東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

吉原の桜

2016-04-05 | 風景
  「昨日まで ない花の咲く 面白さ」・・・江戸時代の川柳。
  江戸時代、吉原の桜は名物となっていましたが、それはこの時期だけの移植された桜の木でした。
  下草に山吹を添え、青竹の竹垣をめぐらし、中に雪洞(ぼんぼり)を立てたのです。
  女たちには縁のない郭もこの時ばかりは町家の女達も訪れたと言われています。


  

     吉原神社、通る人も頭を下げて。
     狭い神社なので境内に桜はありません、
     ただ面した道路には”一葉桜”が並木となって続いています。
     樋口一葉の旧家に近いこともあってこの辺りには一葉桜がたくさん見られます。




              

              神社の入口には逢初桜、逢い初めとは恋い焦がれている人に初めて会うこと。
              200年前には吉原神社のご神木だったけど
              明治44年の大火で焼失してしまった。
              平成25年に新しくご神木として復活した。




  

     吉原神社奥宮・吉原弁天。
     狭いところに弁天様を始めいろいろな神様仏様がひしめいている、
     震災・戦災の慰霊碑もあり、さしずめお祈りのコンビニ。




              

              弁天様も満開の桜の下でご満悦かもしれないね。




              

              少し歩いて浄閑寺まで、
              ひょっとして桜があるかもと行ってみたけどさすがに墓地に桜は無かった。
              新吉原総霊塔はそぼ降る雨にひっそりと。




              

              遊女・若紫の墓。

              永井荷風 断腸亭日常より 浄閑寺 若紫塚記

              女子姓は勝田。名はのぶ子。浪華の人。若紫は遊君の号なり。
              明治三十一年始めて新吉原角海老楼に身を沈む。
              楼内一の遊妓にて其心も人も優にやさしく全盛双(なら)びなかりしが、
              不孝にして今とし八月廿四日思はぬ狂客の刃に罹り、
              廿二歳を一期として非業の死を遂げたるは、哀れにも亦悼ましし。
              そが亡骸を此地に埋む。法名紫雲清蓮信女といふ。
              茲に有志をしてせめては幽魂を慰めばやと石に刻み若紫塚と名け永く後世を吊ふことゝ為しぬ。噫。

              若紫の名の上部に角海老とありますね、
              誰が置いたのか石碑の前にはかんざしが小ぬか雨に濡れていました。
                                                                4月4日 春雨の吉原
         

コメント (2)
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