この歳にして初めてコミケに参加しました。
これをこじらせると大変なことになるのは承知の上ですが、見過ごせないですよ、やっぱり。
今回は3日間で56万人動員だそうです。しかし、これは「数」だけが一人歩きするべきではないのです。そういう取り上げ方をするニュースは、わかりやすいニュースであるために数を使うのです。ここを勘違いしないでいただきたい。
「人、沢山行ったんだねぇ」というのも前回までの私の感想でした。しかし、今年は違う。
行ってわかったことが一杯ありすぎて、ツイッターじゃ書ききれないし、流されてしまうのもシャクだということでこちらに残しておきます。
もうね、本当に行って良かった。これだけは本当に。
この現実を知らないとコミケ自体がなんか変な妄想っつうか、都市伝説みたいなものの一部と思われかねないし、多分殆どの人はそう思ってるはず。
「オタクが集まってなんかやってるだけでしょ?」とか「そんなに集まるわけ無いじゃないの」とか「っつうか、オタクってそんなにいるの?」とか「そんなもん、オレには関係ない」かもしれません。殆どの方はそうでしょう。
でもね、違うの、現実にあるの。
現実にあるモノで自分の生活に関係ないモノはいっぱいあるのですが、果たしてそれが本当に関係のないものなのか?と。
なんか、こういう書き方すると「現代思想にかぶれてるだけじゃん」とか「宮台とか東浩紀が好きなんでしょ?」とか思われることも承知です。でも私あんまりその辺読んでません。不勉強です。少しだけ目を通しているというレベル。その辺に明るい方には超陳腐な話しだと思います。本の嗜好はどっちかっつうと自然科学方面です。
いや、そもそも現代思想って何?ってことなんですよ。全ての現代思想家がこぞって「今はアニメを観ないとヤバイ」と云っているわけではないでしょう。たまたまそういう素養を持った現在現代思想家がディアに現れているだけなんだとおもいます。それを取り上げているのは編集側であって、つまるところネタがもうないから広げた裾野がアニメとかだったって事だと思います。見た目にわかりやすいネタとして。ワイドショーの殺人事件と同じで、明日には無き者にされるもの。言ってみりゃ、殺人事件もコミケも普天間もマスコミ的な価値判断からすると同じで、どれだけニュース性があるかと。そのニュース性が最もあるものが今日のワイドショーを飾るのです。で、たまたまわかりやすい突発的な数字を持っているアニメ界隈が最近取り出さされている。翻ってみればそれだけ無視できない、あるいはイヤでも目に入ってくる。
はい、ここ!
イヤでも目に入ってくるということ。
趣味ジャンルと言われるモノが超細分化されて久しい昨今、やはり濃密なものはイヤでも浮上してきます。むしろ、海面が下がったために頭が出ちゃった誰も知らなかった大陸の様な。
コミケというかアニメというか漫画に対して理解する気がない方に響かないことは承知ですし、むしろ反論していただけたら幸いです。
少なくとも「怖い物見たさでもいいからコミケに一度くらいは行ってみようかな」という方の背中は少なからず押すかも知れませんが、そうでない方には(にわか)オタクの戯れ言にしか映らないでしょう。承知の上です。
正直、私、ポッと出のド素人ですよ。
もちろんエヴァンゲリオンは観ていましたし、映画が公開されれば劇場にも毎度行っています。こないだ、コンテ集も全巻買いました。でも、そんなのはアニメ云々じゃなくて国民行事的な意味合いの方が強かった。
2年くらい前から意識的にアニメを観だしたわけですが、その復帰第一弾が「涼宮ハルヒの憂鬱」で、それももちろん後追いで1期のDVDが出きった後にまとめて観たのです。何でそのときにアニメに手を出したのか良く覚えていません。山下監督の「リンダリンダリンダ」のライブシーンを完コピしているアニメがあるという噂から見たのかもしれませんし、鬱陶しいくらい耳にする「ハルヒ」というワードが何なのかを確かめる為だったかもしれません。今となっては。
ハルヒについてはノベルズ版も1巻だけ読んでみました。
先達曰く、ハルヒ以降「ライトオタク」が増えたとのこと。彼等にしてみれば私はウワバミを舐めるだけの輩です。
それだけハルヒはその溝を埋めるエポックメイキングな作品であったのだと思います。ある意味、これがイケルかどうかが試金石。
その後にもぼちぼち観てはいますが、現役の先達にはとうてい敵わないレベル。結局メジャーなものしか観ていません。
ただ、それ以後映画を観る数が激減し、アニメばかりを観ていました。
「化物語」、「けいおん!」、「鋼の錬金術師」「図書館戦争」「電脳コイル」「東のエデン」「四畳半神和大系」「荒川アンダーザブリッジ」「さよなら絶望先生」「Angel Beats!」とかそのへん。攻めているとは決して云えません。
そんなド素人であるものの、一度は行ってみたかったコミケ。その念願を遂に果たしました。
