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紅の豚
1992
宮崎駿


プロットの参考にと、ちらっと見ようと思ったものの、結局全編観てしまいました。
今更ストーリーがどうこうという作品ではないのでそんなことには触れません。
台詞がいちいちカッコイイ。
今読んでいるレイモンド・チャンドラー著・村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」もそんな台詞のお祭りです。

何でしょう、どうしてこんなに面白い映画なのか。
これは、誰にでも言えることなのか。宮崎駿からは誰も逃げられないのか。
今まで一人も会ったこと無いのが「宮崎駿ってなんか苦手」という人。

人それぞれ好みがあって、ハリウッド大作な映画が大好きな人も、クソみたいなテレビドラマが好きな人も、ヨーロッパものを好んでみる人も、おしなべて「駿好き」
何なんでしょう。
ナウシカとラピュタはガキの頃金曜ロードショウを録画しては何度も見返しましたし、魔女はちょっとひねくれていた当時は「好きだ」と言うのがちょっと恥ずかしかったモノのここ数年のナンバー1は譲りませんし、トトロはネコバスの前での「ばかめい!」では泣き笑い、カリオストロの城は多分コンテが起こせるくらい観てますし、名探偵ホームズシリーズも毎週見ていましたし。

と、書いていて気付いたのですが、二十歳を境にそれ以後の宮崎作品に思い入れが有りません。ハウル観てないし。
よく言われることに、もののけ以降はやけに説教クサイと。確かに、もののけ以降はちょっと覆い被せすぎていてよく分からない説教を聞かせられている気分になります。
「風の谷のナウシカ」の場合は全編で説教全開。逃げも隠れもしない説教。「環境破壊すんなよバカヤロウ」ですね。

「天空の城ラピュタ」でラピュタ城でのシータがムスカを諭すときの「ゴンドアの谷の詩にあるもの『土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越し、鳥と共に春を歌おう』どんなに恐ろしい兵器を持っていても、かわいそうなロボット達に囲まれていても、人は土から離れては生きられないの」という言葉もあったりします。
この言葉、最近やたらと思うのです。
今勤めている会社が駅とくっついたビルにあって、地上に降りることがあまりありません。一日中空中にいることもある。昼飯も3階で繋がった空中廊下を歩いてレストラン街へ。なんか気持ち悪い。
だったら農業やれよというくだらないツッコミはやめてください。あ、余談です。

本作「紅の豚」にしても思うのですが、人が潜在的に求めていることを表現しているんだな。
「飛ばねぇ豚はただの豚さ」なんてのも、ホントは飛びたい(比喩的な意味で)大人たちが思っていることの代弁でもあるし、子供が観てもソレはソレで純粋にカッコイイものだと思えるはずだし。豚の場合はややアダルトな設定で、ちょっと「カサブランカ」も入っていますので、長く楽しめる。歳を経る毎に楽しみ方が変わります。タバコがジタンだったり。


ボルコ(豚)が飛行艇を静かに桟橋に泊め、ジーナの店にタバコをくゆらせながら入ってきて、カウンターにもたれかかりバーボン(多分)を注文。BGMは加藤登紀子の歌うジャズ。正にヒーローの図。
いちいちカッコイイ。


ちょっと気付いたのが、宮崎駿作品で嫌われるのが「無礼者」。
もし出てきてもそれを必ず批判します。「魔女の宅急便」でトンボがキキに初めて声をかけるシーンでも「きちんと紹介もされていないのに女性に声をかけるなんて失礼よ!」と一蹴。
ナウシカでも序盤のクシャナの無礼さも後半では一変。クロトワでさえも心を入れ替えんばかりです。
「ありがとう」と「ごめんなさい」がちゃんと言える人たち。
どんな悪役でさえも礼儀を知っています。
正常な世界です。

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