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映画【大停電の夜に】

2007-05-31 23:50:51 | 映画
大停電の夜に
2005
源孝志


正直、好きです。
ロマンチックな話しではあるけれども、ベタベタなラブロマンスではありません。


映画として優れているかどうかは別として、こういうのが好きで悪いか。
純粋なエンターテイメントですが、こないだ「マッチポイント」で触れたような本来的な意味の「予定調和」に沿ったお話で、カタルシスのためだけではないお話。良くできています。
疑ってかかれば、いくらでも突っ込みようのあるお話ですが、そういうのはナシにして素直に楽しんだら良いのだと思います。
自宅を間接照明にしている方はこういう作品好きだと思うんですが。

シナリオが「有頂天ホテル」みたいに辻褄合わせの為の映画にならなくて良かった。ある程度バラバラにストーリーが進んで、それぞれ勝手なエンディングで正解だったと思います。


何が良かったって、Bill Evans Trioの"Waltz of Debby"の一曲目「My Foolish Heart」が、ド頭でかかる。全部コレのせいと言っても過言では無いくらい好きな曲。
うちにあるこのレコードは友人から借りているモノですが、半端じゃなく聴いています。このアルバムはやっぱりCDじゃなくてレコードですね。
一手間かけて盤に針を落とし、余計なことをしないで酒でも飲みながら聴くのが正しいと思います。何かしていても手が止まってしまう。
もったいなかったのがDVDのメニュー画面ですでにこの曲がかかってしまったことでしょうか。
おかげでド頭のこの曲の響きが少し霞んでしまった。
ビシッとこのアルバムのジャケットをキメて見せるカットも、できればターンテーブルの抜けにちらっと見える程度が良かったなぁ。

豊川悦司のジャズバーの名前がそのままってのはちょっとやり過ぎかと思いましたが、まぁヨシです。
サントラ用のオリジナルアレンジのベースがリーダーでストリングス入りのバージョンもなかなかです。エンドロールの菊地成孔のオリジナルも好きだなぁ。
ちなみに、エンドロールの美術協力にはもちろんJBLのロゴが。
やっぱり、そうでなくちゃイカンよ。


話は変わりますが、両手で大事なモノを抱えるようにグラスを持ってビールを飲む女が鬱陶しそうで嫌いです。
ということで田畑智子が鬱陶しかった。まぁ、こういう映画なのでそういうキャラも必要なんでしょう。他のキャラクターが割と殺伐としているので、そのハブとしてでしょうか。

とはいうものの、ロウソクも良いですね。
停電後のバーはロウソクが店内外照明になっているんですが、綺麗ですね。素直にそう思います。
反面、コレ全部に火を付ける制作さんの苦労も気になるところですが。気まぐれな炎に一喜一憂する現場も楽しそうです。

以前、蜜蝋を炊いていたことがあったのですが、狭い部屋で炊いていたらやたら空気が乾燥して大変でした。少しは広くなった部屋なので、たまには良いかもしれません。
と、思ってうちに一つだけあった小さなロウソク、2年ほど前の友人の結婚パーティで頂いたものに火を付けてみました。
風にあおられて歌う様に揺れる小さく伸びる炎は、見ているとだんだん愛おしくなるもんですね。

映画【16ブロック】

2007-05-30 23:32:52 | 映画
16ブロック
2005
Richard_Donner (リチャード・ドナー)


「ダイ・ハード」好きなので。

このリチャード・ドナー監督は「リーサルウェポンン」シリーズの監督。他には「グーニーズ」やら、こないだ見直した「3人のゴースト」の監督もされてるんですね。これは発見。
かといって、作風がよく分からん。ハリウッド監督ということしか分からん。
しかし、ブルース・ウィリス老けたなぁ。

最終的には、なんとなくいい話っぽくまとめられているのですが、これが予定調和でもない急激な豹変。
ラスト付近での豹変で「だったらオマエが最初から・・・」と思うこと必死です。

純粋なハリウッド的アクションモノだと思って久々にこの手のモノを観ましたが、ちょっとガッカリだな。
やはり「「ダイ・ハード4.0」」に期待します。

映画【隠された記憶】

2007-05-29 23:55:42 | 映画
隠された記憶
2006
Michael_Haneke (ミヒャエル・ハネケ)


