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映画【不都合な真実】

2007-12-27 23:21:29 | 映画
 
 
不都合な真実
2007
デイビス・グッゲンハイム


書籍版は読んでいたのですが、映画版は今更観ました。
多分、ゴアとAppleのプロモーションみたいな作品だろうなぁ、と思っていたら本当にそうでした。

しかし、中途半端な理論武装と感情論を一発で黙らせる反エコロジーこそ屁理屈にすぎないという作品。
票集めの政治活動であっても構わない。

本作に嘘があったら許せませんが、事実(データ)だけで構成されたプレゼンには異様な説得力があります。
都合の良い方向へデータを偏らせるということも善くあることですが、ここまで並べられるとどこから言い訳して良いのかも分かりません。

最強のプレゼンは本気で考えているという姿勢を伝えると言うこと。
クライアント(本作の場合は地球?)よりも親身になって考えるという姿勢。
思いも寄らない解を提出することが最強。

最悪なプレゼンはデータだけで固めた気持ちの入っていないプレゼン。
どれだけ「この想い」を届けたいかというもの。
その「想い」が無いプレゼンはどれだけのデータを集めても通りません。

本作の結びで「子供達が大人に疑問を投げかけることが大切だ」という件があります。
思っても観なかった解。


本作のタイトルである「不都合な真実」の同義語は「大人の理屈」ではないでしょうか。

どんな疑念を抱えていたとしても観るべき作品です。


人間が自ら住みにくくしてしまった地球は、地球が人間を住みにくくすることによって自己修復しているのかもしれません。
その先に人間が住めない星になってしまったとしても、それは『地球』にとってはどうでも良いことなのでしょう。
このさきも住みたい星であるのなら、やっぱり人間がどうにかしないといけないでしょう。

PV【閃光少女】東京事変MV

2007-12-22 01:03:54 | 侃々諤々
 
 
閃光少女
2007
児玉裕一


東京事変「閃光少女」のPVを観て思ったことを少し。
既に随分話題になっている様ですので、知っている方も大勢いらっしゃるかと。
まずはこちらの映像をご覧下さい。
たったの2min58secです。

東京事変 - 閃光少女




何とも思わなかった方は以下読まないでください。
ただの変態だと思われかねないので。ソレはソレで構いませんが。







好きとか同意とか越えて驚いてしまった。
映像が音楽を補完したり、何かを加えるのではなくて、歌詞が聞き取れなくてもイメージとして押し寄せる。
アーティストが一瞬も映らなくても全て繋がっています。
久々に国産でオマケではないPVを観ました。

ディレクターは児玉祐一(32才)。
編集は正直ベタなんですが、そのベタさ故の気持ちよさもあり。
一瞬で焼き付けるためのカイル・クーパー直系の手法。
で、焼き付く彼女たちの表情(顔だけじゃなく)。
コンテから計算でやっていたとしたら、ドエライ演出家がいたもんです。



彼女達を観て欲情するのではなく、ただただその様に見入る。けれども何が起こっているのか分からない。
これは映画「花とアリス」「リンダリンダリンダ」にも通じるもので、少女達の持つ私たちには絶対に分からない情動を翻訳してくれた数少ない映像なのだと思います。
翻ってみれば私たちの持つソリッドな少女への理想像でもあります。
コレは現代の「萌え」ですね。

クラスに一人はいた何を考えているか分からない(恋愛沙汰から距離があるように見える)あこがれの美少女が、そのとき何を考えていたのかということの一つの理解なのでしょうか。
彼女たちは『その瞬間』しか生きていなくて、打算など無く、異常なほどに直線的だったのでしょうか。

たまたま見つけたこちらのブログではこの対峙する2人の少女に「『死』の臭いを感じる」とのこと。
なるほど。
「その対立によって結びついている」というヘーゲルの弁証法的な『死』をモチーフにした『生』の解釈ともとれます。
意図的にトーンを落として、表情があるのはド頭の息を呑む一瞬カット。そして踵を返して走り出した瞬間。
多分、演出上では「無表情で」というのがあったと思うのですが、しかし節々に漏れてしまう彼女たちの表情。
そして、走る様に隠しきれない漏れるような情感。
本作から『死』を感じるも、『生』を感じるも紙一重。
歌詞の物語性から言えば『死』でしょうか。
彼女たちはその一瞬後に『生きている』ことを考えていない。
これが正統な「萌え」なのか、どうなのか。
  ※古典における語義は「芽が出る」「きざす」「芽ぐむ」を示すとのこと。