きっかけというか、最後に背中を押してくれたのが結構最近出会った友人T君で、小沢会(小沢健二ひふみよツアーの報告会)と称して集まった方で、小沢方面でも相当話し込んだモノの、話していくうちに「アレ?そっちもいけるクチ?」みたいなことになり最終的にはアニメ話にももつれこむという素敵な出会い。その場でもコミケの話しが出てはいたモノの、お互いに牽制状況。
その彼からコミケ開幕前日に「やっぱり行く?」的なメールがあり、想い出したというかこじらしたというか、ぽろっと空いた夕刻にそのまま秋葉原にカタログを買いに赴いたのであります。
※コミケカタログというのは参加サークルの開催日での所在地等がサムネイル入りで載っています。
ここで一つ洗礼があり、コミケ前日の秋葉原でカタログを買うというのは結構な難局だったらしく、正直ナメてました。
アニメイト、とらのあな、K-Booksあたりの秋葉原大手書店は全て在庫切れ。で、片っ端から同人誌ショップを巡り、なんとか入手。多分10件は回ったかと。地下とか異常に間口が狭いビルの一室とかを巡って。オマケとしてよく知らないキャラのクリアファイルもらいました。
そういう洗礼があったからか「もう、行くしかない」テンションに上り詰め、とはいえギッチギチに仕事のスケジュールを入れられていて、なんとか日曜だけ無理矢理空けて友人T君と共に行くことに。
そのカタログですが、まぁ下手なタウンページより厚いわ重いわなんですよ。
後日談ですが、T君とはお互いに「正直行かないだろうなー」とは思っていたとのこと。変な牽制合戦で行くことに。
で、金曜・土曜と2chでの実況スレを観つつじりじりとテンションを上げ、日曜日に至ったのです。
唯一の懸念は、3日目はエロメインだということでした。
私、会社が大崎なので、ビッグサイトへの中継地点ということもあり、金曜・土曜と戦利品を手にした先達をちらほらと見かけていました。正直、その時点ではまだ外部の人間意識で「その紙袋は駄目だろう」という意識。
そして日曜日。
正午に大崎駅でT君と待ち合わせ、ビッグサイトへ。
大崎では既に帰宅組が戦利品を抱えての図。
ツイッターを追いかけると「大井町は地獄絵図、券売機の紙が無くなる」というガセRT祭り。恒例の情報戦ですね。
※毎回コミケでは2chでの情報戦が繰り広げられます。ライバルを少しでも減らすためなのか。ツイッターはガセだらけでした。
電車に乗ってしまえば余裕で座れるし、大井町でも全然乗車してこない。杞憂でした。
しかし、りんかい線国際展示場駅を下車すると、もう世界は一変。
ところで私、前職でBtoBイベント業界にいまして、ビッグサイトはそれこそ月イチで通ってました。駐車票なんて持って無くても強気で無理くり駐車場に突っ込む慣れっぷりでしたよ。
しかし、そのどのイベントとも違う様相。けれど、それをして異様だとは思わず。
この感覚は何なんだろうと思うと、リテラシーの高さだと思うのです。
改札に向かう案内にも忠実に従い、道中も歩きタバコもいない。行く列、帰る列が完璧。逆に言うとシープドッグに追い立てられる羊の群れのような従順さです。
普段、BtoBイベントが行われている有明地域の方が野放図ですよ。これはちゃんと言っておきたい。自分の行動も含め。
BtoB展示会に来る人たちというのある程度時間に余裕のある幹部社員か会社サボリの人たち。正直、そう言う人たちの方がマナーが悪いです。「仕事なんだから、オマエらやっとけ」的な空気感。お客様意識の強さ。まぁ、確かにお客様なんですが、なんつうか、普段もあんたらそんな横柄なの?と思いたくなる態度。
BtoCである場合は激変します。お客様を迎える為にありあまる対応。けれど、その対応はどこか客をナメている。変なバランス感覚です。ブースにいる人たちはもてなすことに慣れ、客はもてなされることに慣れている。
このリテラシー問題については何度か思うところありました。後に記載する総論として思ったこともここでした。後述します。
ビッグサイト到着。
特に入場制限があるわけでもなく、先ずはなんとなく流れに乗って西へ。
最大の懸念事項であった異臭もそれほどのモノではありませんでした。
この西への移動が最大の過ちでもあり、ベストチョイスでもありました。
※ビッグサイトは大きく分けて西1,2と西3,4東1,2,3と東4,5,6という4つのホールがあります。
我々が最初に向かったのは西1,2。
そこでT君と一旦別れ30分間のソロ活動。
「アレ?なにこれ・・・」感が尋常ではありませんでした。BL(ボーイズラブ)と百合(レズ)コーナーでした。
いきなりの洗礼。突然すぎる異文化。暴力的なまでの当然感。避けては通れぬ茨道。むしろ必然。
ここでひるんでは今日という日に「ありがとう」が言えないもったいないお化け。
男性向けエロであれば、そこそこ対応力はありますが、なかなかのハードルの高さ。順応したくても性別という大きな壁。
