無理矢理創出された雇用の世話になる時点で人生敗北なのだと、昔からそう感じていた。絶対その世話にはならないつもりの連中が、ギリギリの報酬単価で制度設計している類の雇用機会なのだから。吉牛で2食がいくらで、、、などと積算しているのかもしれない。これでは文化的な生活をするなと言われているように感じる人もいるだろう。また、ちまたに存在する多くのサービス業にとって、そうした雇用者は顧客として想定外(相手にしていない)なのかもしれない。中国のいわゆるデパートが、富裕層しか相手にしていないのと同じように。
王様が国民を集めて大きな穴を掘らせ、穴が完成すると今度はそれを埋めさせましたとさ。雇用の創出って、今でもそんな話に聞こえてしまう。
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