* 平家物語(百二十句本) の世界 *

千人を超える登場人物の殆どが実在の人とされ、歴史上”武士”が初めて表舞台に登場する
平安末期の一大叙事詩です。

第一句「殿上(てんじょう)の闇討」

2006-03-15 14:18:36 | Weblog
 
 第五十代・桓武天皇の後胤、平忠盛(清盛の父)が備前守のとき、鳥羽院の御願得長壽院を建立してさしあげ、三十三間の御堂を建てて一千一体の御仏を据え落成させます。
 
 これによって内裏の昇殿を許され(忠盛三十六歳)るのですが、当時は貴族からあごで使われさげすまれていた「武士」の昇殿に、殿上人はこれを妬み、暗闇で袋叩きにしょうと企みます。 忠盛はこれを伝え聞いて、銀箔を押した木の刀を腰刀にして参内し、くらやみに向ってこの刀を鬢(びん)に当てて引いて見せる、これを見てぞっと驚きその夜の闇討は取り止めてしまった、というくだりです。
(氷の刃のように見せた・・・)

 いまから八百七十余年前のお話です。

   本文の始まりと文中の一部・・・・。

 祇園精舎の鐘のこゑ  諸行無常のひびきあり  沙羅双樹の花の色
 成者必衰のことわりをあらはす・・・・

  雲の上人これをそねみいきどほり、同じき年の十一月二十三日、五節の
 豊明の節会の夜、忠盛を闇討にせんとぞ擬せられける。 忠盛このよしを
 つたえ聞きて「われ右筆の身にあらず、武勇の家にむまれて いま不慮の
 難にあはんこと身のため家のため心憂かるべし、詮ずるところ『身を全うし
 て君につかへよ』といふ本文あり」とて、かねて用意をいたす。 参内のは
 じめより大きなる鞘巻を束帯の下にさし、灯のほのぐらきかたに向ってこの
 刀を抜きだし鬢にひきあてけるが、よそよりは氷などのように見えたり。諸
 人目をぞすましける。

   
 


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