台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

南菜園 北白川宮妃殿下の歌碑

2010-01-08 21:42:27 | 北白川宮能久親王

北白川宮妃殿下の歌碑

南福宮

台北市南昌路2段2巷と南昌路の交差点に南昌公園がある。日本統治時代、この辺一帯は兒玉町とも呼ばれ、南菜園と呼ばれた第4代台湾総督兒玉源太郎の別荘であった。既に当時の建物はないが、この公園傍にある南福宮に「南菜園石碑遺跡」と書かれた木札が掲げられ、その下に石碑がある。この石碑に書かれている歌は北白川宮妃殿下のものである。まともには誰のどのような歌かは全く判読できないが、以前、東京台湾の会の元会長であった故武田實様から頂いた情報で次の歌であることがわかった。
  國のためたてしいさをは
    あしびきの
  やまよりたかく
    おもほゆるかな
          富子
富子妃殿下は明治34年10月27の台湾神社鎮座祭の折と、大正15年10月27日に再度台湾を訪れ、翌日の28日に台湾神社を参拝している。此の時は官幣中社となった台南神社への参拝を10月30日に行い、記念のお手植えを行っている。
問題は上記歌が何時・何処で歌われたものかである。台湾神社鎮座祭の時の献詠詩歌(けんえいしいか)は下記のとおりである。

  このしまのあらむかきりはかかやかむ
    名もたかさこの神のみいつは
  (この島のあらむ限りは輝かむ
      名も高砂の神のみいづは)

そうなると大正15年に訪問した時の歌かもしれない。今後の調査対象として考えて行きたい。また、歌碑横に歌の内容を紹介するよう働きかけたい。

アクセス:捷運(MRT)古亭站で降りて徒歩数分
コメント (8)
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