notation




 
 
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(NDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL)
2008
スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)


いちいち文句をたれるというのは全く以て野暮というモノで、眉間にしわを寄せて観るのではなく、ただ楽しめば良いのでは。
DNAに上書きされた『パーパラッパ~~』のテーマが流れれば血湧き肉躍る塩基配列はどうしようもありません。

確かに、予告編を初めて観たときの落胆はありました。「インディ、動けてねぇじゃん・・・」
20年も経ってればやむを得ず。
その動けなさをカバーするためか、大げさな舞台。
最終的にどこまで風呂敷を広げてくれるかと期待しましたが、これ以上広げようのないところまで行ってくれました。
これは「もう続編は無理」のポーズなのか。


開始1分でオチがバレる驚異の構成。
ネバダ州と出てくればそのスジの方なら一発です。続いてロズウェルと来れば確定。
で、極めつけは軍事施設の壁にデカデカと書かれた「51」の文字。鉄板です。
それ以前にサブタイトルの「クリスタルスカル」というあたりでもフラグ立ちまくりなんですがね。
水晶髑髏という名前で相当有名なオーパーツ(Out Of Place Artifacts)で、遺跡(ベリーズとかアステカとか)から発掘されたものではあるけれども、当時の技術では制作不可能と言われています。ってことは誰が作ったかっつうことでいろんな想像ができる楽しいオブジェクト。

なんて上記の反応もガキの頃からインディシリーズを観て育った結果です。
初めてインディシリーズを見たのはたぶん「レイダース(RAIDERS OF THE LOST ARK)」<1981>を日曜洋画劇場で観たのは初めてで、たぶんその次に「魔宮の伝説(INDIANA JONES AND THE TEMPLE OF DOOM)」<1984>を同じくテレビで観て、劇場に行ったのは「最後の聖戦(INDIANA JONES AND THE LAST CRUSADE)」<1989>でしょうか。
当時中学生だった私は劇場に行った帰りにカツアゲされました。あまり良い思い出ではありません。けれども、インディが面白かったのはその苦々しい思い出を覆ってしまうほど。


今回の「クリスタル・スカルの王国(INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL)」の鑑賞に先立って前日の晩に連れ(インディ・シリーズ観たことない)と共に過去3作品を全て見返してたんですが、そりゃぁ面白いに決まってる。
先月もインディ・シリーズをまともに見たことがないという驚異の友人宅にDVDを持って行き、一晩中鑑賞なんて布教活動もしていました。

ファンの方はほとんどのシーンを記憶している程だと思うのですが(私もそのクチですが)やはり前作をもう一度見返してから観るのが正解かもしれません。小ネタが出てくる出てくる。
副作用としてはインディ登場のカットで「老けた!大丈夫か?」と思ってしまうことくらい。実は、前作でもインディはそこまで動いていません。大学教授ですし。

これをただの懐古主義と言われるなら、それはそれで構いません。
新しいことはほとんど無く、ストーリーもひねってひねって王道に戻ってきてしまった感アリ。
しかし『偉大なるマンネリズム』とはこういうことで、隙間を狙って狙いがバレバレな恥ずかしい作品たちの方ががよっぽど『新規性狙いというマンネリ化』していることは随分と浸透しています。設定の妙だけを追う最近の邦画に多いですね。
各人の趣味趣向の幅は確かに細分化されているけれど、そのカテゴリとかスタイルとかの新規性を狙うというのは『仏作って魂入れず』の様な「キサラギ」とか「アヒルと鴨のコインロッカー」みたいなネタバレしたら観る価値無しで、陳腐化が超早い作品を量産してしまうだけでは。
インディの場合はロイヤル・ユーザーへの直球で勝負。むしろ打ってくれ!と言わんばかり。
打った時の真芯に当たった快感を楽しめ!という様な作品もあって良いと思うのです。その辺は「釣りバカ」とか「ドラえもん」とか、前なら「寅さん」が担っていたんですが、そういう作品も少なくなったような気がします。



