した本作。
初日の舞台挨拶込みで鑑賞。

現代を生きる、少しの問題を抱えた女性たちの物語。
登場人物達は皆、言葉少なに自分を語り、いつの間にか去っていく。
その関わりで少しだけ変わる彼女たち。
パンフやチラシには「女性への応援歌」となっているのですが、そこまでのオッスな感じではなく、少しだけ変わる可能性を示唆するだけ。
人によってはただの自閉症から健常者に戻っただけの彼女たちを見て「何を描いているんだ?」と感じることがあるかもしれません。
しかし、本作で一番好きなのが、彼女たちが「気付くだけ」だということ。その後にヒーローが現れるわけでもなく、突然おかしな行動をするわけでもない。
ただ「気付くだけ」で変わる可能性を示す。
そして私たちは彼女たちのその後を思い描く。


ほとんど絵本のようなお伽噺の世界で、それを現代という舞台で描いているからそう思われてしまうのかもしれません。
「リアルさ」というのは本作において蛇足であり、その「リアルさ」をすっ飛ばした上での目線が必要かと。
そういう意味で舞台をラブホテルという日常から切り離された世界に置いているのでは。

大げさな舞台装置は使っていません。
タイトルでもあるラブホテルの上の公園というのも、主人公というかストーリーテラーのりりィの人格として機能しています。
人との関わりに疑問を持つ人々がやってきては去っていく一つの通過点。
ラブホテルの屋上にある公園という、普段ありえない状況に出会ったとき、そしてその時に自分が何らかの問題を抱えていたとき、そこにどういう人格を見いだすか、というお話。その公園の擬人化がホテルのオーナーであるりりィであったのかもしれません。妖精と言ったら語弊があるかと思いますが、そんな感じです。


4人の女優の演技が本当に瑞々しい。まるで、彼女たちの実生活を垣間見た様な感覚になります。
そして、そこにちょっとしたスパイスを効かせる小学生達。

若手監督にして陥りがちな無駄なサービス精神で伏線を回収しまくり盛り上げるラストも無く、かといって自分の思いの強さだけで語る出口のないお話なわけでもない。
全編を通して先を急がず、十分に理解させる間をとる演出。
「オレ!オレ!オレ!」の言いたいばっかりのタランティーノとかのシネフィル作品とは真逆です。それはそれで好きなんですが。
じっくりと人の話を聞き、それをちゃんと反芻し言葉を返してくれる熊坂監督の人柄がにじみ出るような作品でした。

本作の熊坂監督とは大学生の頃にちょっと縁があって、そのころ書かれていた脚本を読ませて貰ったり、撮影に遊びに行ったり。
受賞の記事を読んで何年かぶりに電話して、その後立ち飲み屋でひたすら映画談義。楽しかった。
本作なのですが、知人だと言うことを抜いてもとても良い作品です。これは好き。

映画【爆裂都市(BURST CITY)】

2008-05-15 00:15:48 | 映画
 
 
爆裂都市 BURST CITY
1982
石井聰亙


何だかわからないモヤモヤした反骨心を映像にしてみました、という石井監督作品。
作品としては「狂い咲きサンダーロード」をもうちょっととりとめなくしてみました、という感じ。
「狂い咲き~」の方が好きだなぁ。

遠藤ミチロウ率いる黄金期のスターリン(劇中ではマッド・スターリン)のライブ映像が見られる貴重な作品です。
やっぱり陣内率いるザ・ロッカーズでは到底太刀打ちできない存在感があります。もちろん内臓撒いてます。これは必見。
日本のパンクスの真骨頂でしょうか。
ロッカーズなのかパンクスなのかの境界線が無いままとりあえず反体制を映像化してしまったために漠としすぎたなぁ。でも、そのくらいが良かったのか。
反体制とか言って、刃向かうのが街のチンピラというが微笑ましい。

登場人物が反体制を唱えるよりも監督の立ち位置としてのパンクな感じがそれほど感じられません。
この辺は、最近のやりきりまくったインディーズ映画からの影響でしょうか。
本作はパンクと言うよりも「それを撮ってみたい」という気概。あ、それこそがパンクなのかも。


やっぱり遠藤ミチロウがカッコイイ。
30過ぎてこんなこと言ってるとバカだと思われてもしょうがないな。

ちなみに、遠藤ミチロウの最近はこちら。「Diary」がやけに微笑ましい。顔文字ですか・・・。

映画【ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR】

2008-05-14 00:12:23 | 映画
 
 
ゴッド・スピード・ユー!/BLACK EMPEROR
1976
柳町光男


関東全域に勢力を誇った暴走族「BLACK EMPEROR」を追ったドキュメンタリーフィルムです。
思ったことを正直に言えば「カッコイイ」し「まとも」だということ。

