東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

御行の松から三ノ輪まで

2015-10-17 | 散歩
  笹の雪の前を尾竹橋通りに入りすぐ”東日暮里四丁目南”という
  長ったらしい、無理やり名前をつけたような信号を右折すると
  車一台がやっとという狭く曲がりくねった道に入ります。
  荒川区と台東区の区界、なんでこんな狭い曲がった道が区界?。
  川が流れていたのです、音無川から山谷掘と名を変え隅田川に注ぐ川。
  途中、浄閑寺のわきを流れ吉原の横を流れていた川の跡です。


  

     台東区と荒川区の区界となる音無川の跡、
     まだ古い民家も残っているけどその前では新しいマンションの建築が進んでいます。



          

          私が立っているのは川の中?、住宅地から川へ降りる石段が残っている。
          この道路沿いにはこうした石段が各所に見られ川が流れていたことを実感できます。



  

     小さな十字路のわきに「こゞめ大福」さん。
     「竹隆庵岡埜は、古きよき時代の根岸をいまに語りつぎたく、伝統の技法に季節限定の数々の和菓子を、
     小豆は北海道、餠米は新潟こがね餠など、最高の原材料でお届けします。」 =お店のHPから抜粋



  

     「こゞめ大福」さんの並びに「御行の松」。
     御行の松(おぎょうのまつ)は、江戸名所図会や広重の錦絵にも描かれています。
     江戸名松の 一つに数えられ、樋口一葉の作品「琴の音」や子規の俳句の題材にもなりました。



  

     子規の句二首
     春の水 音無川と申しけり
     青々と 冬を根岸の一つ松



  

     掘り出された初代御行の松の根株。



          

          コントラストがきつくうまく撮れません、子規の句碑。
          「薄緑 御行の松は 霞みけり」
          大正時代の頃には、遠くからでも良く見えた松も今は三代目。
          その松の明治時代の風景が詠まれた句です。



  

     御行の松の前を流れていた音無川はここで大きく右にカーブ
     三ノ輪に向かい山谷掘と名前を変えて浄閑寺・吉原を流れ隅田川に注ぎます。
     古地図を解析するとこの辺りで標高3,4メートル、浄閑寺で1メートルくらいとされます。



  

     三ノ輪に出ました。昭和通り脇に昭和の懐かしい名前のお店、
     切っても切っても同じ顔の飴、元祖金太郎飴の「金太郎飴本店」さん。
     大正から昭和の始めにかけて「飴の中から金太さんが飛び出たよ」という文句で、全国的に売り出しました。



          

          上の写真の歩道橋の左側、裏道へ入ると「背面地蔵尊」。
          以前旧道の方を向いていたけど新しい道が出来たので近所の人が
          新しい道の方へ向け直したところ夢に出てきて
          「私は昔から古道の方を向いてきた、これからもそうしたい」と言われた。
          そこで近所の人たちはまた元の古道に向け直した、、、。
          新しい道路、昭和通りに背を向けて立っています。


          このあとイベントがあるのでちょっと休んで
          そのあともう少し歩いてみましょう。
                                              10月7日
      

コメント (2)
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