* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第百五句『早鞆』(はやとも)

2012-11-14 11:11:11 | 日本の歴史

 左上の御座船に、幼い安徳帝を抱き「波の底にも都がござりまするぞ」と慰める二位の尼

<本文の一部>

 新中納言知盛、御所の御船に参り給ひて、「女房たち、見苦しきものどもみな
海に沈め給へ」とのたまへば、女房たち、「この世の中は、いかに、いかに」と
のたまふ。新中納言いとさわがぬ体にて、「いくさはすでにかう候ふよ。今日より
のちは、めずらしき東男こそ御覧ぜんずらめ」とうち笑ひ給へば、「なんでふ、
ただ今のたはぶれぞや」とぞをめき叫び給ひける。

 二位殿、先帝をいだきたてまつり、帯にて二ところ結ひつけたてまつり、宝剣
(草薙の剣)を腰にさし、神璽(八尺瓊曲玉ヤサカニノマガタマ)を脇にはさみ、
練袴のそば高くはさみ、鈍色の二衣うちかづき、すでに船ばたに寄り給ひ、「わ
が身は君の御供に参るなり、女なりとも敵の手にかかるまじきぞ。御恵みに従は
んと思はん人は、いそぎ御供に参り給へ」とのたまへば、国母をはじめたてまつ
り、北の政所、臈の御方、帥の典侍、大納言の典侍以下の女房たちも、「おくれ
まゐらせじ」ともだえられけり。

 先帝、今年は八歳、御年のほどよりもおとなしく、御髪ゆらゆらと御せな過ぎ
させ給ひけり。あきれ給へる御様にて、「これはいづちへぞや」と仰せられけれ
ば、御ことばの末をはらざるに、二位殿、「これは西方浄土へ」とて、海にぞ沈
み給ひける。

 あはれなるかなや、無常の春の風、花の姿をさそひたてまつる。かなしきかな
や、分段の荒波に龍顔を沈めたてまつる・・・・・・・・・・・・

       ( )内は本文ではなく、注釈記入です。

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<あらすじ>

(1) 新中納言・平知盛は、帝(安徳帝)のお召船に参り、「戦(いくさ)は最早こ
   れまで・・・」と、女房たちに敗戦を告げると、不必要なものは海に捨てるよ
   うに伝える。 慌てふためく女房たち。知盛は『やがて珍しい東男をご覧じ
   られましょうぞ』と、笑う。

(2) 二位の尼(平時子・清盛の妻)は、八歳になる幼い安徳帝を抱き、草薙の
   を腰に、八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)を脇にはさみ、『波の底にも都は
   ござりましょうぞ・・・・』とお慰めしながら海中に身を躍らせたのであった。

    続いて北の政所(関白基通の奥方である、清盛の娘・定子)、臈の御方
   (源義朝の愛人・常盤と清盛との間に生まれる)、帥の典侍(ソツノスケ・時忠妻)
   大納言の典侍(平重衡の妻)などが遅れまいと入水(ジュスイ)する。

(3) 建礼門院(清盛の娘・平徳子)も、硯など重しになるものを左右の懐へ入れ
   て続いて海に身を投げたが、源氏渡辺党の”(ツガフ)”と云う者に熊手を
   使って引き揚げられてしまい、女房たちの多くも皆生け捕られてしまうので
   あった。

(4) 源氏の兵どもが、八咫の鏡(ヤタノカガミ)を納めた唐櫃の錠をねじ切って蓋を
   開けようとしたが、とたんに眼が眩み鼻血が出た。捕らわれていた平時忠
   『それは神鏡として尊いものぞ、只の人が見てはならぬものじゃ』と制止し
た。
   兵士たちは身震いして恐れおののいたと云う。

   源九郎義経は、時忠と相談して元通りに紐を結んでお納めするのであった。

(5) 平中納言・教盛、修理大夫・経盛の兄弟は、互いに手に手を組んで鎧の上に碇を背負い海の中に沈んだ。小松の三位中将・資盛、同じく少将・
有盛、従弟の左馬頭・行盛も、これ又手を組み合って碇を背負うと三人
一緒に入水するのであった。

(6) 平家一門の人々は次々に入水したが、前内大臣・宗盛清宗父子が舷に
   立って辺りを見回しているのを見た平家兵士たちが、あまりの情けなさに
   宗盛を海へ突き落し、これを見た清宗はすぐに海へ身を投げた。

    宗盛は、清宗が沈んだら自分も沈もうと、もし助かったら自分も助かろうと
   あちこち泳ぎ回っているうちに、伊勢三郎義盛が二人を引き揚げて生け捕
りにしてしまった。

(7) 一方、平家随一の勇猛な能登守・平教経の矢面に立ち向かう者は誰一人
   居なかったが、矢種も尽き”今は最後”と、大太刀と白柄の大薙刀を左右の
   手に持って、源氏の軍兵どもを次々に薙ぎ倒していった。

    そして遂に源氏方の大将・九郎判官・義経に出会い討ちかかるが、義経
   
は”かなわぬ”と思ったか、近くの味方の他の船に飛び移りあやうく逃れた
   のであった。

        自らは身軽に飛び移れぬことを悔しがる平教経

   そして義経配下で三十人力を誇る安芸太郎次郎ら主従三人が同時に
  平教経に討ちかかるが、郎党を海へ蹴落として、太郎と次郎の二人を左右の
  脇に抱え込み、教経はそのまま海中に飛び込み”最後”を遂げたのであった。

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