古都探索日記

奈良や京都の散策日記

ホテル全体が結婚式場

2007-07-25 22:29:06 | 旅行日記
 9階建ての建物は最上階まで吹き抜け(アトリウム)になっており、1階がチャペルになっている。各階の廊下はテラス状にアトリウムに面し客室が配置されている。ひとたび結婚式が始まると建物全体にオルガンと賛美歌が鳴り響き、宿泊客は否応なしに式に参加させられてしまう。
 ホテルと言うよりは結婚式場がホテルを併設していると言ったほうが適切とおもわれる。そして宿泊客のほとんどは新郎新婦とは無関係のエコノミーツァーの外国人であった。
 写真は8階の廊下から見下ろしたチャペル。立派なオルガンが目立つ。
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七月、海の日の連休に大阪へエコノミー旅行

2007-07-25 22:09:30 | 旅行日記
 台風4号が接近するさなか、「ディープな大阪をチープに旅する」をモットーに大阪に2泊。ホテルは西中崎にあるグリーンプラザ大阪を選ぶ。JR大阪駅から徒歩10分、2泊朝食付きで17,400円。しかしただのビジネスホテルではなかった。
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バッハのカンタータの魅力 その2

2007-07-23 22:34:48 | 自己紹介
 しかし、欠点が無い訳ではない。歌詞が気に入らない。教会カンタータは音楽による説教である。唯一絶対の存在である神とキリストへの深い信仰とその教えへの帰依が強く求められる。四季の移ろいの中、様々に変化する豊かで美しい日本の自然に宿る八百万の神々からたくさんの恩恵を受けているにもかかわらず、ご利益を願うばかりの不届きな異教徒共の一人である私にはどうにもついていけない。更に、「人間は生まれながらして多くの罪を背負っているのであるからして、悔い改めよ、悔い改めよ」と追ってくるのである。ビートたけしの喋りかたを真似て、「俺らはそんなに悪いことはしてネエーツーノ。」と反論したくなる。キリスト教徒として生まれなくて良かったとつくづく思うのである。
 それでも、もし現在でもルター派の教会で毎日曜日、バッハのカンタータが演奏されているのならば、信仰は別として「改宗してもいいかな?」と不埒なことを考えている私である。この様な罪深い輩はたちどころに地獄に突き落されるのである。
18世紀も半ばにさしかかり、啓蒙主義がヨーロッパ全体に広まると教会カンタータが廃れていったのはその歌詞が一番の要因だともいわれている。
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バッハのカンタータの魅力について

2007-07-22 22:21:35 | 自己紹介
 バッハのカンタータは演技部分の無いミニオペラと言えよう。平均20分間の1曲の中に合唱、合奏、アリア、レシタティーヴォが現れる。これほど多様性に富んだジャンルは他に見当たらないと思う。教会、世俗、合わせて220曲が現存しているが、これらは合計演奏時間ではバッハの全作品の40%以上を占めるし、彼が最も心血を注いだ作品群と言えよう。しかし、バッハコレギウムジャパンが定期演奏会を開くまでは、録音以外、ほとんど日本で聴く機会は無かった。 「カンタータを聴かずしてバッハを語る無かれ」と言いたい。次に挙げる3つの理由で私はその魅力にとりつかれている。

理由、其の1、 旋律の美しさ
バッハと言うと難しい、馴染めない、と言う答えがすぐ返ってくるがこれは大変な誤解である。彼の肖像画と公演、放送される曲目の偏りが原因と思われる。肖像を想いながら、無伴奏ヴァイオリンパルティータの第2番のシャコンヌを聴いたら、馴染み易いとはいえない。しかし、カンタータの中にはチャーミングで優しい旋律が無数に存在する。「これらのすばらしいカンタータ! 私の生涯の夢の一つは、私たちが所有しているそれらの全部の演奏を指揮することだ・・・」とパブロ・カザルスに言わせた程である。当世風にグルメレポーターに言わせれば、「バッハのカンタータは音楽の宝石箱ヤー!」となる。
   
    其の2、 躍動するリズム感
「最高にスウィングする音楽、それは紛れも無くヨハン・セバスティアン・バッハである。私は誇りを持ってこう言う。」とグレン・グールドはある対談で語っている。聴いていると踊りたくなるような衝動に駆られるのは私だけでは無いと思う。
事実、BCJのコンサートでは鈴木雅明さんは指揮しているよりは踊っているように見える。(失礼)。反対にリズムに乗れないバッハは全く頂けない。「スウィングが無ければ意味が無い。」のである。バッハのスウィング感とジャズのそれとの差はイタリア協奏曲(BWV971)のグールドとジャック・ルーシェ・トリオの演奏を聴き較べれば、良く解る。

    其の3、 色彩溢れるポリフォニー
バッハ音楽を特徴付ける1番の要素と考えられる。常に複数の旋律が存在する。特にカンタータではヴォーカルに様々のオブリガート楽器が組み合わされる。それらは人声と同じ様に歌う,
その組み合わせはとても覚えきれるものではない。他では先ずお目にかかれないヴァイオリンチェロ・ピッコロやオーボエ・ダ・カッチャが登場する。普段は通奏低音として演奏を下支えする、チェロ、オルガン、ファゴットまでが、そして最も地味な楽器と思われるヴィオラがソプラノやバスと華々しく渡り合うのである。有名な例としてBWV140「目覚めよという声が聞かれ」の第6曲は愛のデュェットと知られているが、2重唱と言うよりはソプラノ、バス&オーボエのテルツェット(3重唱)と言うほうがふさわしいと思われる。通奏低音が軽快にリズムを刻む(これだけに集中してもかなり聴き応えがある)その上に3声部は互いに追いかけ、絡み合い、重なりそうで重ならない。バッハのカンタータをカラー映画にたとえれば、19世紀以降のドイツ歌曲などはピアノの伴奏だけで白黒映画に過ぎない。
バッハのこの特質はホモフォニックなヘンデルの作品と聴き較べれば良く解る。

 以上2と3の理由からバッハの声楽作品については、私は他のクラシック作曲家のそれよりもジャズヴォーカルにその類似性を見出している。
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バッハアンサンブル名古屋 第4回カンタータ演奏会

2007-07-11 22:23:01 | 音楽
 7月8日、ウィルホールに当コンサートを聴きに行く。演目はBWV-29、192、196、207(a) の4曲。期待以上の名演であった。特にBWV207(a)等は日本初公演と思われる。演奏に当たって楽譜など市販されておらず、パート譜を自分達で用意したそうである、大変な苦労が下積みされていると想像される。
 数年前までは、バッハのカンタータなど殆んど聴く機会の無かった名古屋にこの様な団体が二つ結成されたことは私の様なバッハファンにとっては大変嬉しいことである。

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