北白川宮妃殿下の歌碑
南福宮
台北市南昌路2段2巷と南昌路の交差点に南昌公園がある。日本統治時代、この辺一帯は兒玉町とも呼ばれ、南菜園と呼ばれた第4代台湾総督兒玉源太郎の別荘であった。既に当時の建物はないが、この公園傍にある南福宮に「南菜園石碑遺跡」と書かれた木札が掲げられ、その下に石碑がある。この石碑に書かれている歌は北白川宮妃殿下のものである。まともには誰のどのような歌かは全く判読できないが、以前、東京台湾の会の元会長であった故武田實様から頂いた情報で次の歌であることがわかった。
國のためたてしいさをは
あしびきの
やまよりたかく
おもほゆるかな
富子
富子妃殿下は明治34年10月27の台湾神社鎮座祭の折と、大正15年10月27日に再度台湾を訪れ、翌日の28日に台湾神社を参拝している。此の時は官幣中社となった台南神社への参拝を10月30日に行い、記念のお手植えを行っている。
問題は上記歌が何時・何処で歌われたものかである。台湾神社鎮座祭の時の献詠詩歌(けんえいしいか)は下記のとおりである。
このしまのあらむかきりはかかやかむ
名もたかさこの神のみいつは
(この島のあらむ限りは輝かむ
名も高砂の神のみいづは)
そうなると大正15年に訪問した時の歌かもしれない。今後の調査対象として考えて行きたい。また、歌碑横に歌の内容を紹介するよう働きかけたい。
アクセス:捷運(MRT)古亭站で降りて徒歩数分
http://tw.myblog.yahoo.com/jw!VC00iUmLHwKalCCy98M4/article?mid=791&prev=804&next=783
Thank you very much for your information. I have checked his blog.
I was very much surprised with its contents. 非常感動
「あしびきの 山よりたかく」ではなくて、
「もりそにの 山よりたかく」であったことを、最近発見いたしました。
「もりそに」とは、「マウンテン モリソン」つまり玉山のことです。
「あしびきの」だろうと思ったのですが、間違いでした。すみません。(故武田実氏のご生前に連絡した者です)
ご連絡有難うござしました。確かにその後の調査で「もりそに」が正しいようです。東京台湾の会の現会長と連絡を取っているところですが、清朝時代の玉山は英国人のモリソンが高度を測定したことからモリソン山と呼ばれたようです。そうであれば「もりそに」ではなく「もりそん」にならなければならないのではないかと思われます。当時の台湾総督府での公文書には台湾最高の山「モリソン」を「新高山」と称することが明記されているようです。いずれにしても、歌の内容がそのまま活字で残っていればそれが正しいということになるのかと思います。
もう少しこの辺のことを調べたいと思っております。
近くに北白川宮の記念碑がありましたが、「なぜ基隆にあるのだろう?」と思いましたが、あれはただの記念碑だけ
でしょうか?それとも戦前は神社かなにかだったのでしょうか? 輪王寺宮から陸軍大将 台湾で亡くなられた人生はとても数奇な人生だと思います。
コメント有難うございました。
この記念碑については今週アップするブログで紹介する予定ですので、こちらを参照願います。
そこに私はいません 我不在那裡 眠ってなんかいません 我並不在睡
千の風に 我化成千陣的風 千の風になって 我化成為千陣的風
あの大きな空を 在天空上 吹き渡っています 吹不停
秋には光になって 秋天化成陽光 畑にふりそそぐ 照耀大地
冬はダイヤのように 冬天化成雪花 きらめく雪になる 像鑽石閃爍
朝は鳥になって 清晨化成小鳥 あなたを目覚めさせる 叫你起床
夜は星になって 夜晚化成小星星 あなたを見守る 在天上守住你
私のお墓の前で 在我的墓前 泣かないでください請不要哭泣
そこに私はいません我不在那裡 死んでなんかいません 我並沒有死
千の風に我化成為千陣的風 千の風になって 化成為千陣的風
あの大きな空を在天空上 吹き渡っています吹不停
千の風に 我化成為千陣的風 千の風になって 化成為千陣的風
あの大きな空を在天空上 吹き渡っています 吹不停
あの大きな空を 在天空上 吹き渡っています 吹不停