親族に不幸があってお葬式に出て来ました。とんぼ返りではありますが、なんとか式には出てあげたいと思っていました。
親戚の中で一番仲の良い一つ下の従兄弟。その奥さんはウチと同じ年上女房で、私よりも一つ上でしたが、それでもまだ50前。若くても病には勝てなかったようです。
唯一の救いは子供が居なかったことかも。子供が居ないことで肩身の狭い想いをしていた様ですが、こういう結末を迎えるならばいないほうが良かったのかもしれません。
沢山の花で飾られた祭壇の写真は、ものすごく明るい笑顔でした。数日前にウチの母親がお見舞いに行ったのを聞いていました。本人は病名そのものは知らされてましたが、すでに手遅れに近い状況であったことまでは知らされておらず、ウチの母親も口止めされていました。別れ際は笑顔で「また」と言っていたそうです。特にやつれてもいない姿だったそうですが、医者の話では「もって一ヶ月」だったそうで、あっけなく終わりはやってきました。
数年前、北海道に遊びに来たときには美味しい道産ワインが売切れで紹介出来なくて「今度持って行くよ」と挨拶して別れたのですが、それをご馳走出来なかったのが無念です。
安らかに・・・・。
親戚の中で一番仲の良い一つ下の従兄弟。その奥さんはウチと同じ年上女房で、私よりも一つ上でしたが、それでもまだ50前。若くても病には勝てなかったようです。
唯一の救いは子供が居なかったことかも。子供が居ないことで肩身の狭い想いをしていた様ですが、こういう結末を迎えるならばいないほうが良かったのかもしれません。
沢山の花で飾られた祭壇の写真は、ものすごく明るい笑顔でした。数日前にウチの母親がお見舞いに行ったのを聞いていました。本人は病名そのものは知らされてましたが、すでに手遅れに近い状況であったことまでは知らされておらず、ウチの母親も口止めされていました。別れ際は笑顔で「また」と言っていたそうです。特にやつれてもいない姿だったそうですが、医者の話では「もって一ヶ月」だったそうで、あっけなく終わりはやってきました。
数年前、北海道に遊びに来たときには美味しい道産ワインが売切れで紹介出来なくて「今度持って行くよ」と挨拶して別れたのですが、それをご馳走出来なかったのが無念です。
安らかに・・・・。