上記の「何を考えているか分からない」のは、彼女たち自身にも「自分が何を考えているのか分からない」からだったではないのでしょうか。
以前、高校の同級生のある友人で、正に「何を考えているのか分からなかったあこがれの美少女」だった友人から「あの時は無意識だった」という談からの類推です。


瞬間に昇華してしまう、故に他人には決して捉えられない世界。
俗と純の無茶苦茶なミックスで一瞬の眩すぎる閃光を放つ少女。
その瞬間(ストップウォッチで計るような時間は関係なく)を完全にクローズで、例えば本作のような2人だけの世界に閉じこめてしまう。
暴力的なアプローチとすると大友克洋の「AKIRA」の覚醒状態の内側への強力な引力。
それを抽出し、凝縮し、また希釈し、作品にまで昇華できたのが近年では「花とアリス」「リンダリンダリンダ」そして「閃光少女」の3作品。
近いところにテリー・ツワイゴフの「ゴーストワールド」もあります。


「アンタ大丈夫か?」とお思いの方、安心してください。
私はこのテの病気です。それも重度の。


ちなみに児玉氏はUNIQLOCKの演出家でもあり。出てる女の子も同じ。

ちなみに、先日友人から「東京事変の『OSCA』のPVがヤバイ」とうことを聴いてYoutubeにて拝見したところ、気になるサムネイルから本作を発見。
テレビに接していなくてもこういうモノは向こうからやってくるんですね。
インターネットの浄化能力は凄いものです。

映画【タロットカード殺人事件 (SCOOP)】

2007-12-19 23:29:00 | 映画
 
 
タロットカード殺人事件 SCOOP
2007
ウディ・アレン


アレン監督の最新作。
やっぱり楽しい。間違いないですね。

往年のアレン節が帰ってきた感があります。
前作の「マッチポイント」もとても興味深い作品でしたが、アレン監督に期待してしまうのはやはりこのラインでしょうか。
「マンハッタン殺人ミステリー」と同じくミステリーがモチーフです。
とはいえ、ラストシーンでほっとする映画です。
アレン監督ファンには間違いなくハマリます。

寝不足気味で劇場に行ってしまったため序盤で居眠りしてしまい、肝心のスカーレットの赤水着姿を拝めませんでした。
もう一度観てきます。


全てのウディ・アレン監督作品には誰かの人生が詰まっています。
幸福も悲劇も。
常に両方。
斉藤環風に言うと、決してトラウマで語らない(キャラの生い立ちを描かない)ことで、その瞬間を描き、その人自身を語るという一貫した狂言回し。
とても高度な演出ですが、コレでこそ人間が描けると思うのです。

余談ですが、タイトルは「タロットカード殺人事件」よりもオリジナルの「SCOOP」の方が良かったのでは。
往年のアレン監督ファンへのサービスなんだと思いますが、そっちの方がストーリーの可愛らしさと登場人物のキャラクターに直結していると思えます。


とはいえ、どんな方にとってもウディ・アレン監督作品を劇場で観られるというのは人生の一つの楽しみだと思うのです。

映画【さくらん】

2007-12-18 23:46:34 | 映画
 
 
さくらん
2006
蜷川実花


フォトグラファー蜷川実花の初監督作品。
結論としては、やっぱり写真撮ってればいいじゃん、というもの。



確かに、映像は飽きない。
けれど、全く芝居をする気がない土屋アンナのおかげで、せっかく作り込んだセットが箱庭。
下唇噛みのはにかみ顔だけで2時間もたせようと思うなよ。


ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」と同じく、女の子が好きそうなモノカタログと言った感がぬぐえません。
残るシーンがないんですね。
ソレ系のクオリティは「マリー・アントワネット」には遠く及びません。