ぐるっと回ってなんとか女性向けを通り抜けるとそこには大学アニ研の島。一冊購入。
最初の衝撃が強すぎて「けいおん!」もしくは「化物語」に安心感すら覚えました。貫禄とでも言うのでしょうか。
再度T君と合流して流れに乗ってなんだか屋上っぽいところへ。
移動中もリテラシーの高さを感じます。跨げば余裕で越えられるポールを誰1人越えない。
コスプレ広場。
かつて幾度となく静止画で見ていたはずのコスプレ。しかし、それを生身の人間が行っている行為であるということを再認識しました。人間が2次元の模倣をするとかそういう面倒な手続きはそこには無くて、好きだからこの格好をしているという純粋すぎる昇華しまくった人たち。
我々(非オタと思っている全て)が好きな服を着て街を歩く行為とどの辺が違うのか、カッコイイ服を着て街を歩くことで観られることを前提としたのであれば全く同じじゃないか、観られることを目的として、観ることを目的とした人がそこに渦巻いていました。
例えば表参道当たりでメンノンのファッションスナップに撮られることを目的とした人とコスプレにどれだけの違いがあるのか。
「わたしは~、別に~、イイって~、言ったんだけど~」とか言ってる読者モデルとか言って1万部雑誌に載ってる人と覚悟のレベルが違う。
ワンピースのコスプレの人に人だかりが出来ていましたが、正直普通に可愛い人でした。その価値観は恐らくファッション誌と全く同じで、どれだけオシャレな格好をしていてもブサイクはファッションスナップには載らないし、載せたところで売上に貢献しない。だから載せない。
コスプレも基本的に漫画のキャラは美男美女であることが前提であるのですよ。
じゃ、ファッションモデルとレイヤー(コスプレする人)の違いって何?
プロ意識?そのプロって何?金?いや、違う。
ここでもリテラシーの高さを感じます。撮ることを目的とした人は必ず声をかけ、それに応えるレイヤー。
流れに乗って企業ブースへ。
「あぁ、これは確かに展示会の作法だな」と思う一瞬。ここに来て初めて思ったのが、企業ブースの下品さ。その下品さに安心感すら覚えました。これは普段生活している場とあまり変わらない。なんかね、「売る」ことをメインとし過ぎていて、それ以外が感じられなかった。電器屋での感覚に近い。そうじゃなかったのかも知れないけれど、10分そこそこで退散。
そのまま東4,5,6へ移動。
来ました、エロ本祭り。これがコミケかと。臆面もなく、制約無くエロ本(二次元)を立ち読みしまくりました。
で、目の前に作者がいる。
通り過ぎようとすると「お手にとってご覧下さい」と宣う。
彼等は自身の性癖を売り物にしていて、そこに全く悪びれる事がない。これはどういう状況なんだ。
私もその筋はキライじゃないので、好きな絵柄があれば「読ませてもらって良いですか?」と手に取ります。
※手に取る前の声掛けはマナーです。
そこで気付いたのが、半勃起状態であること。
まぁ、エロですから。物理法則ですよ。夏なので薄手のパンツであることが気になります。
ここにいる何万人が総じて半勃起状態。いや、完全エレクトな方もいらっしゃったかもしれません。むしろ過半数かも知れません。
でもね、ここでひるんではいけないのですよ。
「キモチワルイ」の一言で片付けてはいけないのですよ。
そう思う全ての人(非オタの人)に対して「あんただってセックスしてんだろ?ベロベロベロベロ舐めてるんでしょ?」とか思うわけですよ。
漫画の中で「ンギモッヂイイーーーー!」とか言ってるのがキモチワルイとか言ってる人、はいアナタ。
自分がセックスしているときにそんなに理性的なんですか、と。
「いやいや、それを公衆の面前で行うことがね・・・」
はい間違い。ブー。
ここはプライベートなんです。公私が同居する特異な場所なんです。
これをして自無茶苦茶な正当化だと思うんだったらもういいです。観たこともないものを客観視できないことは悪いことではありません、けれどつまらない。
これで友達の大多数を減らしても構わないですよ。
持論ですが、セックスの話しというのは紳士協定があるからこそなんです。セックスの話しで誰かを傷つけるであろう輩とは話をしたくもありません。
誰も傷つけない、大昔からの処世術。公私をどれだけギリギリまで研ぎ澄ませてネタにできるか。
この紳士協定の発展形がそこにあるのです。表現する側は先ず、自分の性癖に蓋をしない。巡る側はここには必ず求めるモノがある。否定はしない。
少なくともセックス描写だけで「キモチワルイ」ものとして欲しくないと切に思います。
全く2次元に興味がないと言う方はいるかもしれません。
でも、実体験上男性に限らせてもらえば漫画でオナニーしたこと無いって人いるんですかね。
あぁ、こういうエロネタを公にすること事態がNGなのか。
とこで、エロ=悪みたいな図式って誰が作ったの?
