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SNOW WIND blog

我が愛車“PEUGEOT307SW”を中心に、日々のくらしを綴った日記です。

撮り鉄

2010-05-19 16:20:58 | 鉄道
鉄道ファンのうち、写真を撮るのを主に活動する人たちを「撮り鉄」というそうで。今日の道新にそんな記事が載っていました。記事には札幌近辺の撮影地がいくつか載っていましたけど、昔から有名だった場所では無かったです。

私が鉄道写真を撮っていた頃、札幌近辺で有名だった撮影地は、上野幌ー北広島間の「西の里信号所」近辺でした。上野幌駅から徒歩20分くらいの切通しの地点。何度か行きました。次に有名だったのは、森林公園ー大麻間。酪農学園大のある辺りは、国道12号から線路を跨ぐ歩道橋が数本あってそこが撮影場所でした。
小樽方面だと張碓駅が良かったですが、DD51「ニセコ」を追いかけていたころは、重連になる小樽ー長万部間の数箇所にばかり行ってました。

今はデジタルカメラなので、撮影したらすぐに画像をチェックできますけど、昔はフィルムカメラで撮影してましたから現像するまでは結果が分からなかったですし、連写するにはモータードライブが必要だったので、いつも一発勝負でした。露出をあわせて構図を決めたら三脚で固定して・・・。だから三脚が立てれる線路から少し離れた場所がベストでしたね。北海道に撮影に来たときは短くて10日間、長いときはワイド周遊券の有効期間一杯の20日間でぐるっと回っていました。夜行列車か無人駅での野宿で、4日に一回くらいづつ宿に泊まって風呂にはいって洗濯して・・・・で、街の写真屋でフィルムを現像してもらってルーペでネガを確認。出来が悪ければ、スケジュールを変更して再度トライする・・・・そんな撮影行でした。

あんな旅行はもう二度と出来ない・・・・こともないかな。ウチのボクちんが鉄道好きになったら、一緒にそんな撮影旅行をしてみたいですね。結構サバイバルかも(笑)

鉄道モノをひとつ

2009-10-18 17:38:34 | 鉄道
かなーり古い写真です。これは中学の卒業旅行のときかな。東北新幹線と上越新幹線の開通が半年後に迫り、在来線の特急が全滅するすることが決定していたので、卒業旅行に上越と東北をまとめて撮影に出かけたときの一枚です。撮影場所は越後中里と岩原スキー場前の間の大カーブのところ。バックに見えるのが岩原スキー場です。ここのカーブはとても有名な撮影地でした。上野発の長岡行鈍行夜行で中里に深夜3時前頃に到着。朝方から撮影していたかな。
181系の「とき」です。「とき」という名称は新幹線に受け継がれましたが、上越線の名門列車が名乗っていた名前ですね。181系もこのころは3往復しか設定がなくて、新幹線の開通と共に廃車となる運命でした。
なつかしい写真からの一枚です。

近場へサイクリング

2009-09-12 21:34:13 | 鉄道
今日は子供と近場へサイクリングへ。豊平川のサイクリングロードを北上しJRの鉄橋まで。ここで電車が見たいそうで。私は堤防の階段に座って、秋の日差しを楽しみました。風もすっかり秋っぽくなりましたね。まだ木々が色づくには早いですが、夏がほとんど無かった分、秋は暖かく長めにあって欲しいものですね。

久し振りにブルートレインの「北斗星」を見ました。やっぱりカッコイイですね。

ブルートレイン

2009-03-15 10:14:23 | 鉄道
略してブルトレ。ブルートレインというと客車寝台特急のことなのですが、もともと名古屋近辺の住人なので、どうしても東京、九州間を結んでいた寝台特急=ブルトレという思いがあります。今だと札幌住まいなので、北斗星なんかも仲間に入れていますが・・・・(笑)
さて、往時の東京発のブルトレは「さくら」「はやぶさ」「ふじ」「みずほ」「あさかぜ」「出雲」「瀬戸」「いなば(古いか?)」「紀伊」だったでしょうか。残念ながら、最後のブルトレ「はやぶさ・富士」も廃止になってしましました。
豪華列車として、1本くらいは残しておいていいんじゃないかなーと思います。トワイライトエキスプレスのように。列車の旅そのものを楽しむのなら、絶対に寝台車だと思うのですが・・・。飛行機とか夜行バスとか、早さと安さだけを追求しつづける日本人って、やっぱりゆとりを楽しむ余裕が無いのですね。もっとのんびりと楽しむ精神を持てないものか・・・こういった時にあらためて考えますが、東京に遊びに行くと絶対無理だなーと思います。北海道に移住して良かったなぁ・・・・。