同じ花魁をモチーフにした映画として比べるのもおこがましいけれども「吉原炎上」の方が10万倍迫ってきます。


決してつまらないわけではないし飽きることもないんだけど、薄味すぎて好き嫌い以前に響かない映画でした。
どちらかと言えば映像作品という呼び方がふさわしい。
というか、フォトグラファーとしての蜷川実花の写真もどうしても好きになれません。
ただのあまのじゃくなのかもしれませんが、どうしてもあの「こういうの好きでしょ?」と差し出される感覚がどうもねぇ。
嫌いじゃないんですが、決して好きにはなれない。

サントラもミスマッチ。
椎名林檎は好きなんですが、そんなに無理矢理使わなくても。

この演出で椎名林檎を主演に据えてPV撮ったら面白そうだなぁ。
そっちの方がカッコイイ気がするんですが。
私が知らないだけであったら教えてください。

映画【大日本人】

2007-12-16 23:14:42 | 映画
 
 
大日本人
2007
松本人志


最低の『映画』です。

・・・が!松本人志は紛れもないお笑いの天才です。
そういえばガキの頃、毎週土曜日の「夢で逢えたら」を毎回録画していました。「浪速の浴衣兄弟」何度も観ました。
実家には120分テープにLPモードで録画したテープが10本はあります。


多分、この作品には松本人志の悪意と善意の両方あるのだと思います。
買いかぶりかもしれませんし、本人の意向とは全く違うかもしれませんが。
インタビュー記事とか一切読んでませんし。
自分はコメディアンであって映画監督ではないということを大げさにアピールしたのではないのでしょうか。
「コメディアンが畑違いの映画撮ってんじゃねぇよ」という外野の言葉をあっさりと黙らせる。


「金はいくらでも出すし、カンヌ獲っちゃうかもよ?」という企画側の思惑に対して「やっても良いけど責任はそっちがとれよ」というやりとりが感じられます。
松本人志はコメディアンで、映画人ではないし、映画は好きだけど、映画を作る側の人間ではない。
多分、松本人志本人は映画は好きだけれども、自分は映画をやるべき人間ではないと思っているのではないでしょうか。
けれども、周りの金儲けしたい人間がはやし立てる。
そういう企画を立てた人間を社会的窮地に追い込むまでの最低の映画を撮ろうとしたのではないでしょうか。
10億円という邦画では希に見る巨額の制作費と、マスコミを挙げてのPR。
さんざん金を使わせて出来上がった『映画』は最低のフィルム。
デカイスクリーンで上映された『コント』。
無理矢理『映画』に迎合しないで自分の持つボキャブラリーで勝負する。

フィルムに焼き付けたのは芸人松本人志の生き様だったのではないでしょうか。
お笑いの枠を外し、文芸の枠も無視した彼にしかできない『芸』。
『映画』に迎合してしまった北野武にもなしえなかった境地。
役者としての北野武は随分と壊してくれましたが、監督としては『映画』の枠に収まっています。
まだ「監督ばんざい」は観ていませんが、もしかしたら同じベクトルなのかもしれません。


「よく分からないものはとりあえず良いと言っておこう」病への良薬では。
本作を観てこの程度の感想しか持てない自分が凡百の人であるということを思い知らされました。

映画【素粒子】

2007-12-14 23:39:48 | 映画
 
 
素粒子
2007
オスカー・レーラー


とても優れた作品です。
失われた愛情を取り戻す2人の兄弟の二通りの恋の物語。

母からは放任され、父からの愛情も得られずに育った2人の異父兄弟。
大人となり兄は文学青年崩れの国語教師となり、弟は天才的数学者として成功。
しかし2人は愛情を受けることも与えることも苦手としている。
兄は結婚し子供を授かるも激しい性衝動のため人格を崩し精神病院へ、弟は愛情を受けることができぬまま童貞の道を突き進む。
その2人の兄弟の回り道の後の二通りの恋の話。


