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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台中州 (能高郡蕃社川中島社) 川中島社祠

2010-01-23 00:45:33 | 台中州

神社が建立された場所

神社の旧景

霧社事件で生き残った蜂起蕃と称された282人は当時の北港渓にある川中島(現在の仁愛郷互助村清流)に強制移住させられた。しかしながら、警察の厳しい監視の下での新天地の生活は慣れぬ土地と気候で苦難の生活を強いられた。更に、昭和6年(1931年)に埔里能高郡役所での「帰順式」と偽って埔里に連れて行かれた内の23人が霧社事件で抗日行動に加わったとして警察当局によって殺害された経緯がある。川中島社祠はそのような時代背景の場所に皇民化運動も益々盛んになる昭和12年(1937年)に川中島社()に建立された神社である。

川中島社祠は清流を通り過ぎ、互助小学校右側の小道を梅畑の方向に上がるとすぐに梅林に入る左の道がある。小道の突き当たりにお墓がある。この辺りに神社本殿があった。「抗日霧社事件をめぐる人々」の著者である相掦によると、この場所には光復後、高光清の提案により川中島社祠に代わって「余生記念碑」が建てられたとある。
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