しかし、欠点が無い訳ではない。歌詞が気に入らない。教会カンタータは音楽による説教である。唯一絶対の存在である神とキリストへの深い信仰とその教えへの帰依が強く求められる。四季の移ろいの中、様々に変化する豊かで美しい日本の自然に宿る八百万の神々からたくさんの恩恵を受けているにもかかわらず、ご利益を願うばかりの不届きな異教徒共の一人である私にはどうにもついていけない。更に、「人間は生まれながらして多くの罪を背負っているのであるからして、悔い改めよ、悔い改めよ」と追ってくるのである。ビートたけしの喋りかたを真似て、「俺らはそんなに悪いことはしてネエーツーノ。」と反論したくなる。キリスト教徒として生まれなくて良かったとつくづく思うのである。
それでも、もし現在でもルター派の教会で毎日曜日、バッハのカンタータが演奏されているのならば、信仰は別として「改宗してもいいかな?」と不埒なことを考えている私である。この様な罪深い輩はたちどころに地獄に突き落されるのである。
18世紀も半ばにさしかかり、啓蒙主義がヨーロッパ全体に広まると教会カンタータが廃れていったのはその歌詞が一番の要因だともいわれている。
それでも、もし現在でもルター派の教会で毎日曜日、バッハのカンタータが演奏されているのならば、信仰は別として「改宗してもいいかな?」と不埒なことを考えている私である。この様な罪深い輩はたちどころに地獄に突き落されるのである。
18世紀も半ばにさしかかり、啓蒙主義がヨーロッパ全体に広まると教会カンタータが廃れていったのはその歌詞が一番の要因だともいわれている。
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