二人の主人公(兄弟)の描写が素晴らしく、感情移入ドコロではなく、まるで自分がその物語の中にいるかのような感覚すら覚えます。
国籍に関係なく、現代に住まう人間の欠陥をとても上手に描いています。
生い立ちは違えど、本作の主人公のような感覚を抱えている方は沢山いるのでは。
大げさに言うとトラウマになるんですが、少なからずトラウマを誰でも抱えていて、それがどう表出するかといのも様々なものです。
トラウマの要因の全てが虐待というわけではなく、愛情を感じなかったと言うこともトラウマとなりうる。本作の場合はこっち。
本作の核は恐らくそこで。
そのトラウマを抱えたまま大人になった人間はどう振る舞うのか、そして彼らはいつ愛情知ることができるのか、というのがテーマだったのではないでしょうか。

感情を持たないかのような2人のエグイ描写が序盤続きます。
物語が展開するにつれてその行動が他者への思いに基づき始めますが、それはまだエゴととれる行動ばかり。
この2人の最終的に行き着くところは他者から観たハッピーエンドではありません。
その本人だけが感じることがでいる幸せな世界。
悲しい結末ですが、グッと来ます。
できればこの彼らのような結末は迎えることなく過ごすことができるのが一番幸せなことなのだと思うのですが、こういう曲折を経て手に入れたものの確かさは、もう誰にも揺るがすことが出来ないんだろうなぁ。


官能的でアバンギャルドな社会の描き方が話題となったミシェル・ウエルベックによる「素粒子」の映画化です。もの凄く成功しているのでは。

お勧めの映画です。

映画【善き人のためのソナタ】

2007-12-13 23:41:33 | 映画
 
 
善き人のためのソナタ
2006
Florian Henckel von Donnersmarck フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク


ジャーマンテクノの雄、HGW XX/7の半生を綴った作品。

ではなく、1984年の東ドイツで国家保安省で劇作家を監視する男(ヴィースラー)を描いた作品。
名作です。


冷酷なる国家保安省の調査員として劇作家の生活を監視するも、後にその監視の動機を知ったことと、その劇作家と恋人である女優の生活の全てを覗くことによりって変わっていく。
しかしその変化はただの正義感によるものではなく、自分が望んだことを小さくとも自分が操れる世界において行おうとするプチ神様の様な心情から発生したもの。
結果、その行いは正義へと繋がっていく。
直接的な正義感で反体制へと移行するのではなく、不純な動機で行動が変化し結果として正義になるという描き方が素晴らしい。
ヴィースラーの不安定な心情が全く鑑賞者の手に取れずに変化していきます。自分の子成っていることが正義であると気付いているのかいないのか。
しかし、この感じ、分からないでもない。
リアリティとはこういうことか、と。

人間ドラマと言って、結局は大げさなカタルシスにオチてしまうと「結局今までのことも妄想(フィクション)にすぎないじゃないか」と映画に対してあるまじき腹を立てることが多々あるのですが、本作は全くと言って良いほどそういうところにはオチていかない。
ベルリンの壁崩壊前後の大げさな様でもの凄く個人的なお話です。
ラストシーンは非常に分かりやすい様でいて、言葉面とは背反した感慨を含むこと間違いなし。

1989年のベルリンの壁崩壊から17年。
こういう作品でこそ歴史ではなく、人が生きていたその時間を理解することができるのだと思います。

お勧めです。
是非。

映画【シュレック3】

2007-12-12 23:45:26 | 映画
 
 
シュレック3
2007
Chris Miller (クリス・ミラー)


シリーズ3作目と言うことでやや息切れ感が見え隠れする本作。
つい先日Pixar+Disneyの「レミーのおいしいレストラン」を観たがばかりなので否応なしに比べてしまいますが、クオリティで言えば「レミー」の圧勝です。
お話の爽快感が違う。

本作も面白いことは面白いのですが、登場キャラの細かいギャグを期待してしまうというストーリーと関係ないところでの面白味。
幹の部分ではなく、枝葉に面白味を求めてしまう。
シュレック1ではお伽噺キャラの意外な発言という意外性で持って行きましたが、3作目となるとサスガに飽きてきました。
けれども、下手にマンネリを嫌っての新機軸展開(「楽屋オチ」みたいなの)が無かっただけ安心して観られます。