「ピアニスト」でカンヌのグランプリを受傷したハネケ監督の次作です。
本作でもカンヌで監督賞・国際批評家賞・人道賞を受賞しています。偉い方ですね。
本作ではサスペンス寄り。
ある人気キャスターの元に何者かから届くビデオテープ。そこに映っている映像は自宅の風景。何度も届くテープに映し出されるのは、は徐々に自分のプライベートな風景に。

はっきり言って、私がこの映画を理解できたかどうか分かりません。
難しいです。もの凄い文学的で投げっぱなし。
しかも、それを監督自身がインタビューで「解釈は提示しない。観客が考えろ」なんて言ってるもんですから手に負えません。
本来エンターテイメントでは御法度の「投げっぱなし」ですが、許される方もいる、と。
それが良いか分かりませんが、確かに考えることになります。ぼーっと観てると何が何だか分からなくなってしまいます。映像の中に答えに直結するもの凄いヒントが有るわけでもなく、自分の中で積み重ねて解釈するしかない。困った映画です。

しかし、凄いハネケ監督、超一流演出家であることは間違いないですね。
インタビューで「残酷なシーンほどシンプルに撮る」と仰っています。確かにすさまじいシンプルさ。伏線も何もない。コレは効きます。リアルな残酷さに本来伏線なんてありません。
あと、緊張感の作り出し方が凄まじい。何も起こらない1シーン。起こっていないのは画面上だけで、その裏にある想いをこちら側は想像しまくってどきどきです。これはなかなかできません。結果、何も起こっていなくても、もの凄いサスペンスを見た感じ。
ずっと動かない視点の怖さも。ファーストカットの長回し(送られてきたビデオテープの映像)が後でじわじわ効いてきて、それが誰の視点なのかを想像させます。それが誰かの視点であったと気付いた瞬間の怖さ。コレは怖い。

「演出とは日常の中に隠れている様々な秘密・現象を表現することだ」とインタビューでハネケ監督が語っています。
まさにコレ!
分かっちゃいるけどなかなかできないことです。
説明的にすればするほどチープになる。かといって「考えさせる」方法で分かってもらえるか。このギリギリのラインの見極めですね。
それ以前に映画に描くべきテーマがあるかどうか。
これらは最近の考え事です。

映画【マッチポイント】

2007-05-28 23:52:37 | 映画
マッチポイント
2005
ウディ・アレン


貧乏育ちの若者(テニスプレーヤーのナイスガイ)が、まんまと逆タマに乗ってビジネスでも成功、しかし浮気して破滅するのかしないのか、運命や如何に? という下手したら火サス並のベタなストーリ。
今更映画になるんか?というお話ですが、そこはウディ・アレン監督、見事に描いています。
映像的に何か特殊なことがあるわけでもないし、もの凄く淡々とシーンが積み重なります。

多分、勝因はもの凄くバカにした目でイギリス上流階級を描いている点でしょうか。
観ている方が恥ずかしくなるような、超ステレオタイプな金持ち像。出てくる小道具がテニス、よく分からないモダンアート、オペラ、クレー射撃、馬等々。
そして、その金持ち登場人物がそれぞれ、超が付くほど自分のキャラクターから逸脱した行動をしません。決められたレールの上から外れることなく物語は進みます。
こういった設定の上でこの映画のテーマである「運」によって各登場人物が動かされていきます。
この「運」を描くために勝手に歩き出さないキャラクターを設定したアレン監督、凄い着眼です。

最終的には同じくアレン監督の「ウディ・アレンの重罪と軽罪」に近い方向へ落としていますが、本作の場合はまず主人公の葛藤を描かないという恐るべき演出。描かれていますが超チープ。鑑賞している方としては全て予定通りの葛藤。
通常こういった痴話モノはその葛藤こそメインで独白モノローグまみれなんてのが定番ですが、それを完璧に覆しています。
おかげで観ている方は考える隙もありません。いつの間にか物語が進展している。
最終的な結末が、もの凄い偶然によって主人公の運命が決定します。
普通の映画だったら反則ですが、本作だと妙に納得してしまう。
凄い演出でした。