巷では「なんかイマイチ」という声が聞こえてくる本作ですが、私は鑑賞中に涙が滲んでくるほどに面白かった。
「面白かった」というよりも「嬉しかった」という方が正確かもしれません。
最大公約数狙いの「なんとなく飽きなかった」という65点の映画ばかりを観させられては観る側も見方が変わってしまうというもの。
本作も観る人が観ればただの最大公約数エンタテイメント作品でしょう。「所詮、ハリウッドでしょ?」と言われても返す言葉もありません。イヤ、返す言葉多すぎて伝えられる自信がありません。


全ての人が平等に面白い映画なんて存在するはず無いのです。
それと同時に、ある種の人に猛烈に突き刺さる映画も有って然るべきでは。
そういう映画がニッチとか作家主義とかアートとか言われ迫害されて久しい映画を取り巻く環境ですが、腐ってんな。ズブズブに腐ってんな。臭くてたまんねぇよ。食えたもんじゃねぇわ。

なぁ、そろそろ本気で自分が絶対面白くてたまらない映画作ろうぜ。

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ONCE ダブリンの街角で(ONCE)
2007
ジョン・カーニー(John Carney)


これは良い。好き。

サンダンス映画祭ワールドシネマ部門観客賞受賞ということで、面白いのは間違いなかったんですが、これは結構ツボです。
もの凄い安いわ予定調和だわで困った作品になりがちなんですが、歌が良い。

街角ギター弾きと、そこに通りかかった女との恋のようなそうでもないような、のお話です。
下手な映画だと、その音楽の部分をテキトーに描いて「音楽関係ねぇじゃん!」ってなことになりがちなんですが、ド頭から弾き語りフルコーラス。その後も何曲か弾くわ歌うわでかなりの音楽映画です。その曲たちが、かなりざっくりしたロックというかフォークというかよくわからないかんじなんですが、良い。
男の歌声がちょっとポール・ウェラーっぽい。

お話の進行自体は上記の通りの予定調和で、とりたててとんでもないことが起こるわけでもありません。難病恋愛モノとかを期待してみると完全にハズされますのでご注意を。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の「パンチドランク・ラブ」からいろんな仕掛けを抜いた感じとでも言うのか、だったら何も起こらないじゃないか。イヤ、起こってるんですよ。
男と女が出会い、モンモンとしつつ、しかし恋愛だけに振り回されず、すぐにセックスしない映画です。
ユルイです。
民生のHDV CAMで撮った様な絵で、自主制作なんじゃねぇの?と思うほどですが、なんだかうまいこと行っていて、下手な大作より全然好き。

平日の夜なんかにビールでも飲みながらサクッと観られる87分という短尺。
オススメです。

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レント(RENT)
2005
クリス・コロンバス(Chris Columbus)


正直、そこまでではない。
あまりにもゴージャスな映像で、なんかテーマと離れちゃってるんじゃないの?と言う映画。時代を忠実に描くために組んだはずのセットがなんかズレてない?

やはりバカ売れミュージカルの映画化というところに留まった感じです。
あと、音楽がどうしても好きになれない。かっこわるい。
やっぱり私はミュージカルがあんまり好きではないらしいです。歌が鬱陶しいと思ってしまう。
あんなに綺麗なハーモニー全開の音楽であることが必要だったんでしょうか。というか、ロックって何だ?その歌はロックなのか?

HIVについてのお話もなんかチープ。結構大事な要素の割に走りすぎ。
80年代ニューヨークのいろんな社会問題を一気に詰め込んだ作品なのでやむをえずか。


20代前半の社会に同化できずに反抗する若者を描くという映画として、2000年代にこの方法で通じるのだろうか?という疑問が残る映画です。
ここまでド素直に描くのも無くは無いと思うのですが、もっとクレバーに客を引き込む要素があっても良かったのでは。
これじゃ80年代。原作はそうであったとしても、もうちっとモディファイして良かったんじゃないの?