早くもドリフ並の「お約束」の境地に入ったDream Worksの看板「シュレック」今後が踏ん張りドコロ。2010年公開予定の「シュレック4」に期待です。

ところで、ディズニー製作の「魔法をかけられて」という作品が2008年3月に公開されるようですが、予告編を見る限り「シュレック」と似たような『お伽噺キャラいじり』の様な気がします。二番煎じ感がややありますが、大丈夫なんでしょうか。

映画【デスノート 前編・後編】

2007-12-11 23:43:47 | 映画
 
 
DEATH NOTE デスノート
2006
金子修介


希代の大根役者(エキストラに至るまで)が勢揃いの映画です。
と言うか、そう言う演出だったのでしょう。趣味じゃなかったです。

原作の前半は面白かった。
「売れた原作をとりあえず映画化しとけ」の最低のケース。
とはいうもののビジネス的には大当たりで、来年にはメインストーリーからのスピンオフした『L』を主人公とした「L change the WorLd」が公開。ため息が出ます。


人間ドラマを怪獣モノとして描いてしまった。
人が人を殺す罪のお話としての抽出ではなく、怪物が人を殺すというデフォルメされた世界として描いてしまったことが間違い。
まぁ、この描き方でも間違ってはいないんでしょうが、できればもう少し真面目に作って欲しかった。

ここまで幼稚な映画を久々に観ました。
こういう映画を作ってしまう人たちこそ死ねばいいのに、と思わざるを得ないほどの失笑の嵐。


藤原竜也のがんばりが虚しかった。やめときゃ良かったのに。

ちなみに「それでもボクはやってない」でも思ったんですが、瀬戸朝香はどうしてあんなに芝居が大きいんでしょうか。
力加減がどうもまちがっていてシリアスになればなるほど笑いを誘ってしまう。
ちなみに殿堂入りは石田ひかり、吹石一恵、内山理名。

映画【レミーのおいしいレストラン】

2007-12-10 23:01:38 | 映画
 
 
レミーのおいしいレストラン
2007
Brad Bird (ブラッド・バード)


純粋に「面白かったー!」と言える作品。
サスガはピクサー。
ピクサーにハズシ無し。
ディズニー傘下に入ろうともクオリティは衰えず。


3次元CGモノなんですが、もの凄く情感豊かで、ヘタな役者を観ているよりよっぽど楽しい。
逆を言えばデフォルメされた分かりやすい動きなので、ヘタするとイヤラシイだけのゴリ押しになってしまうけれども、本作はもの凄く良いところに着地しています。
「ルクソーJr.」(PixarのIDでもあるスタンドライトのアニメーション)から脈々と受け継がれるイズムがその時の最高の技術によって、文字通り生かされています。
見た目の派手派手しさではなく「私たちが出来る最高の作品を意地でも届ける」という姿勢がゴリゴリ。
中途半端なCGIでスケールをごまかす作品とは全く違います。

私は基本的にCGIが嫌いです。
何故かと言えば、結局ソレはごまかしでしかない。
「撮れないからCGIでなんとかしてみよう」の感がヤダ。
撮れないモノは無理して撮らなきゃ良いし、撮らないんだったら無理に実写に近づける必要なんて無い。
けれども、ピクサーは自分たちのツールは3次元CGIだと確信していて「絶対に実写のキャメラで撮れない最高のヤツ魅せてやるぜ」という気概がビシビシ。
「鉄コン筋クリート」とか、「トイ・ストーリー」とか。

映画に限ったことではなく、全ての創造物がそうですが、ごまかしほど愚かなモノはありません。
そういう理由で嫌いな作品は山ほどありますが、キリが無いのでやめておきます。ごく最近そういう作品がありましたが。
映画は観た本人が納得すれば良いのです。
好きな映画は沢山観た方が楽しいに決まってるし、無理してつまらない映画を観るなんて苦行をする必要はありません。


というか、本作は脚本も素晴らしくてワクワクさせられるし、一切無駄なシーンがないとんでもない密度。
コレは好きだわー、とブラッド・バード監督の履歴を探ったら、かれこれ8年(引っ越ししても)壁にに張り続けている「アイアン・ジャイアント」の原案とのこと。私の心の映画。好きなはずです。


是非ご覧アレ。
絶対に期待を裏切りません。