昭和7年(1932年)11月5日鎮座
祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王
現住所:台東県關山鎮徳高里新福段
この地域一帯は、アミ族のであり、日本統治時代は高班寮(とくこうはんりょ)社と呼ばれた。
今から約120年前高班(タコバン)に物知りの頭目がいた。原住民は頭目を神のごとく仰いだ。当時中国大陸から来た商人がを尋ねてきたところ言語不明のため蕃丁が頭目に尋ねてくれと答えた。アミ族語で頭目のことをカキタアンという。それで商人はカキタン社と思い込み、それが訛ってタコバンとなったという。
神社は東部山と中央山に挟まれた水田畑の真ん中に野菜畑としてわずかに場所を確保しているところに西向きに建立された。現在、神社の遺跡を示すものは何一つ残っていない。
なお、この場所は高里の里長である戴運連さんに案内して頂いた。
2005年9月撮
祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王
現住所:台東県關山鎮徳高里新福段
この地域一帯は、アミ族のであり、日本統治時代は高班寮(とくこうはんりょ)社と呼ばれた。
今から約120年前高班(タコバン)に物知りの頭目がいた。原住民は頭目を神のごとく仰いだ。当時中国大陸から来た商人がを尋ねてきたところ言語不明のため蕃丁が頭目に尋ねてくれと答えた。アミ族語で頭目のことをカキタアンという。それで商人はカキタン社と思い込み、それが訛ってタコバンとなったという。
神社は東部山と中央山に挟まれた水田畑の真ん中に野菜畑としてわずかに場所を確保しているところに西向きに建立された。現在、神社の遺跡を示すものは何一つ残っていない。
なお、この場所は高里の里長である戴運連さんに案内して頂いた。
2005年9月撮
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