ラストの8mm撮影した「俺達の良い時代」の映像は蛇足。というか、あの映像を見て心動かされる程にキャラクターに感情移入できませんでした。

時代背景ありきの事件を描くのではなく、普遍的で個人的なことを感じさせてくれる方が好きという私の好みにより好きじゃなかった本作。残念。

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カルネ(CARNE)
1994
ギャスパー・ノエ(Gaspar Noe)


随分前から存在は知っていたのですが「アニエス・ベー絶賛!」という何狙いなのかよくわからないコピーのせいで鑑賞せずでした。

割とショッキングな映像で構成されているとのことで期待してみてみたんですが、映像としてはそれほどでもなく。この辺はもうマヒしているからですね。どんなにエグい映像を見せられても、そこに自分を投影できないとあまり感じることはないです。記号としての映像の刺激というのは意外性と価値観に因っているところがほとんどだと思うので、前後があるか、入り込むかのどちらかがないとスルーしてしまう。冒頭にあっても「この映画はこういうテイストですよ」というアナウンスにしかみえなかったり。
ただ、本作の場合は冒頭の馬を肉におろすシーンはただの記号として扱っている。「肉に勝手に感情移入すんな」というものだったのでは。

全編の描き方は、ある男の人生の一部を傍観する目線で構成されており、そこに画面に文字とナレーションで詩のような言葉がインサートされたりします。スライドショーを観ているような感覚。

ストーリーはこんな感じ。
ある夫婦がいた。望まれない子供を妊娠した嫁は女の子を出産すると家を出て行った。その後、男の興味は娘にのみ注がれることになる。口をきかない娘を寵愛し、いずれ少女は大人になり、言い寄ってくる男の存在も、ソレを知った男の行動とは・・・。
というロリコンの近親相姦で破局モノかと思いきや、意外と良い話だった気がします。なぜか鑑賞後はある種のカタルシスが。

中盤までの手触りはリンチ監督の「イレイザーヘッド」っぽいなぁ、なんて思ってたんですが、内容は全く違います。
男の行動は「すべては自分の娘のため」と一貫しています。序盤はそれがだたの偏愛の様にも見えるんですが、意外とそうでもない。
あんまり歪んでない。至極まっとうな愛情表現。
不思議な映画です。

尺が40分とかなりコンパクトでちょっともったいなかった。もう少し長くても全然観られます。
人生を極端に短く描くとこういう事になるでしょ?という方法のための映画だったのかもしれません。
面白い映画です。

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未来惑星ザルドス(ZARDOZ)
1974
ジョン・ブアマン(John Boorman)


傑作です。
正直、もの凄く驚きました。

ここまで、ある一人の人間の思想を映画に成立させることができるのだな、と。

カルトSF映画と言われ、かつ「2001年宇宙の旅」よりも難解とも言われる本作ですが、流石に「2001年宇宙の旅」を初見で観た時の不可解さまではいかず。しかし、自分がどこまで理解できたのかは未知です。

あらすじはこんな感じ。
『核戦争によって荒廃した未来、人類はボルテックスに住む一部のエリートによって支配され、他の人間は獣のように扱われていた。ある日、その支配に疑問を抱いた男がボルテックスの正体を調べ始める・・・」
多分、ジャケ裏だけ読んだら「猿の惑星」の様なお話を思い浮かべるのかもしれませんが、確かに近い。けれども、圧倒的に違うのが、もうSF映画の枠を超えまくっていて哲学にまで行ってしまっている。
ちなみに、ショーン・コネリー主演。

『生きていることと、生かされていること』の映画です。
この手のテーマの描き方はやはりSFが得意。
本作も名作SFの類に漏れず圧倒的な世界観をかましてくれます。しかし、その世界観に入り込むまでに時間はそれほどかかりません。

私の超勝手な見解としては「猿の惑星」よりも「風の谷のナウシカ」(漫画版)の方のラスト付近に非常に近い。
オーマ(巨神兵)を目覚めさせシュワの墓所へと向かう途中に迷い込んだ旧世界の「庭」での件から墓所での主との対話。
わかる方はわかるかもしれません。
延命のための完全なバランスを求めて創り出した人工的な社会の中にあっても、人間の本来持つ欲望や躍動をどうしても押さえることは出来ないという思考。
所謂「システムの弊害」ですね。
管理された社会の中では予測不可能なことは起こりえず、起こったとしてもそれを悪として裁いてしまい無き者とする。そのなかに突如発生(入り込む)不確定分子により人間性とは何かを再確認させる方法。
茂木先生の言う「クオリア至上主義」の考え方に近いです。