いや、別に誰がリンゴをかじったのかという犯人捜しをしたいわけではありません。
全面肯定するわけではなけれど、エロとかセックスを頭ごなしにクリエイティブから除外したがる人って信用できないんですよね。
これって欲求としてものすごく正しい方向で、そこ省いちゃったら腐れマダム的無菌室にしかならないと思っています。
アホ映画なんかで見かける異常に綺麗なセックスシーン。あんなもんこそ創作。それやってる人がアニメ批判するって何?それ、同じよ。
例えば文学にしても太宰とか三島とか春樹とかはそこ抜きで何が言えるの?と。
映画にしても人間描こうと思ったらそこ省けないでしょうが。
セックスしたいからバンドやるのと何が違うの?
セックスできないから自家発電しちゃだめなの?
話しが飛びました。すみません。
けれど、コミケの真骨頂ってここなんだなと。
最後に東1,2,3へ。
ここでやっとたどり着けました。
批評の島。
やっとの思いでたどりついた。もう、目につくもの全部買いですよ。
とはいえ、10冊くらいで1万円程度の買い物ですが。
イチイチ素晴らしい言語感覚。
「オタクとは。変態とは。」
「オタク的プロシューマーとは」
評論ものばかりを買ってしまったんですが、これもルーキーたる所以でしょう。
なるべく、木を見て森を見ずに陥らない為なんですが、マクロばかりを分析したがる学者先生にならないように気をつけないと。
今回コミケで使ったのが約1万円。
作家に対してプロ意識の欠如の巣窟だと思う反面、そこで現金が動くということに驚愕しました。
目の前にあるモノが欲しいから金を払うというヤミ市の様な状況。
所謂オタクと言われる人は相当にネットに明るい方ばかりのはずで、需要と供給による物価に対しては相当うるさいはず。にもかかわらず金をその場で払う。1冊に対しては少額(基本単価は500円)かもしれないけれど、あの場に於いてやりとりされた金額たるや。
50万人が1万円ずつ使っても50億。
コンテンツに対して、それが二次創作であったにしてもそれだけの金額が動くということを知らないといけない。
お金を払うという手続きというのは簡単であるように見えて、そこに至る思考回路は凄く複雑だというのは誰でも知っていると思います。
あの場が集団催眠のような状況で、今買わなければいけないという刷り込みがあるのは認めざるを得ない。
しかし、その様な刷り込み短絡的な思考は待って!