この「運」を描くために作り出した設定達が効きまくりです。
フォーカスが絞られまくっていて、それ以外のことに考えを及ばせない凄まじい演出でした。
テーマがある映画というのは見終わってそれがもの凄く響きます。
結末の善し悪しは関係有りませんね。



ところで、たまたま「予定調和」という言葉について調べてみたら興味深いというか、もしかしたら常識だったかもしれないことを今更知りました。
「予定調和」という言葉はそもそもライプニッツ(17世紀ドイツの哲学者・微積分の数学者)が唱えたモナド論からの派生で生まれた言葉らしです。
【※「モナド」を訳せば「単子」らしいです。モナドとは存在を構成する最小単位であり、形而上的な発想で、化学上の分子・原子なんかとは別とのこと。】
「予定調和」の状態とは、宇宙の中のあらゆるモナドが相互に関係し合い、そのなかで現状考えられる最善の状態であるということらしいです。
現在よく使われている「みんなが幸せ」という用法とは全く違う。
よく言われる誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立っているというものに近いですね。因果応報の仏教にも近いかも。
で、モナド論からする「予定調和」とは、幸と不幸の均衡状態のことかしら、と。数学者の考えそうなことです。
でもそれじゃつまらない、というのがアレン監督の描く「予定調和」ではないかと。
宇宙の均衡を個人に抱えさせるのがアレン監督の描く「予定調和」なんですね。
ある個人が不幸も抱え込んだ上で、現状自分が考え得るいちばん幸せな状態を結末に据えて描いていると思います。故にカタルシスがぐわっと来ることはないけれども、じわっと沁みる。
因果は巡るという考え方の上に成り立ちつつ「個人のプライオリティに限った幸せ」ということです。「他の大部分が不幸でも、今、貴女といる僕は幸せなんだ」ということをアレン監督は描き続けているのではないでしょうか。
不幸を決して切り捨てないで、それを抱え込んだ上での決断を主人公にさせる。
本作の結末なんて正にそれだし、他のいろいろなアレン監督作品を思い返せば多分このライプニッツの唱える「予定調和」の考えに立脚しているのかな、なんてことをちょっと思いました。

※このモナド論と予定調和についてはざっと読んだだけなので間違っているかもしれませんが、私はそう解釈しています。間違っていたらごめんなさい。



とはいうものの、本作でのスカーレット・ヨハンソンのエロさはハンパじゃありません。
そりゃいくらなんでもやり過ぎだろう・・・、という程。
Tシャツ破るシーンとかさ・・・。
あんな女が身近にいたらそりゃグラグラするわ。

映画【ショーン・オブ・ザ・デッド】

2007-05-27 23:23:36 | 映画
 
 
ショーン・オブ・ザ・デッド
2004
Edger Wright (エドガー・ライト)


これは面白い!
タイトルの通りゾンビモノです。パロディというかオマージュ。
ホラーとは別物のサブカル路線。
かといってコメディでもないし、US青春群像モラトリアルでもないし、微妙な感覚です。

リアルにいそうなダメ若者の主人公ショーン(29歳)があるひゾンビまみれになった街から彼女や友達を守るために戦うというストーリーなのですが、かとって熱血ものでもないですし、オリジナルの「ゾンビ (DAWN of the DEAD)」みたいなシリアスさも無い。
タランティーノのフロム・ダスク・ティル・ドーンみたいな感じですね。

好きな人は結構はまるんじゃ無いでしょうか。
細かいネタが満載。
ゾンビ映画と90年代へのリスペクトが込められている感じ。監督に同世代な感じが満載です。

そのネタの中でも好きだったのが、ゾンビに攻撃をするときに、ショーンがDJという設定からか、何故かレコードを投げつけるシーンが有るんですが、その時にショーンが「レアなのと大事なのはダメ」と2人で投げるレコードを選びます。
で、相方とゾンビを目の前に2人でサクサクと選ぶ。でこの台詞。
相方「ストーンローゼスは?」
ショーン「ダメ」
相方「セカンドカミングだぜ?」
ショーン「オレは好きだ」

これを観て、あぁ分かってるなぁ、と。
私もセカンドカミングは好きです。ダメ2ndの代表みたいに言われていますが、そうか?
ちなみにこのやりとりの直後にシャーデーの"Diamond Life"が選ばれますが「それは彼女のモノだから」と断るものの投げつけられてしまいます。この「彼女の」というのも分かる。
オサレぶらない、こういう細かいセンス好きです。

