東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

日本橋散歩・ネコライオン

2016-05-31 | 散歩
  今回は江戸時代から続く老舗を廻ってみました。
  江戸城のおひざ元、日本橋は商人の街、
  江戸の商店はここから始まったのです。
  そんな歴史のある店が数多く残っています。


  

     江戸桜通りを右に入ってCOREDO室町2の向かいに「文明堂」
     明治33(1900)年 中川安五郎、長崎丸山町で文明堂創業。
     余談だけど文明堂は全国に7社もあるそうです、
     それも、支店や支社とかではなく、別の会社として。




  

     三越の向かいCOREDO室町2には「にんべん」。
     創業を始めたのは江戸時代、元禄12年(1699)、戸板を並べて鰹節と塩干 類の商いを始めたのが始まり。
     にんべんの商標である“イ”の文字は創業時の屋号である「伊勢屋伊兵衛」に因む。




  

     COREDO室町2を抜けると「福徳稲荷神社」。
     宝くじ当選祈願の神社で徳川家康も参詣したとか。(宝くじ買ったの?)
     貞観年間(859 ~876年)よりこの地に鎮座している。




  

     中央通りへ戻って「村田眼鏡舗」
     元和元年(1615)大阪夏の陣の年に幕府に請われて江戸へ、皇女和の宮降嫁に際し鏡を上納した。
     11代目長兵衛はメガネの技術を習得し明治5年(1872)、日本橋室町に眼鏡専門店を開業した。
     伊藤博文、夏目漱石、島崎藤村も客だった、今も皇室御用達とか。




  

     三越の並びに「千疋屋総本店」。
     天保5(1834)年、武蔵国埼玉郡千疋の郷(現在の埼玉県越谷市)の侍であった初代弁蔵が
     江戸、葺屋町(現日本橋人形町)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構えたが始まり。




  

     三越日本橋本店(左)と三井本館。
     三井財閥は、三井越後屋(三越・三井銀行)を源流に始まった日本三大財閥の一つ。
     地下大金庫の最大厚さ90センチメートルの扉は搬入に際し重量約50トンの大きさ、
     日本橋が損傷する恐れがあるために通過が認められず、川に浮かべ船で運ばれた。




  

     「三越のライオン像」
     三越日本橋本店が国の重要文化財に決まりましたね。
     「百貨店の発展を象徴する」と評価されました、あのライオンも含まれています。

     実はこの日撮った三越の写真を誤って削除してしまいました、
     後日撮り直しに行ったものです。ま、他の目的と合わせて。
     その写真はこんなに混んでなくてライオンの隣に白い服を着た
     若い女性がただ一人スマホを見ている、私に言わせれば”いい写真”だったけどなあ。




  

     正面入り口から中を覗いてみた、特大ニャンコがお出迎え。
     岩合さんの写真展が開かれるみたい、大きなネコだなあ・・・。

     ネコライオン
     岩合光昭写真展「ネコライオン」2016年5月25日-6月6日
     岩合氏いわく「ネコは小さなライオンだ。ライオンは大きなネコだ。」とのこと。


     そんなわけでもう一回行く羽目になったので、さらに1回続きます。
     念願の親父橋跡は見つかったか、思案橋は?・・・。
                                                               5月24日 日本橋界隈
         

コメント (4)
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