確かに、その場所はお祭りではありました。私のようなポッと出の素人が赴き、金を遣うという思考回路、そのバイアス。
そのバイアスを解明しようとは思いません。できる気がしません。
そこにある殆どがエロ漫画だし、エロ漫画売って買って何が楽しいの?って思う方も大勢いるでしょう。
でもね、それだけではない。そこにあるモノがエロ漫画だけではないという意味です。
湾曲した感情論的な話しではなく、ちゃんとそれ以外の人も存在します。数は少ないでしょうが。
チャートでアニソンが上位を独占し、DVDランキングでも同じく。
これは分母(アニメを趣向する人)が増えたということもあるかもしれませんが、そんなもの若干。それまでのユーザー総数がどれだけかはわかりませんが、恐らくここ数年で激増しているコミケ動員は今まで頭しか見えなかった氷山がその姿を露わにした状態では。今ですら一角でしか無いかも知れません。
そもそも、コミケでは金を払うに値すると認められたコンテンツしか生き残ってないし、誰もコンテンツを限定してもいない。
金が払われる前提でしかコミケの場に無いという攻めの状況。
赴くユーザーも金を払うことを前提にしている。
売れてるものが全て良いものだとは思いませんし、それだけを拠り所にすると民放某刑事ドラマみたいな一極集中マスメディア的ゴミの量産となるわけで、非常に難しい塩梅ですが、コミケで云えることは一極に集中していない。一つのキャラだけに依存していない。
場だけがあるのあって、そこになにがあろうと拒まない。メディアの操作が通用しない。自分の目で見たモノしか信用しない。
ものすごく洗練された、あるいは原始的な売買の構造があります。
そこは無視できないのです。
もちろん、オタクの中にも潮流はあるんだと思います。けれどそれは総じて認められない限りその中でのマスには成り得ません。良い悪いに異常なまでに執着した人々の集大成でもあります。
そして、批判されることを前提とした表現。
ライブハウスでなんとなくの演奏をやって身内で盛り上がるのとさほど違いは無いかも知れません。
けれど、私が今回初めて行ったコミケではそういう金銭的打算的な感覚はありませんでした。これをしてやはりプロ意識の欠如かもしれません。けれど、ここで通用しないイコンがどこで通用するのか。
最後に一つ。
先に出たリテラシー問題です。
目的を持った人間はその場に於けるルールを遵守します。
逆に言えば目的を持たない人間のリテラシーの低さ。もしくは浅ましさ。
昨今、この最低限のルール、常識が無くなっていると嘆く人が多い。
のんべんだらりと生活をする人たち、行動に何の目的も持たない人たちの行動の浅ましさ。
これは、自分だけが良ければ良いということの現れでしか無く、それ以外の理由付けができません。そもそも、理由がないからだしね。
コミケにいた人たちが普段どんな生活をしているのかは知る由もありませんが、少なくともあの場に於いては目的を持ち、行動していたのです。
禁止されている徹夜とか、開幕ダッシュとか少なからず傍若無人な人もいたことは知っています。けれど、私がいた現場ではそういう人間は全く見受けませんでした。
もの凄く極端な見解ではありますが、目的を持って行動することの素晴らしさを感じたのです。
ビッグサイト全てが一つの目的のための機能を果たし、それを援護する人たち。
規則に従順であることを賛美しているわけではなく、規則が何のためにあるのかということを理解した上で秩序が保たれているということについてです。
これはどういうことなのかというと、文化祭なんです。少しばかりの違反者はスパイスであって、それが無ければ盛り上がらない。必要悪であって、完璧に秩序絶対主義になると崩壊してしまう危ういバランス感覚。けれど、これは人間が生活していく上で必要なモノなのです。相対的なものであって、端から見れば十把一絡げに見えても、内部的には善悪の基準があると言うことが大事。56万人による世界の縮図。
一つの目的の為に普段全く違う生活をしている人たちが目的に向かって動く。
私たち全てが持っているであろう幸せな体験。
なんだかわからないけれど、今はみんなで一緒に何かをやろうとする行動原理。
アニメとかエロとかを考える前に、先ず、初めて行った感慨はここでした。
これは、これだけは行かないとわからない。
C79かC80では、できればサークルとして参加したい。
外側から観ているだけではいけない。
そのためのアジェンダ設定を早急にせねば。
こういう思考(嗜好)を育むことによってコミケは存続し続けているんだろうな。
行かないでガタガタ言ってる人、行けって。
友人である霞町ファンク(カスミチョウファンク)が「出れんのサマソニ」に応募中です。
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携帯からはこちらからです。
※メアドとかの記入は必要ありません。
一日一票。
Macから一票、iPhoneから一票、iPadから一票、iPod touchから一票、携帯から一票、PCから一票。
持てるデバイスの全てを駆使してお願いいたします!
