* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第六句 「義王出家」

2006-03-23 15:22:55 | Weblog
   <本文の一部> 

 「生きてこの世にあるならば、また憂き目をも見んずらん。いまはただ身を投げんと思ふなり」と言ひければ、妹の義女も「姉の身を投げば、われもともに投げん」と言ふ。母とぢこれを聞きかなしみて、いかなるべしともおぼえず、泣く泣くまた教訓しけるは、「まことに、わごぜがうらむるもことわりなり。かようのことあるべしとも知らずして、教訓して参らせつることのくちおしさよ。ただし二人のむすめどもにおくれなば、年老い、よはいおとろへたる母、とどまりてもなにかせん。われもともに身を投げんなり。いまだ死期もきたらぬ親に身を投げさせんこと、五逆罪にやあらんずらん。この世はわずかに仮の宿りなり。恥ぢてもなにならず。今生でこそあらめ、後生でだにも悪逆へおもむかんことのかなしさよ」と袖に顔を押しあてて、さめざめとかきくどければ、義王涙をおさえて、「一旦恥を見つることのくちおしさにこそ申すなれ。まことにさようにさぶらはば、五逆罪はうたがひなし。さらば自害は思ひとどまりぬ。かくて都にあるならば、また憂き目をも見んずらん。いまは都のうちを出でん」とて、義王二十一にて尼になり、嵯峨の奥なる山里に、柴のいほりをひきむすび、念仏してぞゐたりける。

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       人の世は あざなえる縄のごとし 
 義王は母の諭しに、思いならずも清盛邸へ出向き「とんだ恥をかきまして、いっそ入水自殺でもして果てたい」と泣き崩れる。これを聞いた妹の義女も「姉さまが身投げなさるなら私も死出のお供を・・・」と泣き崩れる。

 母とぢは、「そんなこととは知らず、諭して西八條へ送り出したのに何ということ。あなたたちの嘆きはもっとも、でも若い二人に先立たれてこの婆がどうして永らえられましょうか、でも死期もこないこの身を自ら命を絶つとは仏法で戒める大罪になりましょう。どうせこの世は仮のもの、恥じても生きよう」と泣きじゃくる。

 義王(二十一歳)も義女(十九歳)も、身投げを思いとどまるのであった。

 そして嵯峨野の奥に、姉妹ともに粗末な柴の庵室をかまえて住み、母は四十五歳で髪を下ろし、二人の娘と共に念仏のみにはげみ来世の安楽を願うのであった。
(嵯峨野の祇王寺)

 ところが何と!、秋の初風吹くころ、母娘三人念仏を一心に唱えているところへ、あの仏御前が訪ねてきて申すに「義王御前のお暇の出されたことを、いつか自分のことになるだろうと、再三の”お暇”の願いにも入道さまが許されず、今朝こっそりと邸を抜け出て尼となって参りました」と、これまでのことを許していただければ、共に念仏の道に入りたいと願い出で、結局四人一所にこもって念仏に励んだということであった。

        後白河院の御願長講堂(下京区に現存)の過去帳にも
        「義王、義女、仏、とぢが尊霊」と書き入れられたと。

          (注) 涙のちょちょぎれる?ようなお話なのです。
   
  

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