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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- マカザヤザヤ祠

2013-03-24 08:22:25 | 屏東県の原住民集落に建立された神社

3)マカザヤザヤ祠(屏東県瑪家郷瑪家村)

鎮座日:昭和10年頃? 祭神:不明

 

 マカザヤザヤとは、パイワン族語で「傾斜地の上方」の意味である。大正9年に地方制度改正により、高雄州屏東郡(後に潮州郡)に帰属することになった。 

 マカザヤザヤ社(瑪家)も「八八水災」の被害に遭った村であった。現在、マカザヤザヤ社は旧から完全に避難し、恒久住宅に新しい新天地を求めて住んでいる。現在、新たに命名された裡納里には、「八八水災」で居住地を離れざるを得なくなった霧台郷好茶村、三地門郷大社村および瑪家郷瑪家村の3村が区画を分けて暮らしている。この新居住地の中の瑪家村に瑪卡札亜(マカザヤザヤ)街があり、マカザヤザヤ社の頭目である徐春美(頭目世襲名:オロン)さん、78歳が住んでいることがわかった。 

オロンさんのご厚意によりマカザヤザヤ神社(祠)跡地に同行して頂いた。屏35線を進むと旧筏湾、桃花園、もう一つの道に分かれる分岐点に達する。神社の石段は、この分岐点から旧筏湾に向う道に約15メートル程度進んだ地点から山際に向って造られた。そして、桃花園に入る道路を僅かに越えて左折し、下記写真の突きあたりから多少右折した左側に檜造りの本殿があった。

注:日本統治時代、それまで山間部に分散していた原住民の集落化が推進され、その結果「マカザヤザヤ」、「マシリタ」、

「若葉」、「カサギザン」、「下パイワン」の5村落が形成され、警察駐在所が地方行政事務を受け持った。「下パイワン」とは、筏湾を指す。

 

筆者とオロンさん

 一番右側の桃花園方向に進む
 
神社(祠)は左手方向にあった
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