好きだ、
2005
石川寛
最近観た100本くらいの中で一番びっくりした映画です。
超大穴。(自分比)
一日に映画は3本が限界と思っていたモノの、まだそれほど眠くないと言うことで流してみた4本目の映画に対する感想が以下であるというあたりから私の受けた衝撃を察していただければ幸いです。
本作は「泣ける」映画ではありません。
泣きの恋愛映画はあんまり好んで観ません。ウディ・アレン監督は別ですが。
ベタベタイチャイチャなんてどうでも良いのです。セックス映画は勝手にやってろ。
タイトルからしてクソみたいなベタベタした恋愛モノかと思って油断していました。
石川監督、すみません。本当にすみません。
CM出身の監督としては珍しく、奇妙さを一切狙わない。誠実な美しい日常の画を撮ります。
そして、今まで作品に恵まれなかった宮崎あおいが遂にど真ん中でアタリです。これが観たかった。
開始5分で「アレ?コレ好き・・・?」が、10分も経てば「この監督は何者だ?誰だオマエは!・・・オレがオマエでオレがオマエ・・・?」
フレームの切り方が尋常ではなく他人のモノとは思えない。
公式サイトで石川監督自身が撮り下ろしているというスチールの壁紙ダウンロードコーナーがあるのですが、その中で2カット、恐らく全く同じフレーミング・露光を私もしたことがあります。
以下のテキストは2割くらいに読んでください。
というか、以下を読まずに本作をご覧ください。
ビールも5本目に突入していたのであまり正確ではないのかもしれません。
余談ですが、私の映画鑑賞スタイルはある程度酔っぱらって「理屈っぽいジャッジが効かなくなってから観る」です。なので好き嫌いだけははっきりしています。そのときのメンタルがモロに出ますが。
本作はタイトルとDVDの解説テキストで敬遠しないでください。
むしろ、ソレ系を望んで観た方は相当な空気投げを食らっているはずです。
ラストシーンはソレ系好きのためのオマケみたいで、無くても良かったな。ちょっとチープになってしまった。もったいない。それまでの流れで十分に伝わります。
この映画が好きだという私は人間として未熟なだけかもしれません。
そうであったとしても、私のこれまでの人生をかけてこの作品を擁護します。
良い映画ですが、誰もがこの作品を好きではないでしょうが、あまりにも私には響きすぎてしまった。
「ロスト・イン・トランスレーション」でグラグラ来た方にはイケルかもしれません。
なるべく自然光で淡い現像。
進展しているのか分からない時間だけが過ぎるストーリー。淡々としているけれども滋味がある。
土手を多用したロケーション。
無理矢理当てない照明。
その瞬間の表情が撮れるまで止めないカメラ。
全てを以て現在の邦画で私が一番好きな部分ばかりを純粋培養した、私のための映画のようでした。
この映画の一番優れているのは、女の子の一番かわいらしい瞬間・時期が注釈無しで映像として映画として成立していること。
こぼれ落ちそうな「私はあなたが好きなのだけれども、何をどうするのがベストなのか分からない。分からないけれども、多分私には分かる。私はそれを選ぶ」という表情。
お互いに好きと分かっている。けれどもどうもする気はない。どうして良いか分からない。どうにかしたいとは思っている。そのときが来たとしても陳腐な言葉しか出ないのは分かっている。そんな言葉じゃ言い表せない。けれども、その言葉でしか伝えられないということも分かってる。口から出たのがその言葉だっただけ。他に何でも良かった。何でも良くなかったかもしれない。
という映画です。
爽やか青春映画ともとれるのですが、そういう方面でなく、そこに流れる時間の滋味を感じられる映画。
石川監督が撮ることでこの空気が生まれるのでしょう。
以下、久々の妄想です。
8月初旬の、まだ西の空が薄明るい時間。
背の丈よりも高い草と頭を垂れる前の稲が茂る田圃に囲まれた郊外の一車線道路。
まだ暖かいアスファルトに仰向けに寝ころんだ二人の伸ばした手の甲が触れ合っている。
どちらから先に手を引っ込めるかゲーム。
ちょっとしたきっかけで無くなってしまうその時間。
そのきっかけはできれば来ないで欲しいけれども、訪れるならあと2分後でお願いします。
何も出来ないことが分かっているから、それが訪れることを待っている。お互いに。
路灯がやけに明るい。
※本作とは全く関係がありません。
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