じゅんむし日記

心は急いでいる。それなのに、何も思い通りの形にはなっていかない。がまんがまん。とにかく、今できることから始めよう。

朝練て必要ですか

2012-04-27 | 子育て・家族
あたり前なのですが、
息子は突然!高校生になりました。

あたり前なのですが、
びっくりしました。
不思議な感じがするのです。

急に学生服から私服に変わって、先月と違う学校に当然のように向かっています。

だって、つい先日のことですよ。
(勉強はしないけど)長い長い受験生期間があり、
イヤ~な入試を終え、ムスコが家に帰った時には開放感を喜び合ったものです。

私「おー、やっと終わったね。ごくろうさん。じゃ、お願いします」
と、しばらくガマンしていた肩もみも解禁しましたよ。

ムスコは何かおかしいなぁ(・・?と感じているようでしたが、
肩をもんでくれました。
(しめしめ)

なんてほくそ笑んでいる間に、
突然!ムスコは朝6時40分に家を出て、
夜8時近くに帰ってくるようになりました。

部活です。
野球です。
土曜も日曜も、だいたいそんな時間です。
これから先、もっと遅くなるというオソロシイ情報も…(゜o゜)丿

急にムスコが家にほとんどいなくなりました。
(おーい、勉強はどうしたんだーい)

部の説明も何もないまま、
帰りの時間も知らされないまま、
一週間のサイクルもわからず、
年間予定もわからず、
親はただ入部届けのハンコだけ( ̄◇ ̄;)

これが高校か!!

いったい朝練は何のため?
寝る時間も削られて身体は大丈夫なのでしょうか。
家族にだって生活があるし仕事もあるんですけどぉー。
(朝4時半に起きるお母さんもいる。どういう世界だ?)

それでも支えるのが家族なのよ、と陰の声( ̄ー ̄;)

それならばせめて、強くなるために朝練をします、
と宣言してほしいですー。
気持ちの持っていきようがないのです。

桑田真澄さんも、
学生時代の練習時間は減らすべき
オーバーワークは怪我につながる、体力と集中力には限界がある
と言ってますしね。

「野球を好きになる七つの道」桑田真澄

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「少女」湊かなえ

2012-04-18 | 


最初、物語の背景や人間関係をつかむのに苦労しました。
時間軸も、ああなったのが半年前、こうなったのは2年前…なんて整理していかないとまとまらない…^^;
(頭ワリィ~)

冒頭の友人の遺書(前半部分しか書かれていない)も、
注意深く読んでいかないと「え?何だっけ?誰だっけ?」ということになりかねません^^;

高校2年の少女たちの話だし、
片肘つきながら(という気持ちのイメージですよっ)なんとな~く読んでいました。

でも、
家族関係や衝撃の過去がストーリーに組み込まれ、
因果応報というものがベースになって物語が膨らんでくると、どんどん引き込まれていきます。

きのうなんて夜寝る前に読み始めたら、
今度は止まらなくなっちゃった!!

ええいッ!もうこうなったら全部読んでしまえッ!!
(なんと無謀な…)

本を閉じた途端、ガッと寝てしまいましたが、
朝起きて、ひと仕事を終えひと息ついたら、
なんかじわ~んとするものが甦ってきました。

知っているつもりで全く理解していなかった親友の気持ち。
何気ない気持ちでした深い罪。
罪を犯したことを気付かない罪。
意識の中にないのに、犯した罪から離れようとする本能。

少年少女たちの死に対する考え方に違和感はありましたが、
いろいろなことがないまぜになって、
ああ人生ってそうだよなーと思わせる本でした。
青春時代だけのことじゃないなって…。

人はいくつになっても気が付かされることがあります。
こんなことも気が付かずに何十年も生きてきたのか…
と思うようなことがね…。

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「聖女の救済」東野圭吾

2012-04-15 | 


本屋さんでは、この文庫本だけレンタルCD・ビデオ店のように空ケースを作って置いてありました。
(空ケースを持ってレジに行くのです)

わかりますわかります。
だって、読み始めたら本当にやめられないんだもの^^;

