じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

宮芳平展、素晴らしい

2014-08-25 | アート
8月10日夜の、NHK教育「日曜美術館」で、画家の宮芳平(1893~1971)が取り上げられました。

長野の高校で美術を教えながら、生涯で数千枚に及ぶ油絵を残したということです。

なぜ、美術教師で一生を終えた人が、
なぜ、今注目を集めることになったのでしょう。
なぜ、この方だけ?
美術教師はごまんといるのに。



…ということで、
「生誕120周年 宮芳平展」が開催されている、安曇野市豊科近代美術館に行ってきました。
(2014年9月7日まで)
http://azumino-museum.com/index.htm

いい絵でした…
何と言うか、力強さ、あるいは祈りのようなものを感じました。

その人となりを知ってから作品にふれたせいもあるのかもしれません。

宮は、東京美術学校時代、渾身の作「椿」が文展に落選。
思いあぐねた末、どうしても落選の理由だけでも知りたいと、
審査委員の森鴎外を訪ねた、という印象深いエピソードがあります。

その「椿」…
近くで観ると、そのタッチは鮮やかで品がよく、
遠目で観ると、整然として美しいです。
とても重みを感じます。

たくさんの自画像、
たくさんの、生活の中の風景、
たくさんの、妻・子供をモデルにした作品、
一筆ごとに、想いが込められているように感じました。





教え子や知人に向けた、個人通信誌「AYUMI」の一部内容も展示してありましたが、

みっともない作品は描きたくないのだ

少しばかりの銭を稼いだからとて、少しのあいだ、のんきに暮らすわけにはいかない


など、
もしかしたら、ちょっと記憶違いのところもあるかもしれませんが、
常にこのような気持ちで絵に向かっていたということは、ものすごいことだなぁと、その気迫を感じます。

こういう方を、真の芸術家と呼ぶのでしょうね。

(豊科美術館学芸員の方のお話から)

宮芳平が亡くなった後、
豊科美術館の学芸員の方が訪ね、遺品の絵画などの調査に当たったそうです。
数多くいる美術教員の中で、なぜこの方のもとを訪れたのかは、
学芸員の感性が宮芳平の絵に合致したとしか言いようがない、とのことでした。

調査していくうちに、
何千枚もの絵画が残されていることもわかり、
絵そのものの価値はもちろん、人物の背景やストーリー、森鴎外との逸話、何よりも美術への真摯な想いが共感を呼ぶこととなり、
豊科美術館で何点かの所蔵が決まったのだそうです。
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