PVは私が撮ってます。
「合成なのね~」と言われますが、歌っている本人以外は全てプロジェクタで投影して1カットで撮っています。
投影している映像も殆どカット繋ぎだけの男前仕様。
かなりローファイな上がりです。
第三京浜 / 霞町ファンク
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かなりローファイな上がりです。
第三京浜 / 霞町ファンク
今年に入ってから全く更新していませんでした。
この間、映画を観たり、酒呑んだり、メキシコ(とアメリカ)に行って仕事したりしてました。
カリフォルニアは良いところですね。
真冬なのに暖かい。
でも、あの場所では執着心の塊のような何かが生まれない気がしました。
飯がマズイ。
行った後に観たんですけど、テネイシャスDの様な緩さを寛容する土壌があるな、と。
メキシコは良いところでした。
飯が旨い。本当に旨い。
真冬なのに昼間はTシャツ。
よく分からない熱気がみなぎる街でした。
何かが出てきそうだけど、外に出す方法が無い(知らない)街だな、と。
ちらっと行っただけ君の気候からの独断です。
どちらも、行って良かった。
最近観た映画。
ファニー・ゲームUSは、やはり面白かった、けど、セルフ完コピは如何なモノかと。
ホット・ファズもDVDになってもう一度観たけど、やっぱり面白い。
ファイト・クラブはどうしても年の頭に観てしまう。最高。
この間、映画を観たり、酒呑んだり、メキシコ(とアメリカ)に行って仕事したりしてました。
カリフォルニアは良いところですね。
真冬なのに暖かい。
でも、あの場所では執着心の塊のような何かが生まれない気がしました。
飯がマズイ。
行った後に観たんですけど、テネイシャスDの様な緩さを寛容する土壌があるな、と。
メキシコは良いところでした。
飯が旨い。本当に旨い。
真冬なのに昼間はTシャツ。
よく分からない熱気がみなぎる街でした。
何かが出てきそうだけど、外に出す方法が無い(知らない)街だな、と。
ちらっと行っただけ君の気候からの独断です。
どちらも、行って良かった。
最近観た映画。
ファニー・ゲームUSは、やはり面白かった、けど、セルフ完コピは如何なモノかと。
ホット・ファズもDVDになってもう一度観たけど、やっぱり面白い。
ファイト・クラブはどうしても年の頭に観てしまう。最高。
自宅では、ほぼiTunesでシャッフルし続けてる。
久々の休みでグダグダしつつ居眠りししてまっていたのだが、その間にかかっていたJimiの「Lover man」とJanisの「Catch me daddy」が、なぜか記憶に残っている。
夢現で、この曲に映像をつけろと言われた気になり「これは大変なことになったぞ」と思っていた。その後の夢の中で勝手に共演した気分になっていた。
眠っている間にすら意識に割り込もうとしてくる迷惑な主張。
この人たちは、何かを伝えようとしたのではなくて、思っていることがそのまま出ちゃって、周りの人に相当な迷惑をかけまくったんだろうな。でも、被った人たちはさぞ楽しかったことだろうな。
久々の休みでグダグダしつつ居眠りししてまっていたのだが、その間にかかっていたJimiの「Lover man」とJanisの「Catch me daddy」が、なぜか記憶に残っている。
夢現で、この曲に映像をつけろと言われた気になり「これは大変なことになったぞ」と思っていた。その後の夢の中で勝手に共演した気分になっていた。
眠っている間にすら意識に割り込もうとしてくる迷惑な主張。
この人たちは、何かを伝えようとしたのではなくて、思っていることがそのまま出ちゃって、周りの人に相当な迷惑をかけまくったんだろうな。でも、被った人たちはさぞ楽しかったことだろうな。
この事件のつい一昨日、友人とメイドカフェとパーツ屋とエロショップを徘徊するためにまさに「あの場所」にいた。
ちなみに、隔週くらいで何かしら訪れている。
『歩行者天国の只中を一台のダンプカーが突進してきて数名の男女を跳ね飛ばす場面を目撃した。信じがたい情景を目にした博徳は、驚きのあまり足が竦み、息を呑んだ。眼前の景色全体が、映画のスクリーンにでも豹変してしまったかに思えた。(中略)運転手が逮捕されたのかどうかすら知り得ず、その場にいる誰もが、事の真相を掴みきれず、一様に唖然たる面持ちを曝していた。』
(阿部和重著「シンセミア」
現実は小説を模倣するという言葉を持ち出すまでもなく、これまで幾度となく繰り返されてきた想像(フィクション)が現実になる惨事。
たまたま私がこの小説を読んでいて、酷似していることから引用した。
何が言いたいのかと言えば、この事件の日、そこにいる人間の何人かは既に(脳内で)経験しているであろうということ。
私のようなサブカルに明るくない人間ですらこの程度のことを知っているのだ。
あの場所の大多数の人間の頭の中には私以上の鬼畜な知識を有している人間が数多くいたことだろう。
彼等の頭の中にはそれまで空想でしか成し得なかった事実を目撃することが出来た高揚感があり、前提としては現実であると認識するまでのギャップによってその事件を「楽しんだ」のでは。
