出会うべき人には必然として出会う。
今さっき考えていたことに次の瞬間、遭遇する。これも必然。
自分の調子がいいと思えるときには、必然的な出会いが立て続けにおこる。
先日の上野さん、のほか先週は初田口ランディさんも経験した。
MSN記事を配信している頃からのファンで本も随分読んでいましたが、ここしばらくは彼女から離れていた。
それが、何日かまえにフト彼女の言葉にふれたくなり、本屋さんの棚から手に取った。『もう消費すら快楽じゃない彼女へ』彼女独特の世界が広がるエッセイは、落ち着いて読める。夜遅くまで文庫を読み次のあさはその本を枕元において出かけた。
その出かけた先に彼女がいた。
「べてるに学ぶ生き方」シンポジウムのパネリストとしていたのです。シンポジウムの内容はおもしろいものでした。それを楽しみつつ私の視点は彼女にずっと向けられていた。文章としてだけ知っている田口ランディ。
実物を見つめながら、たぶんこの人と街の中ですれ違ったら私は彼女だと気づくのではないかという感覚が体の中を流れていた。
タレントのオーラというと軽くなってしまうけれどそれに近いかもしれない。圧倒的な存在感がある。
もっと身近な言葉にするとにおいかもしれない。
私がわかるにおいとは、そこにいる人間が強いか弱いか、それは肉体、精神両方において、どちらかということが感覚でわかる。その人の属性が不良やヤクザであったり警察であったり法律家ならばほぼ100%の確率で判別可能だ。
このにおいの感覚は自分の属性を表出させる。
私が何を考えどの世界にいるのかが明らかになる。
この感覚が研ぎ澄まされているとき出会うべき人たちと出会うのだ。
JOHNY