ちなみに、このエドガー・ライトという監督、ジョージ・A・ロメロ監督の「ランド・オブ・ザ・デッド」に出演しているそうです。
ゾンビ好きなんですね。

30歳前後のUKモノが好きな方、多分共感出来ること間違い無しです。
イヤ、実は名作。

映画【パビリオン山椒魚】

2007-05-26 21:46:03 | 映画
パビリオン山椒魚
2006
冨永昌敬


ややこしいお話で、多分オチとかどうでも良いんだなという作品です。
好きか嫌いかどっちだよ、と言われればギリギリ好きな方に入ります。

細かいネタというか芝居が楽しいですね。
オダギリジョーの芝居は上手くはないんですが、意図している胡散臭さちゃんと出ているので安心して観られます。
浅野忠信なんかの味とは違いますが、なんか旨みがある気がします。

画もチープなのか豪華なのかギリギリのラインでなんとか保っているという感じ。
もの凄く今の邦画っぽいですね。
多分、この手の映画のロイヤルユーザー向けの映画で、それ以外はハナっから狙っていないのではないかと。
その辺が潔いですね。
デタラメに徹しています。シュールまでは行かないで、あくまで俗っぽくやっています。その辺は衣装からの推測ですが。
一連のCM監督の映画作品とはちょっと違い、ちゃんと「映画」を撮るつもりで撮っている姿勢が好きです。
小ネタとか映像の豪華さに逃げてない。

デタラメ話の割に恋だなんだの描き方がやたら丁寧で、結構好きでした。
本筋は恋愛映画ですね。

映画【のび太の恐竜 2006】

2007-05-24 23:20:22 | 映画
のび太の恐竜 2006
2006
渡辺歩


酒を呑みながら夜中にドラえもんを観て涙する30歳(独身)。気持ち悪いですね。
スミマセン、私です。

1980年に初版公開とのことで、当時私は4歳。
オリジナル劇場版はさすがに劇場に行っていません。後日ビデオで観たはず。
マンガが理解できるようになってからは、皆さんと同じく毎年映画館に行って観ていましたね。「のび太と竜の騎士」まで。

原作マンガは文字通りボロボロになるほど読みました。
おかげで逐一覚えています。
序盤でのび太が恐竜の化石を探す際のドラえもんにキャプションとして「あたたかーい目のつもり」なんてのが入っていた気がします。
本当に大好きな作品です。「台風のフー子」と並んで。
一番好きなのは「のび太の宇宙小戦争」ですが。

声優が変わろうと、CGIがやたらと取り入れられていようと本線は変わらず描けていたと思います。
現在のテレビ放送版を観ていないので、正直、声優に慣れるというかあきらめるまで1時間ほどかかりました。
演出にも相当な現代よりのモディファイが入っていましたが、それはそれで構いません。
その演出は子ども達のためのものだったのか、それとも派手なモノに慣れてしまった回顧する大人達へのサービスだったのか。
私は後者だと思っています。
とはいえ、訴えたいこと、その本筋がちゃんと描けてさえすれば、私たちはその作品を楽しむことが出来ます。

揚げ足とって喜んでるバカは自分で書いてみろ。
予定調和だって、これは「ドラえもん」なんですからそこは突っ込むトコじゃない。
ドラえもんイズムは死なず。
本作を観て安心しました。

映画【ベルヴィル・ランデブー】

2007-05-23 23:53:29 | 映画
ベルヴィル・ランデブー
2002
Sylvain Chomet (シルヴァン・ショメ)



フランス人アニメーターのシルヴァン・ショメ監督の長編アニメーション映画です。
正直、アニメーションについて言えば日本のアニメーションがダントツに面白いと思うので、あんまり海外の作品は見ていません。
友人から「これは是非!」ということで拝見しました。

凄いわ、コレ。
恐るべき完成度で、一縷の隙もない密度。
台詞を極力排除した演出で、全て動きとトーンで表現しているが故、外国作品であったとしても言葉以上に情緒面で伝わります。
なかなか出来ることではありません。実写であったとしても相当難易度の高い方法です。