恐らく、私がその場所にいたとしても似たような行動をとっただろう。同じ人種だ。
もしくは、何も出来ずに立ちすくみ、しばらくしてから立ち去っただろう。後日、あの日のことを目の当たりにしたことを嬉々として喋るかもしれない。
彼等を一様に責められない。
なぜ、そういう思考になったのか、その原因を考えるべきだ。
咄嗟に現実として認識し、人命救助ないし事態の収束に向かった方々の思考回路こそ「正しい」のだろうが、その「正しさ」が正常に機能しないくらいに脳内の経験が豊富になってしまっている。予測不可能な事態に直面したときにこそ「人となり」が出てしまう気がする。
「その場にいたら何かしてあげたかった」と思うことは「事後ヒーロー」ではないか。
現場で、直感で「ヒーロー」たらんとした彼等を嘲笑する輩がいないことが救いだ。
同時に、傍観者であった彼等を責めることは誰にも出来ないと思う。
あと思うことは、今日「秋葉原事件」とか「秋葉原通り魔」とかの名前で報道されたことがマスコミの認識であって、明日以降のマスコミの報道には何の価値もないと思う。生い立ちやら知人の評価やら趣味趣向やらが捏造の元に発表されるだけだ。
事後判断ではなく、その瞬間の判断こそが人間だと思う。
何を考えての犯人の行動かは本人にしかわからない。
今回も原因はあとから勝手に作られるんだろうな。
人が考えた原因を鵜呑みにしない方が良い。
5/9(金)に新宿二丁目の非常口で行われた「Hot Fuzzトークイベント」に行ってきました。
イヤー、楽しかったですよ。
公開前(7月公開)とは思えぬ盛り上がり。100人以上入っていたとのこと。
先日の「チラシハリス隊」でお会いした方とも再会。
ロフトプラスワンスタイルのダラダラとしたトークイベントでしたが、そのユルさがまた良い。
トークもほぼHot Fuzzとは関係ない話でしたが面白い。
シークレットゲストにHot FuzzとShawn of the dead主演のサイモン・ペッグと監督のエドガー・ライトが!
日本に来ていると聞いたていたので、来るんじゃないか?と思っていたら本当に来てくれました。
これは嬉しい。
映画会社の方と少しお話ししたところ「前日から取材が詰まりっぱなしで殆ど寝ていない」とのこと。
しかし二人とも随分と会場にいてくれていました。見るからに具合の悪そうなサイモンは途中退場。監督は最後まで。素晴らしいファンサービス。
本当に仕事としてではなく、プラべートで来てくれたとのことです。
プライベートで来ているのはエドガーとサイモンだけではなく、映画会社の方も「これは社用じゃない」と。普通に酒飲んでましたし。
中盤で、突然目の前にステージを降りた山下監督が。少しばかりお話しさせていただきました。
同い年ということもあり、割と普通に。言ったことと言えば「ファンです」くらいしか覚えてませんが。
イベント終了後はエドガーのサイン大会。
普段、この手の行列に並んだことがなかったんですが、きっちり並んでサインいただいてきました。あと、写真も。
嬉しい。
「HOT FUZZ」ちゃんと金払って観に行きます。
7/5(土)からシネマGAGAにて。
「HOT FUZZ」がヒットしない限り日本の映画界は暗い!
ということで皆さんでバンバン盛り上げていきましょう!
決起集会の意味も込めてのトークイベントです。
詳細は下記です。もう明日なんですがいかがでしょう?
もしかしたらあの人来るかも・・・。
「公開署名運動の会」主催「ホット・ファズ」トークショーイベント
5/9(金)@新宿のクラブ「非常口」
19:00開場 20:00開演(23:30終了予定)
入場料1500円(1Drink付)
<司会>
わたなべりんたろう(映画「Hot Fuzz」の劇場公開を求める会」主催)
<ゲスト(敬称略)>
山下敦弘 (映画監督 「リンダ リンダ リンダ」、「松ヶ根乱射事件」、「天然コケッコー」など)
向井康介 (脚本家 「リンダ リンダ リンダ」「松ヶ根乱射事件」「神童」など)
花くまゆうさく (マンガ家 映画監督)
中野貴雄 (映画監督 脚本家)&「ホット・ファズ」ガールズ
石井裕也 (映画監督 07年PFFグランプリ、第一回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞)
吉田豪 (プロ書評家&プロインタビュアー)
ミト (クラムボン ミュージシャン)
Dr.Tommy (DJ、ミュージシャン 元ビブラストーンなど)
高橋健太郎(ミュージシャン、ライター)
映画「Hot fuzz」劇場公開を求める会
HOT FUZZ公式サイト(GAGA)
Hot Fuzz Trailer (日本語訳付き)
※私は必ず行きますので「一人で行くのもアレだなぁ」という方はご連絡下さい。
ということで皆さんでバンバン盛り上げていきましょう!
決起集会の意味も込めてのトークイベントです。
詳細は下記です。もう明日なんですがいかがでしょう?