毎度の私事ですが、最近はこの辺のことに興味を持ってしまい書いている脚本も、もうグチャグチャ。

本作は、私の考える「人間性」とはやや違う帰結ですがもの凄く参考になりました。と、同時に取り込んでみたいテーマです。
未見の方は是非。
ただ、派手なSFを期待してはいけません。
「2001年宇宙の旅」とアルタード・ステーツを「面白い」と感じるられることが前提の作品です。

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2001年宇宙の旅(2001: A SPACE ODYSSEY)
1968
スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)


劇場公開40周年記念の東劇でのリバイバルを観てきました。
本作をスクリーンで鑑賞するのは初めてです。

70mmのオリジナルではなく、35mmにダウンコンしたフィルムでの上映でしたが、やはり今まで観ていたいたVHSやDVDとは圧倒的に違いますね。
というか、劇場で観て良かった。コレは。
フィルムノイズは全く気になりませんでしたが、音が小さかった。

今年のアタマにも自宅でDVDで鑑賞したんですが、その時の体験とは全く違います。今更ですが。
やはり、大型スクリーンで観ることを前提とした作品であって、そのスケール感に唖然とします。
今まで、ちょっとタルイと思っていた冒頭の猿の件の意図もなんとなく伝わってくる。そういうことか。
それ以上に、画面に何も映し出されないBGMだけのドアタマ3分の暗闇。ラストの「THE END」が出てからの5分。コレが効くぜ。
東劇の仕様なのか、小さな客電が点きっぱなしなのが気になりましたが。

全員に「観ろ!」と強制する作品ではないかと思いますが、少なくとも本作に「疑問」と「計りきれそうもない奥行き」を感じているのなら一度は劇場で観るべきです。いまのうちに。
またも強制連行した連れは、初見ということもありストーリーの理解すらおぼつかない。何せ、最初の台詞が30分経ってからですから。
「あのラストのシークエンスは!ボーマン船長の視点が!最終的に!観客に向かって!」とか「あの!ディスカバリー号の!カットは!パンフォーカスするために!露光が!10分で!」と力説しても暖簾に腕押し。
そんなもんでしょう。しかし、楽しんだとのこと。


40年経った今でも全く色褪せない作品と言ってしまってはチープな賛辞ですが、正にそう。
この40年で開発された映像テクノロジーは、本作のような映像を「如何にコストを下げて実現するか」ということになってしまっている気がします。
改めてキューブリック監督の想像力の深さに驚きます。

美術館とかライブなんかで感じることがある「追い求めすぎて壊れたバランス感」もしくは「おいてかれちゃった感」を映画で感じるのは久しぶりでした。

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ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-(HOT FUZZ)
2007
エドガー・ライト(Edgar Wright)


随分遅いレポなんですが今更。

もちろん初日の初回に並びましたよ!
敢えて「ぴあリザーブシート」も(高いから)ネットで買わず、指定席の前売りも(良い席が無かったから)買わず、当日の朝に並びますよ!
指定無しの前売りは(1300円だったから)買いましたがね。
ちなみに、前売りは完売とのこと。(初日は当日券含め完売)

前日の夜に、連れと「やっぱ指定席買っておかないと入れないのかなぁ?」なんつって急に心配になり、既に締め切られたぴあのネット販売を見てコンビニまで夜中にチケットを買いに行こうとするも既に受け付け終了の画面。


当日朝は晴天でクソ暑い。
1時間くらい前に行った程度じゃダメかも?と思いつつやはり起きられず劇場に9時頃到着。
最前列にチラシ配りで出会ったMune君が「映画愛!」と拳を突き上げ。
同じようなことを考えていたバカがここにもいた。
ちなみに、午前09時にはまだ10人程度の行列とも言えない列。

09:30には窓口が開き、指定席ゲッツ。思いの外良い席で少し不安になる。
10分前に劇場入りするとちらほらと知った顔。
彼等と少し話し、この日のために用意されたという「ビールとポップコーン」のセットを買って着席。
予告編無しの上映。