キャラクターは決してかわいらしいとは言えないし、ストーリーもかわいげのあるジュブナイルでも無い。
アニメーションでやる必要がよく分からなかったのですが、それは監督自身が漫画家出身のアニメーターであるから。
企画ありきの監督捜しではなく、監督自身からわき出た作品です。正しいですね。
彼が表現したかったものはアニメーションじゃなければ表現できないんですね。
そもそ、監督自身がアニメーションを志したきっかけと直結するのかもしれません。


ストーリーの主軸がどこにあったのか分かりません。
ナンセンスなお話をナンセンスに表現するにはアニメーションしか無くて、如何に常識的な価値観を廃してナンセンスに描くことが主軸だったのかもしれません。
ショメ監督自身が相当へそ曲がりなのか、ストーリーがかなり思い通りに進みません。
米国映画に対するアンチテーゼですね。完全に狙ってますね。


アニメーションというのは表現の幅自体というか、方法がかなり独特だと思います。究極は人間じゃなくてもドラマが描ける点。
ドラえもんなんてロボットなのかネコなのかタヌキなのか分かりません。実写でやったら子どもが泣き出します。
日本のアニメーション作品は各作品によって相当な微調整がされていて、作画段階での大幅な変化(アート寄りだったり写実寄りだったりとか)は各作品にはそれほど無いものの「動かし方の特性の付け方」という面ではとても優れていると思います。マッドハウスStudio 4℃なんかのやる気満々スタジオの恐るべき新技法もありますが、やはり微調整という範疇だと思っています。まだ見尽くしていないので失礼ですが、そう思っています。
決して悪口ではありません。

海外アニメーション作品と国産作品を観て感じることは、海外作品はまだ可能性の模索をしまくっていて、てんこ盛りの実験的な作品が多い気がします。アニメーションを「芸術」と捉えている感が強いですね。
その点、国産作の場合は子ども向け漫画から出発したアニメーション技術が既に成熟していて「何を描くか」ということに重点が置かれているのではないでしょうか。脚本勝負というような。
ここ数年ではCGIを導入しまくったおかげで、本筋とは違う部分に力が入りすぎて結局霧の中の様な映画がたまにあります。もったいないです。

アニメーション作品の脚本について言えば単純な勧善懲悪とハッピーエンドをなるべくならやりたくないという想いがアニメーション作品には特に感じます。関わる人間のひねくれっぷりというか、想いというか。
実写映画と比べて、アニメーション映画の方が挑戦的だと思っています。あ、テレビは別です。


話しは随分ずれましたが、単純に作品として恐ろしく完成度の高い作品です。
好き嫌いは別ですが、観て決して損はしません。

映画【時をかける少女】

2007-05-22 23:30:55 | 映画
時をかける少女
2006
細田守


最高です。
バツグンに面白い。
すみません、最近見る作品がが全部良いので。


実は「時かけ」シリーズをまともに見たのは初めてかもしれません。
随分小さい頃に1983年版(原田知世バージョン}は観た気がするのですが、思い出せません。1997年版は観てません。

本作がどんだけ名作かは、同原作の3度目の映画化の中で観てもいないのに本作が多分ダントツだと思っているくらいです。
コレは超えるのが相当難しい。というか超えなくて良い。
アニメとか実写とか関係なく最近観た中ではトップクラスに好きな作品です。
あと10回は観そうな感じ。

画の動かし方がいちいち気持ちいい。予測不可能な動きをしてくれます。
あれは確かに実写ではできない。
一瞬すら飽きさせません。
各キャラは相当にアニメ好きのツボを突きまくってます。キモイですか?すみません。
キャラデザインはエヴァンゲリオンの貞本義行江口寿史と並ぶ当代きってのその筋のキャラデザイナーです。


