サンティモン祠(屏東県三地門三地村) 鎮座日:昭和8年、祭神:天照皇大神
三地門郷はパイワン語で「スティムル」と称されていたが、清朝時代の福建からの入植者により、同音の「山猪毛」或いは「山地門」と称されるようになった。これは、当時の本島人が原住民を山猪になぞらえ、彼らが出草(しゅそう、首狩りの意味)してくる所の意味であったという。昭和10年、日本政府は、パイワン族のティムル社、タバサン社、サララウ社の3社を現在の三地門地区に移住させ、碁盤状の集落を建設した。当時は高雄州屏東(へいとう)郡の管轄であり、「山地門」或いはカタカナで「サンテイモン」と称されていた。戦後は高雄県三地盟郷とされ、1947年に「三地郷と改称、1950年に屏東県に帰属した。1992年8月に「三地門郷」と改称されて現在に至っている。
当時のサンティモン社は、屏東市から最も近い(蕃社)でもあり、比較的理蕃政策の行き届いた所と言われた。昭和15年の皇記2600年記念イベントして橿原神宮よりの御神火が台湾の主だった神社に献納された。サンティモン神社は原住民の中で、唯一、御神火が阿緱神社より分火され、リレーにより運ばれた所でもあった。
昭和8年、献穀畑が、このサンティモン社に決定し、献穀が終わった記念としてその敷地にサンティモン神社(祠)が建立された。この様な例は他の地域でも見られた。神社は丁度、三地門郷公所の対面にある中山公園の場所に建立された。
この地にサンティモン祠が建立された
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