写真は「はやぶさ」。中学生のときに撮影旅行に行った際に、静岡の掛川近辺で撮ったものです。まだEF65-1000番台が牽引していたころのショットです。惜別。

新幹線

2008-09-06 11:24:02 | 鉄道
北海道にいると新幹線なんて見れないし乗ることももちろんない。走ってないんだからしょうがない。でも、子供の頃新幹線「ひかり」号には、ものすごく憧れました。200キロを越えるスピードと流線型の白い車体、青色の帯・・・・カッコイイ電車でした。
私が初めて新幹線に乗ったのは幼稚園の時。当時、広島の山奥に父方の実家があり、名古屋から乗車。「ひかり1号」でした。その頃は岡山までしかなくて、そこからは在来線で広島方面に向かいました。まだ、広島の方ではSLが走っていました(C62をバックにした幼き頃の写真があります)。
あの頃、新幹線にはすごく憧れていましたが、時を経て鉄道ファンと呼ばれる趣味を持って、旅行をしたり写真を撮ったりするようになると、新幹線は敵になりました。在来線が廃止されてしまうからです。写真を撮る側としては、在来線のほうがはるかに面白かったですし。東北、上越新幹線が開通する直前には、上越、東北方面への撮影旅行によく出掛けました。「青春18切符」はまさに「青春」の思い出です。
社会人になると、圧倒的に飛行機や車を利用するようになったので、新幹線をはじめとして鉄道にはほとんど乗らなくなりました。今、いろいろなところで列車が廃止されていく記事を見ると「昔、乗ったなー」といった感慨に耽ります。
ごくたまに、今回の出張のように鉄道を使うと、昔の血が騒ぎます。大型時刻表を片手にのんびりとした旅行を、またいつか楽しんでみたいなー。
写真は盛岡にて。「こまち」です。

道東出張(その2)

2008-04-22 22:43:05 | 鉄道
釧路での仕事を終えて帯広へ。JRの「スーパーおおぞら」に乗り込みました。お腹が減ったので食事を・・・・ということで駅弁です。「かきべん」。厚岸の「かきめし」が有名ですが、この「かきべん」もまずまずの味。
最近は長距離を鉄道で移動することが無くなったので(いつも車か飛行機)、空弁を食べたことはあったが、駅弁は本当に久し振り。鉄道で日本全国を回っていたころは、よく食べたもんですが・・・。

「銀河」終焉

2008-03-16 12:08:07 | 鉄道
3月のJRダイヤ改正で、多くの寝台列車が廃止となった。週末のニュースでいちばん取り上げられていたのが「銀河」だった。
“ブルートレイン「銀河」”というよう言われているが、ブルートレイン(略してブルトレ)は「寝台特急」という定義があるので、「寝台急行」の銀河は厳密に言うとブルトレでなない。ただ、昔と較べて著しく本数が減ってしまったブルトレなので、銀河を加えてもいいかなと思う。編成を見れば、間違いなくブルトレそのものですしねー。
この「銀河」には昔、乗ったことがあります。まだ、20系だったころです。東京方面へ撮影旅行に行った帰りに岐阜駅まで乗車しました。14系や24系に比べて狭い幅のベットでしたが、寝台列車に乗るのは何となくウキウキしたのを覚えています。
新幹線や夜行バスの発達→乗車率の減少 は仕方ないかなと思います。ただ、値段が高くてサービスが無い状態では、やっぱり客足は遠のいていくと思います。せめて乗車率の減少を食い止める手段を講じてから廃止を決定してほしかったです。
北海道にいると、どうしても長距離には飛行機を使ってしまいますが、鉄道も久し振りに使ってみたいですね。昔を思い出しながら・・・・。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080217/trd0802171520009-n1.htm

なつかしの鉄道

2008-01-13 11:53:08 | 鉄道
年末年始で昔に写した鉄道写真を何枚かスキャンしたので、その1部を紹介します。
第一弾は、キハ82系の「ひだ」。中学2年生のころだと思いますので、もう30年近く前ですね。電車系は全て絵入ヘッドマークになっていましたが、この頃は気動車はまだ絵入ヘッドマークになっていませんでした。
撮影場所は、高山本線の鵜沼ー蘇原間。鵜沼駅の西3キロほどの地点です。濃尾平野の一番北側、切通しから真直ぐ降りてくる築堤です。使用機材は、ミノルタSR-1。父親から譲ってもらった一眼レフでした。確か昭和37年製だったかな。とても懐かしいです。ちなみにこの頃は、自転車で友達とあちこち回っていました。ここも自宅からは自転車で30分くらい。多分、いまでもそんなに変っていない景色じゃないかなー。

鉄ちゃん、鉄子って知ってます?

2007-10-03 21:38:05 | 鉄道
鉄道マニアのことを最近はこう呼ぶそうです。ここのとこ女性の鉄道フォトライターの矢野さんなんかがマスコミに取り上げられたりして、鉄道マニアも随分と市民権が得られてきたようですね。
かくいう私は、小学生から熱烈な鉄道マニアでした。切符や模型(Nゲージ)、写真に鉄道旅行。初めての鉄道旅行は小学校6年生。昭和53年秋に廃止になる「キハ81」に乗るために、名古屋発の「くろしお」に乗った一人旅でした。それ以前は家族旅行だったのですが、以降はずっと一人や友達との旅行でした。まあ、学校に時刻表を持ち込んで、休み時間には次の旅行の日程を組んだり、北海道や九州に鉄道撮影にいくための仮想プランを練ったり・・・と中学、高校はほとんど鉄道漬けの毎日でしたね。
でも、昔は市民権は無かったですね。「マニア=根暗」という図式で結構白い目で見られたものです。最近は「おたく」でも市民権を得るようになっていますので、あのころに比べれば良い時代になったのかもしれません。
写真は「EF58」。柏原ー醒ヶ井間での撮影です。バックは伊吹山。中部地方ではとてもメジャーな撮影地です(おそらく今でも)。