もしかしたらあの人来るかも・・・。
「公開署名運動の会」主催「ホット・ファズ」トークショーイベント
5/9(金)@新宿のクラブ「非常口」
19:00開場 20:00開演(23:30終了予定)
入場料1500円(1Drink付)
<司会>
わたなべりんたろう(映画「Hot Fuzz」の劇場公開を求める会」主催)
<ゲスト(敬称略)>
山下敦弘 (映画監督 「リンダ リンダ リンダ」、「松ヶ根乱射事件」、「天然コケッコー」など)
向井康介 (脚本家 「リンダ リンダ リンダ」「松ヶ根乱射事件」「神童」など)
花くまゆうさく (マンガ家 映画監督)
中野貴雄 (映画監督 脚本家)&「ホット・ファズ」ガールズ
石井裕也 (映画監督 07年PFFグランプリ、第一回「エドワード・ヤン記念」アジア新人監督大賞)
吉田豪 (プロ書評家&プロインタビュアー)
ミト (クラムボン ミュージシャン)
Dr.Tommy (DJ、ミュージシャン 元ビブラストーンなど)
高橋健太郎(ミュージシャン、ライター)
映画「Hot fuzz」劇場公開を求める会
HOT FUZZ公式サイト(GAGA)
Hot Fuzz Trailer (日本語訳付き)
※私は必ず行きますので「一人で行くのもアレだなぁ」という方はご連絡下さい。
HOT FUZZ
2007
エドガー・ライト(Edgar Wright)
かねてより公開が望まれていたエドガー・ライト監督の「HOT FUZZ」が遂に7月に日本でも劇場公開されます!
名作「ショーン・オブ・ザ・デッド」が日本未公開という憂き目にあい、そうはさせるものかと映画「Hot fuzz」劇場公開を求める会
有志の署名活動の結果、公開がGAGAにより実現。
ありがとうGAGA!
やるじゃないかGAGA!
公開までGAGAが潰れないように、「ライラの冒険」のチケットだけ買いましょう。
日本公開決定を受けて、エドガー・ライト監督よりのメッセージがアップされています。
「ホット・ファズ」のエドガー・ライト監督から日本のファンにメッセージ(日本語字幕付き)
(撮影は町山智浩氏、署名サイトの管理人様より依頼を受けて作成しました。)
Hot Fuzz Trailer (日本語訳付き)
(以前制作した勝手に和訳したバージョンです)
ホント、何でもやってみるもんですね。
署名は公開決定時で2300人とそれほどでもなかったにしても、一人一人の想いの強さ(と、面倒な業界筋の圧力)の賜です。
観たいモノはなんとしても観たい!
これは観客の気持ちでもあり、この映画を撮ったエドガー・ライト監督の想いでもあるでしょう。
まだ観てないんですが、観てない前から楽しめる映画を撮ってくれてありがとう!
参考リンク
今のところ2007年ベストワン映画『ホット・ファズ』!
映画「Hot fuzz」劇場公開を求める会
HOT FUZZ
2007
Edgar Wright(エドガー・ライト)
今回はちょっと番外編です。
英国映画の「Hot Fuzz」という無茶苦茶面白そうな映画があるのですが、どうやら日本未公開。
まずは予告編をどうぞ。
Hot Fuzz Trailer (日本語訳付き)
(※この日本語訳付き予告編は友人にオリジナル予告編を和訳をしてもらって、勝手に作ったモノです。)
あらすじはこんな感じ。
『バツグンに優秀な警官:ニコラス。しかし、彼はデキすぎるがために左遷されてしまう。左遷された先は恐ろしく平和な街。ニコラスはその平和な街で退屈な業務を送る日々。しかし、そこでは恐るべき事件が起ころうとしていた・・・。』
という、導入部はさておき結構正統派アクション映画の様なプロットです。
予告編を見ていただければおわかりの通り、コメディ路線。
いろんな映画のパロディが盛り込まれているとのこと。しかし、そのパロディもバカにするのではなくオマージュ。
メイン所としてはジョン・ウー監督への愛が溢れるアクション映画としての面もあります。
もしかしたら予告編に登場する白鳥(アヒル?)が鳩のメタファーなのでは。説明するまでもありませんが、ジョン・ウー監督作品には必ず鳩が羽ばたきその向こうからヒーローが登場するカットがあります。
本作は「ショーン・オブ・ザ・デッド」のスタッフです。監督はもちろんエドガー・ライト。
「ショーン~」も日本では劇場未公開の憂き目にあっています。
細かいセンスがバツグンのチームです。
どうしてコレが日本では未公開なのか。
映画の買い付けに走り回る配給会社さん、とりあえず本作を単館でも良いから公開してください!
参考リンク
今のところ2007年ベストワン映画『ホット・ファズ』!
映画「Hot fuzz」劇場公開を求める会(※署名活動もしていますので是非)