東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

深川に芭蕉の面影を見る

2015-10-13 | 散歩
  芭蕉庵は文京区関口にもあります。こちらは一時幕府の仕事を
  していた時のもので一時的にせよ幕府と繋がりがあったので
  奥の細道・奥州紀行は幕府のスパイとしてではなかったのか?
  なんて話もまことしやかに囁かれていますが・・・。


  

     芭蕉庵史跡展望庭園と芭蕉像。

     万年橋付近には芭蕉に由来する所が多い。深川芭蕉庵跡の他に芭蕉記念館、
     芭蕉稲荷神社があり、そして隅田川のほとりのここ「分館史跡展望庭園」には、
     新しく芭蕉翁の像が建てられました。



  

     芭蕉庵史跡展望庭園から見た清洲橋、ここから見た清洲橋が最も美しいとされ名所になっています。

     奥の細道への旅立ち、、、芭蕉と曾良の二人と見送りの同人たちが
     芭蕉庵を出て多分この清洲橋の辺りから船に乗り、千住に向かいました。
      =いざ行かむ 奥の細道



  

     こうして毎日清洲橋を眺めている芭蕉の胸中は、、、
     松尾芭蕉が深川に移り住んだのは1680年、芭蕉37歳の時であった。



  

     この芭蕉稲荷の前を通ってさっきの芭蕉庵史跡展望庭園に上がります。

     大正6年の大津波(高潮被害)の時、元々あった稲荷神社付近から
     芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかりました。
     それまで分からなかったここを芭蕉庵跡と推定し、祠に石蛙を祭り芭蕉稲荷としました
     かの有名な「古池の句」はこの芭蕉庵で1685年の春、詠まれたと言われています。



          

          ちょっと戻って新大橋への道を、江東区芭蕉記念館。
          館内には 芭蕉自筆の句や短冊など、貴重な資料が展示されている。



  

     すご~くシンプルな斜張橋、新大橋は清洲橋のひとつ上流。
     最初に新大橋が架橋されたのは元禄6年12月7日、隅田川3番目の橋で、
     「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられました。

     橋が完成していく様子を、当時東岸の深川に芭蕉庵を構えていた芭蕉が句に詠んでいます。
     「初雪やかけかかりたる橋の上」
     「ありがたやいただいて踏むはしの霜」

     この橋は絶対に下から、川べりの遊歩道から撮らなければいけない橋、
     でも今は工事中、右岸は通れるみたいだけど私は左岸からの方が好き。
     このあと続けて橋を歩こうと思っていたけど工事中ではね、どうしよう・・・?。
                                              10月8日
      


コメント
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