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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- ブタイ祠

2013-02-15 22:13:39 | 屏東県の原住民集落に建立された神社

今回から6回にわたって、昨年(2012年9月)に調査した、屏東県の原住民集落に建立された神社(祠)の現状について報告します。なお、この記事は神奈川大学非文字資料研究センター発行のニュースレター 非文字史料研究 No.29に掲載されたものです。

台湾は「台風の銀座通り」とも呼ばれるほど、台風の襲来が多く、毎年平均3~4個の大型台風に襲われている。最近では、2009年の台風8号(モーラコット)の災害により、台湾に於いて死者が600人以上、行方不明者を含めると700人近くに達したと言われている。8月6日0時から8月9日19時までの積算雨量が、嘉義県阿里山で2,726mm、屏東県尾寮山で2,551mmに達した。これにより、台湾南部では、高雄県甲仙郷小林村の集落全体が深層崩壊による土石流で壊滅するなど過去50年間で最悪とも言われる災害となり、台風が上陸した8月8日にちなんで「八八水災」と呼称されている。

日本統治時代にも、大型台風は、数多く発生しており、特に山間地に住む原住民(昭和10年からは高砂族と呼ばれた)は、暴風雨により集落が破壊し、幾度ともなく集落ごと転々と移動せざるを得なかった。

今回、台風襲来の影響はあったが、これまでほとんど調査が行われなかった屏東県(日本統治時代の行政区分で高雄州潮州郡および恆春郡)の原住民(蕃社)に建立された下記神社(社祠)の現状調査を行った。

2012/9/15:    

ブタイ祠(屏東県霧台郷霧台村)

サンティモン祠(屏東県三地門郷三地村)

マカザヤザヤ祠(屏東県瑪家郷瑪家村)

2012/9/16:

リキリキ祠(屏東県春日郷力里村)

スボン祠(屏東県春日郷士文村)

2012/9/17:

クスクス祠(屏東県牡丹郷高士村)

 

ブタイ祠(屏東県霧台郷霧台村) 

鎮座日:昭和8年12月4日、祭神:天照皇大神

 霧台郷は、屏東県東北部中央山脈に位置し、地勢は険しく平均海抜は1,000m以上の山岳地帯となっている。人口は3,000人余りと言われ、他の屏東県の原住民とは異なり、原住民の約98%がルカイ族である。屏東市から三地門に入り、達来村にある「山友服務站」で入山許可を得る。ここから曲がりくねった崖沿いの山道を1時間程度進む。途中、「八八水災」で寸断された道路の大規模修復工事が3箇所で今なお行われていた。

途中で神社情報を収集しつつ、伊拉そして神山という集落に辿り着く。運良く、「神山愛玉」という愛玉ゼリーの店でルカイ族の古老から、「霧台国小(小学校)そばの教会の下」との情報を得る。

 「理蕃の友(台湾総督府警察局理蕃課編集 昭和7年~18年)」に掲載されている内容では、ルカイ族男女の裸身像が神社のそばに飾られていたとのことであり、この像は丁度現在の霧台国小の入口辺りにあったとの聞き取り情報を得た。従って、神社の位置は、小学校そばの魯凱(ルカイ)文物館の上辺りで,霧台基督長老教会を含んだ一帯であると確認できた。

 

※ルカイ族:台東県、屏東県、高雄県に約12,000人が分布している。パイワン族と類似した貴族制度を有し、会所制度を有す父系社会

である。

※愛玉ゼリークワ科イチジク属のつる性植物。その果実から作られるゼリーのデザートをオーギョーチ(台湾語)という。実を水の中で

揉みだすと固まる性質を発見した人が愛娘「愛玉」にちなんでつけたものとされている。

 

 

 

霧台国小。この左側が魯凱文物館である

 

霧台基督長老教会

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