溢れる映画愛で涙すら。
どれだけ映画が好きなんだ!!!!エドガー!!!なんて男前なんだ!!!!
「どうだ!オレが好きなのはコレなんだ!」と身を乗り出すエドガーが隣にいるかのような。

観客も笑い、歓声、拍手で答える。
久々に一本の映画でここまで満足しました。

上映後の大槻ケンヂと杉作J太郎のトークショーは杉作氏が本作を観ていないという異例の事態でグダグダに。
せっかくのオーケンのトークが冴えず。
まぁ、それはおまけなのでヨシ。



ここまで両手放しなのもアレなので、少しまともな感想も書いてみようと思います。
大筋としてはポリスアクションコメディなんですが、実はテーマけっこうちゃんとしています。ただの「バカ映画」ではありません。
コメディならではの風刺が効いている。
私の感覚として、テーマは「作られた価値観を盲信するな」というもの。

ネタバレにならない程度に内容に触れておくと、ニコラス(主人公)が飛ばされた先のサンドフォードという村が毎年「ビレッジ・オブ・ザ・イヤー」を獲ることに執着していて、とにかく村の景観やらマナーを大事にしている。そのために、その規律から外れた人間を片っ端から悪と見なし、排除してしてしまう。殺すことも辞さず、で。この辺は予告編を見ていただければおわかりかと。
そこにやってきたニコラスはそのゆがんだシステムに気づく。そして有るべき姿に戻そうと孤軍奮闘する。
というような映画なのです。
目的、というか結果こそが全て、更に言えば他者からの評価こそがレゾンデートルな社会への風刺。

本心がどこにあるのかはわかりえませんが、現在の映画ビジネスに対する憤りを表現した作品の様にも思えました。
私がそう思ってるから勝手に投影しているだけかもしれません。
売れる方程式が決まっている既製品の様な作品ばかりが封切られる映画界へ「オレが観たい映画はコレだ!」という熱意だけで殴り込む姿勢とでも言うのでしょうか。
製作サイドと客へ喧嘩を売るようなものです。
懐が試されます。

『どうせ映画オタクが喜んでるだけでしょ? シネフィルってキモッ!』というアナタ!
私の連れは全く本作の元ネタ作品(「ハート・ブルー」とか「バッド・ボーイズ」とか「オーメン」とかジョン・ウーのいろいろとか)を全く知らず、半ば無理矢理連れて行ったのですが、バカウケ。ネタ元とか意識せずに純粋に楽しんでいた様子。
なんだか「映画オタクの為の映画」みたいな感も漂っている「HOT FUZZ」ですが、そんなことはありません。
モチベーションは関係なし!


久々に劇場で観るべき映画です。
こうでなきゃいかんよ。
全部がこうでなければいけないとも思いませんが、やっぱりこういう映画は大好きです。
金払って楽しみに行く映画です。


劇場公開までがんばってくれた皆様、本当にありがとうございます!
この映画がヒットすれば映画界がすこし変わるかもしれないですね。


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Love Letter
1995
岩井俊二


2004年に亡くなられたカメラマンの篠田昇さんの追悼で1週間だけシネアミューズのレイトでリバイバルしていた本作。
gg(ジジ)という毎月展示テーマを変える雑貨屋の様な店とのタイアップ企画です。
私が鑑賞したのは水曜日。とはいえ、ほぼ満席。1000円ということもあったのでしょうか。イヤ、値段は関係ないはず。

岩井俊二監督作品の中でも大好きな作品で何度も観ています。
劇場で鑑賞するのは初めて。
この作品を映画館で観られるという幸せ。
ありがとうございます。

スクリーンの中では実写で物語が進んでいるものの、どこか現実的ではなく、別の星か、別の世界の様に進んでいく。
ある景色からフレームが切り取られている、というよりは本来そこに無いものを写し出しているかのような映像。そのフレームの外では私の全く知らない生活があるんだな、というよくわからない感覚。