夫婦愛憎のもつれ…
単純な事件と思わせて、
どんどん人間関係が複雑に絡み合っていきます。

理論的には考えられるが、現実的にはありえない…というトリックが、
含みを帯びながらなかなか明かされないなど、
どんどん読み進めたくなるストーリー展開になっています。

さすがです。

殺人の動機がちょっと理解しがたいことや、
せっかく複雑に絡んだ人間関係が、結局あまり深みを持たずに集結してしまった感がどうしても残ってしまいました。

でも、おもしろくて一気読みですよー(^^)/

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少しの好きなもの

2012-04-12 | 想うこと
だいぶ生きてきたので、もう物欲が無くなってきました。

(-.-)

もとい。

最近自分の内面を探ってみると、
若い頃に比べ、物に執着しなくなってきているように感じます。
(こんなところかな^^;)

子どもの頃は、
憧れの自分の部屋(=素敵なベットがある洋間)を夢見ていたり、
オーディオが欲しくて欲しくて新聞の折り込みチラシばっかり見つめていたり…^^;

小さなところでは、
どーしても友だちの持っているものが欲しくなったり、
買ってきたレコードを保存版にするため、カセットテープにダビングしてそっちばっかり聴いていたり…。
若かりし頃は、
人生はとてつもなく長いと思っていたんでしょうね。

それが今は…
ダビングするときに1回だけ(?)聴いたレコードは奥にしまいこんだまま、
もうCDの世の中になっちゃってますよーだ。

今だったら…とっておいてもしょうがない。聴いちゃえ聴いちゃえって思います。
好きな音楽だって、
そうそう毎日何年も聴かないこともわかってきます。
こんなたくさんの本(ウチの本棚を見ている)、
いつか読み返すかもって思っていたけど、ぜーったい読み返さないって!

衣食住が足りて、
少しの好きなものが身の回りにあって、
趣味を続けるお金が少しあればいい、そんなことがわかってきます。

少しの好きなもの…

これがちょっと曲者…
な・ん・だ・よねーーーー( ̄ー ̄;)

iPadがほしい。
iPhoneがほしい。
Photoshopの新しいのほしい。
いい器(食器)ほしい。
今すれ違った人の服いいわン。

ああ、結局ワタシはレコード・CDの保存版を作らなくていいということだけしか学ばなかったのかしらん(;一_一)
ぜったい物に執着しなくなったと思ったのにな―(-.-)

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妻のある人はない人のように

2012-04-04 | 想うこと
新学期・新年度です。
みなさんは爽やかな気持ちで迎えられていることでしょうね。
いいなー。

子どもは思い通りにならないものですが、
自分自身はもっと思い通りになりません。
(とっ突然ー?!)(~_~;)

こんなはずではなかった…
なんて思っていても、冷静な目で見ている周りの人たちにはごく当然のワタシです。

こういう大人になった私…

育った環境のせいでもなく
時代のせいでもなく
親のせいでもなく
(遺伝的・教育という意味では多少そのせいということはあるけどね)
先生のせいでもなく
近所のおじさんおばさんのせいでもなく

私のせい。

私はどんな大人になりたかったのでしょう。
私は何になりたかったのでしょうね。
それを続けることはできなかったのでしょうか?
なぜ続けなかったのでしょう?

夢を実現した人。
実現出来なかった人。
それぞれだと思いますが、後者の方たちは無理矢理それを断ち切ったのでしょうか?
それとも想いが自然に落ちていったのでしょうか?

私は私のこの人生でよかった、と思えるように、
何をするというのではなく、
心を磨いていかなければいけないなと思いました。

ちょっと思い出したので聖書の一文を。
(聖書をあまり知らないくせに、知ったかぶって書いてすみません)

   定められた時は迫っています。

今からは、妻のある人はない人のように

   泣く人は泣かない人のように、

喜ぶ人は喜ばない人のように

   物を買う人は持たない人のように

世の事にかかわっている人は

   かかわりのない人のようにするべきです。

この世の有様は過ぎ去るからです。

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