警察との小競り合いから始まる本作。
特攻服を着て喧嘩に行くのをメインとする暴走族のちょっと前の世代なんでしょうか。各々思い思い(主に細身のパンツ+タートルのカットソー+Vネックセーター)の格好でバイク(あんまりゴテゴテした改造してない)にまたがり「俺達はツーリングチームなんだ」と言ってバイクにまたがる。まぁ、乗っちゃえば今とあんまりかわらない迷惑走行がメインなんですが。

暴走族側の目線で追っい、かつ監督の想いがバンバン入り込んでいるため(殆どのドキュメンタリーがそうで、そのスタイルに文句を付けるわけではなく)少年達がもの凄く生き生きしています。瞳が超キラキラ。
確かに、彼等に明確な目標はまだ無いかもしれませんが、生き生きとすることができるコト(趣味)を持っているだけで全然違います。
休日ともなれば一日中家に籠もって映画を見続ける30代よりぜんぜんまともです。
直前に観た「国道20号線」に出てくるようなチンピラともヤンキーとも言えないただの無気力な若者(20代中盤)と比較しても全く違う。

また、家族と暮らす家に入り込んだキャメラが捉えた母親との会話。翌日に家庭裁判所へ行かなければいけないので付き添いをなんとか母にお願いしようとする少年と母親との会話がまた良い。殆ど牧歌的ともいえる会話。会話が一段落してまた外へ遊びに行く息子に「あんた、今日帰ってくるの?」という母の問いに「あたりめぇじゃねぇか!自分の家だもの帰ってくるにきまってるじゃねぇか!」と息子。息子がいる間は黙っていた親父も、いなくなれば息子をかばいまくる。
家出少女とその家族、もしくは正月くらいしか実家に寄りつかない30代に聞かせたい言葉です。まぁ「時代が違う」と言ってしまってはそれまでなんですが、やはりコミュニケーションが成立してたんですね。


そして、リーダーとおぼしき少年の後輩に対する説教がいちいちごもっともな言葉。中でも「オメェ、暴走族もまともにできねぇんじゃ、社会なんか出らんねぇぞ」ごもっともです。暴走族の中でも(というか最も顕著化もしれませんが)階級制度と組織がちゃんと成り立っており、ほぼ会社。パー券の精算が合わなければ会計係がきっちり数字を求める。下手な会社よりきっちりしているのでは。


これは良い映画です。下手な劇映画よりずっと面白かった。
翻って被害者目線であれば全く違う悲惨な作品であったと思うのですが、柳町監督の「若者をそこまで引きつけるのは何か」という疑問と「生き生きした瞬間を撮りたい」という想いがバンバン伝わります。イキイキの度合いが尋常じゃありません。

映画【国道20号線】

2008-05-13 00:05:23 | 映画
 
 
国道20号線
2007
富田克也

横浜のシネマ・ジャック&ベティでの「国道20号線」と「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」のトークショー付き特別上映に友人と行ってきました。
まずは「国道20号線」の感想から。


舞台は甲府の国道20号線。バイパスを取り囲むのはパチンコ屋とサラ金とラブホテルとディスカウントストア(ドンキ)が大半。
そこに暮らす痛々しいヤンキーカップルとそれを取り巻く痛々しい人間のドラマ。
ある者はパチスロにあけくれ、借金にまみれ、シンナーにまみれ、ある者はバカな同級生をカモろうとし、ある者は他人の幸せをやっかみ、ある者は叶わぬ夢を見る。
そんなお話です。

劇映画ですが、ストリーを追うというよりも、彼等の生活のコラージュ。
で、どこをコラージュしたかと言えば痛々しい部分のみ。
劇中で幸せの描写はありません。そこに、かけらだけはあったのかもしれません。
そういう意味でかなり「やりきった」作品です。

トークショーの質問時間に監督に「作品に救いが無いことをどう思うか?」という質問をした方がいたのですが、それは愚問だろう。
明らかに同じような質問をされまくっていて用意された答えを監督は答えていました。
っつうか、名画座の特集上映に来るような「攻めて観る人」までもがそんな質問をすることにあきれてしまった。
どれだけ想像力無く映画を見ているのかと、スクリーンで動いている人が全てかと、お前の人生は映画のトレースなのかと、「ノーカントリー」観たらコーエン兄弟にもその質問をする気かと。
確かに、劇中に回答はありませんが、その無き回答にこそ監督の想い(失望や怒り)を感じろよ、と。
ちなみに、トークショーで柳町監督が「風景が人を変える」という趣旨のお話でコーエン兄弟の「ノーカントリー」に言及されていましたが、本作と並べてもの凄く合点がいった言葉です。


鑑賞後、友人と近場で飯を食いつつ侃々諤々やていたんですが、そういう「あーでもない、こーでもない」と言い合って私なんか思ってもみなかった感想なんかをやりとりできる、良い映画です。鑑賞直後に「わかった」気になってしまう映画はすぐ忘れちゃうんだようなぁ。