岩井監督の演出の真骨頂とも言える事実のねつ造っぷりが素晴らしいですね。
博子と樹(女)がニアミスするシーンでの雑踏の描き方といい、図書館のカーテンに隠れ一瞬消えてしまう樹(男)といい、病院の廊下に滑り込んでくるストレッチャーとか。
現実に起こっている出来事とは別に「頭の中で光や音はそう感じる」ことを映像に表現しています。これこそが演出。
非現実を描くことによって現実味が増すとでも言うのでしょうか。
私達が普段感じていることは人によって全く違う。
ちょっと話はズレますが、アインシュタインが相対性理論の概略を子供に説明したときに「同じ一時間でも、退屈な授業はすごく長く感じるのに、好きな子と一緒にいる時間はすぐ過ぎちゃうでしょ?それが相対性理論なんだよ」と。
まさにそういうことを映像で表現することが映画では。
感じ方というのは視点によって全く違います。「恋人にフラれたばかりのA」と「初デートの待ち合わせをしているB」という二人の人物が同じ時間に場所にいたとしても、その二人には全く違う時間が流れ、全く違う体験として残るものです。

その瞬間の視点に込められた想いを表現することに於いて岩井監督はもの凄いセンスを発揮します。後の作品よりも本作がもっとも顕著かもしれません。後の作品はあまりにも全編にその想いが行き渡りすぎて、おとぎ話の領域に行ってしまっている気がします。それはそれで好きなんですが。


ストーリーボードが切れる程に観ている作品ですが、やはり観るたびに何か想い入るところがあります。
それは私の時間も前とは違うと言うことでしょう。当然ですが。
鑑賞後、連れに「鼻息が荒かった」と言われてしまった。それほどに見入っていたというこか。
これからも何回も観るんだろうなぁ。


とにもかくにも、幸せな映画体験でした。

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ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(HEDWIG AND THE ANGRY INCH)
2001
ジョン・キャメロン・ミッチェル(John Cameron Mitchell)


コレは好き。
友人のうち2人が「オレの心の映画」とプッシュしてくれたということで鑑賞。
下記でグダグダ言いますが、結局のところ面白い。


愛することと生きることと死ぬこととについての映画。
グラムロックのドラッグクイーンのドタバタ映画という訳ではありません。
ほとんど、ミュージカルかという程の本編中の殆どが歌。
正直言って、映画と言うよりもこの歌の力。
「愛する」ことへのメンタルな願いが歌に込められまくっています。
所謂ゲイムービーとは違い直接的な性的な映像を殆ど使っていません。全てメタファー。ここは映像として素晴らしい。
愛という無形なものを描くために、その行動を追えばフィルムに撮れると思ってるバカな奴らとは全く違います。その周辺、もしくはコアを成す考えを並べることで直接的ではなく、あくまで考えさせる。これは好き。

映像としても結構実験的なことをバンバンやってたりして飽きさせません。
この映画の一番優れていた部分は、実はアニメーションの部分だったのかもしれません。
二つに分かれたことで愛を知った人間を唄った歌のアニメーションは絶品。これだけがPVとして一人歩きしててもおかしくないくらい。
以下の動画はそれ。

Hedwig and The Angry Inch-The Origin of Love



惜しいのは、やっぱりピンポイントで歌の力が勝りすぎ。
しかし、観客にはそんなこと関係なし。グッとくればそれでヨシ。
結果として何かを伝えるためであれば映画であろうが歌であろうが関係ないとは思うのですが、ここまで良い素材があるんだから「ドラマ」としてのスペシャルをもっと出して欲しかった。
これでは売れた原作の忠実な映画化とあまり変わりない気がします。

グラムロックというビジュアルであるための非日常感を、ラストだけではなく全編に散らしてみるとか。かといって「ベルベット・ゴールドマイン」まで行って欲しくない。監督で言えばポール・トーマス・アンダーソン監督のテイストが欲しかった。上で言ってることと矛盾しますが、ある一つのテーマを描くために2つの方法を採っていて、本作の場合が「音楽」と「人生」なんですが、その「人生」のドキュメントがちょっと残念。ここでは「DIG!」に通じる音楽業界のどうでも良いエコノミックアニマルさへのバッシングなんてどうでも良いんです。その要素のおかげでずっぽりいけなかった。

とは言っても確実に「残る」映画です。
未見の方は是非。
濃い作品です。
映画と言うよりも作品。
いいじゃないか、残るんだから。

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