台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台湾の神社跡を訪ねて その2 ホテルになった台湾総鎮守

2010-12-24 21:31:31 | 台湾の神社跡を訪ねて
台湾の神社跡を訪ねて

第一回 台湾神宮 ホテルになった台湾総鎮守

 台湾への空の窓口である桃園国際空港から高速道路を走ってゐると、台北市に入る手前の左手、剣潭山の麓に、周囲を圧倒するかのやうに朱色に彩られた十三階建ての建物が突如として見えてくる。これは圓山大飯店(グランドホテル)であり、また、昭和二十年八月十五日まで台湾神宮と呼ばれた官幣大社が創建された場所でもある。大東亜戦争の終了とともに新たに台湾を獲得し、渡台した中華民国軍により占領されて社殿が取り壊された境内には、台湾大飯店と称する国営ホテルが建設されたが、一九七三年、龍の彫刻を多用した中国建築のホテルに変貌し、蒋介石の夫人である宗美齢がオーナーとなった。

遷座の直前に新社殿が焼失
 明治三十四年(一九〇一)十月二十七日、総工費三十六余万円を投じ、剣潭山に官幣大社として鎮座した台湾神社は昭和十九年六月十七日、台湾で唯一の神宮号宣下がおこなはれ、台湾神宮と改称された。そして、これまでの大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王の他に天照皇大神が増祀された。
 新社殿は旧社殿と台湾護国神社の中間に位置した。明治橋の下を流れる基隆河から吹く風にのせて檜の香りが漂ふ中、真新しい社殿で神宮昇格奉告と遷御の式典をおこなふ予定の前日の昭和十九年十月二十三日夜、松山飛行場に着陸しようと南方から飛来してきた軍輸送機が誤って台湾神宮の南神門に墜落して爆発した。大廻廊および拝殿は猛火に包まれて炎上。僅かに本殿の一部のみが惨事を逃れた。この大惨事はまさに十カ月後の終戦を暗示する出来事であった。

現在に残る神社の遺跡
 台湾神社には三対の狛犬が奉納されてゐた。現在、圓山大飯店前庭に中国式唐獅子、MRT剣潭駅に向かふ中山北路沿ひに大型の狛犬が残り、そして昭和五年十二月二十八日に石塚台湾総督が奉納した狛犬(中国式獅子)がある。この狛犬は二二八和平公園内の馬祖を祀る福徳宮前に安置されてゐるものと思はれる。
 ホテル内のレストランに向かふ通路の真ん中にある水を吐く金色の龍(龍尾穴)は、かつて参拝人休憩所そばの池に置かれてゐた銅製のものである。
 また、花崗岩でできた鳥居の一部がいまなほ三峽清水祖師廟にある。廟本殿内の両側に高さ五メートルもある柱が各四本あるが、これらが台湾神社の鳥居の柱であらう。終戦後の一九四七年、祖師廟で三度目の修繕をおこなふとき、台湾神社で使用されてゐた鳥居を購入してゐる。鎮座時に建てられた木造鳥居は花崗岩鳥居に建て替へることになり、一基は明治四十四年十月、台北の高石組高石忠慥が台渡十年記念として奉納。もう一基は明治橋前派出所下にあり、大正三年十月二十八日、高雄の古賀組古賀三千人によってである。いづれも徳山産であった。
 台湾神社で使用された大太鼓も二つ残されてゐる。一つは萬華の龍山寺に保存されてゐるもので、台湾技術協会から奉納されてゐる。この太鼓の表面には「奉献 皇紀二千六百年記念 臺灣技術協会」や「大極上」と書かれてをり、大阪の吉田太鼓店で調製されたものである。もう一つは 仁和太鼓廠(新荘市中和路)に保管されてをり、本町会が奉納したもので、愛知県海部郡津島町の山本慶助によって調製された。
 変はったところでは献納砲があり、陸軍献納砲五門がいまだに国軍歴史文物館前に見ることができる。(金子展也)

台湾神宮▼鎮座日=明治三十四年十月二十七日▼祭神=大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、天照皇大神▼例祭日=十月二十八日▼社格=官幣大社▼沿革=明治三十三年九月十八日官幣大社列格、昭和十九年六月十七日神宮号宣下▼鎮座地=台北市大宮町▼現住所=台北市中山北路四段一号


往時の社殿

現在の圓山大飯店


中山北路沿ひにある一対の狛犬

三峽清水祖師廟にある鳥居の柱

なお、次回は「忠烈祠になった神社」掲載します。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 台湾の神社跡を訪ねて その1 | トップ | 台湾の神社跡を訪ねて その3... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
台湾神社の建設を行ったのは? ()
2014-06-18 22:50:24
柳川市出身の高石忠造について調べており
こちらを拝読いたしました。
忠造の子孫の方が撫台街洋楼の式典に招かれる際に
「高石は台湾神社の建設にも関わっていたので行って
良いものだろうか」と言われていたと耳にしたことがあります。
神社の建設を行った建設会社がわからないのですが、
大倉組が請け負って孫請けに入っていた可能性が
あるものでしょうか?
返信する
高石忠造 (金子展也)
2014-06-19 07:32:47
堤様

コメント有難うございます。調べてみます。最悪、今月末まで時間を頂きたく、お願いします。
返信する

コメントを投稿

台湾の神社跡を訪ねて」カテゴリの最新記事