変な人生訓みたいなのを排除して(ちょっと出てきますが)、その少女の心情だけを描きまくり、結果ただの恋愛映画じゃねぇか!
イヤ、大好きです。こういう舞台装置を利用しまくってもの凄い普遍的なことしか描かない作品、良いですね。
良い映画って、結局テーマは一つなんですね。
同じくマッドハウス制作の今敏監督作品「千年女優」でも時代を駆けめぐる壮大な舞台装置の上でも「私はあの人のことを追いかけている私が好きなんだもの」だけ。
過去の記憶を消去できる世界のお話「エターナル・サンシャイン」では「君と僕はどうしたってこうなる運命なんだ」だけ。
人の野蛮な部分がデフォルメされた世界で、自分でもどうにもならんと思っている主人公を描いた「パンチドランク・ラブ」では「こんな自分でも好きになってくれる人がいたとしたら、なんとしてでも手に入れてみせる」ということをバカバカしくも楽しく描いています。
主人公が豚という驚愕の設定の「紅の豚」では「カッコイイ」だけ。最終的には豚が格好良く見えてくるから不思議です。一瞬人間の顔になる時に男前だったのが残念ですが。西田敏行みたいな感じであって欲しかった。

下手な紆余曲折を入れて何が言いたかったか分からんただの言い訳まみれみたいな映画には用はありません。
少なくとも私はそう思います。
私がジュブナイルモノが異常に好きなだけかもしれませんが。未成熟?


あぁ、良い映画だった。

映画【ハウルの動く城】

2007-05-21 22:43:39 | 映画
ハウルの動く城
2004
宮崎駿


満を持して鑑賞、というわけではなく、なかなか「観てみよう」という気が起きなくてやっと観た本作。
「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」の二作連続でどうもだめで、躊躇していました。(本人比)
これで「ハウルの動く城」がダメだったらどうしよう・・・と、ひとり懸念。
ただ、これも名匠宮崎駿だからです。どの作品も宮崎監督でなければ「オイ、凄ぇな、コレ。」という作品です。
もっともっとと求めてしまうのです。

で、本作ですが、中盤まではガッカリ。
一回止めました。なんか、悲しくなってしまって。
コレがあの「魔女の宅急便」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」の監督の作品なのかと。
異常なまでの作画へのこだわり、声優へのこだわりが観られない。
テクノロジーと芸人を起用して、せっかくの持ち味が消えてしまっています。
パズーとシータが地下道で食べてた目玉焼き乗せパンと、本作でのベーコンと目玉焼きは全然別物です。絵は同じかもしれませんが、そこに至る物語が全然違う。余談ですが、両作品とも目玉焼きシーンはほぼ開始から30分。誤差1分以内。1回目のブレイクのタイミングですが、狙っている感アリ。


美輪明宏の「もののけ姫」でのデカイ狼の「黙れコゾウ!」はオッケーでした。でも、本作の扱いはどうかと。キャラそのまんまじゃん。
我修院はカエルまでにしてください。
木村さんはいつ「ちょっ、待てよ!」が、いつ出るかとヒヤヒヤ。一人だけ超ウィスパリング・ヴォイス。音コモコモ。音響効果の人、大変だったんだろうなぁ。
鑑賞どころじゃありません。

しかし、サスガは宮崎監督。
ラスト30分でグイグイ持ってきます。
ラストシーンはカタルシスの固まりがドサッと乗っかります。
ある意味今までの作品の集大成の様なお話です。
今まで決して描かれなかった(と思う)キスシーンが遂に!しかも結構乱発。コレは何かの区切りの印なのか。
宮崎作品の定番、エンドロールでのエピローグが無いのが悲しい。あれ、好きなんですが。


毎度おなじみの糸井氏のコピーは「ふたりが暮らした。」というなんだか分からない代物。
検索して初めて知りました。全然覚えてませんでした。
こちらで糸井氏が経緯について語っています。


もったいないですが、「宮崎駿監督作品」としては本作は好きじゃありません。
「もののけ姫」以降、宮崎監督作品がヨーロッパ作品にスタイルとしてに傾倒している気がするのは私だけでしょうか。
作家自身が常に挑戦を求めるのはとても分かるのですが、観客は必ずしもそれを求めているわけではない。
「だったら過去の作品観てれば良いじゃん」とか言われそうですが、できれば同じベクトル上での挑戦を観たいわけです。
「未来少年コナン」から「天空の城ラピュタ」へと昇華したような。


次回作に向けての宮崎監督の言葉がありました。
『今回は、いままでの作品のような緻密な絵とは違って、CGを使わない新しい描きかたの長編に取り組んでいます。緻密さをなくすことで、アニメーションの楽しみは何なのかを考え、本来の楽しさを持ってやってみたい』とのこと。
「崖の上のポニョ」期待します。