きままな旅

きままな旅ときままな日記

2017/12/20今渡街道②(JR姫駅からJR美濃川合駅)

2017-12-21 | 尾張文化の会

2017/12/20今渡街道②(JR姫駅からJR美濃川合駅)
 今渡街道①(JR多治見駅からJR姫駅)に続いて終点の重蔵湊跡(野市場湊跡)まで、ここJR姫駅を9時40分出発した。
〇JR姫駅

 JR姫駅
〇三体の石仏
 千手観音、夜泣地蔵、馬頭観音である。近所のおばさんが子供の夜泣きを治すと言い伝えから、遠方から御参りに来ると話していました。

 左から千手観音、夜泣地蔵、馬頭観音
〇藤の棚
 山から湧き水があったので、街道を通る馬車悲喜が一服して馬に水をなませる休憩所であった。近所の奥様は、藤の棚は長く道を挟んで反対側の屋敷まで有ったと語っていました。
  
 藤の棚  湧き水
〇三明願主清久上人石碑

 石碑
〇岡田将監屋敷跡
 関ヶ原の戦いで東軍に属し、慶長6年(1601)美濃国可児郡のこの領地たまわり、寛永8年(1613)に美濃国奉行(幕府)を務めた。のちに揖斐への領地替えまでの間この地を陣屋としたと云う。
 
 標柱 
姫川で街道へ戻る途中に雪化粧の御嶽山
 
 姫川の看板の右に遠く観える御嶽山   ズームアップの御嶽山
〇定光山三明寺(さんみょうじ)臨済宗
 天正3年(1575)に玉軸によって創建したと伝える。本尊は木造薬師如来像(伝室町時代)で指定文化財という。
 
 石標  本堂

 案内板
〇姫下切窯跡
 連房式登窯であり、初代美濃国奉行岡田将監時代の御用窯と思われる。生産器は皿、碗で昭和59年(1984)に姫下切古窯跡出土品を可児市の指定文化財にされた。
 
 古窯跡 案内板

 破片
〇田白橋(でんぱく)

 田白橋
〇鳥屋場の常夜燈
 文化元年子と刻印(1804)がある。
 
 祠 常夜燈

 公民館横の新四国第41番札所の石標
〇馬頭観音

 馬頭観音(三面八臂)
〇馬頭観音 天明八戌の刻印(1788)がある。

 チョット目じりがつりあがった馬頭観音(三面六臂)
〇道標「右 木曽川渡船場太田町 犬山町」
 
 道標(私は思う、よく残った感謝の道標)
〇道標「右 廣見村伊香 左 伏見」
 
 道標
〇道標「右 今渡 太田渡 左 土田」

 道標
〇徳野陣屋跡
 慶長9年(1604)に平岡石見守頼勝が築いた屋敷が始まりで、のち美濃郡代岡田善政がこの屋敷に陣屋を置いた。
 
 案内板 案内板の後方
〇金剛山龍洞寺(りゅうどうじ)臨済宗
 慶長14年(1609)の創建という。本尊は観世音菩薩である。
  
 石標 山門

 本堂
〇冨士浅間神社
 創建は宝暦5年(1775)といわれるが詳細は不明である、主祭神は木花咲夜姫神という。
 境内に天保7年(1836)の石灯籠がある。
 
 神殿 石灯籠
〇太田橋
 太田橋の直ぐ下流には中山道の三大難所の一つにうたわれた「太田の渡し」付近であり、明治の後半はワイヤーを用いた岡田式渡船となり昭和に入り太田橋が架けられその役目を終えた。
 また、木曽街道(上街道)の終点はこの地といわれ、名古屋城東大手門から小牧、犬山を通り中山道へと続くといわれています。
 
 橋と新しい灯籠  案内板
〇重蔵湊跡(野市場湊跡)
 この湊は大難所の一つで「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と歌われた木曽川の渡し場である。現在は水面までは高低さがあり湊の雰囲気は全然みられない。
(写真なし)

  重蔵湊跡(野市場湊跡)らしき場所

 もう一つの徳蔵湊はこの下かな
〇今渡神社
 重蔵湊の積荷場所だったと云われる。
 
 鳥居 神殿
〇JR美濃川合駅
 単線で上下兼用のプラットホームです。
 
 看板  美濃太田行きの列車
  帰路は日本ライン今渡駅からの予定をしていました、しかし新可児駅でJR可児駅への乗り換えするより、JR美濃川合駅かた多治見駅へは乗り換えなしのルートを選んだ。美濃川合駅を乗ったのが15時40分発の多治見行きに乗って家路についた。
 前回の「今渡街道①」に続き、今回も多治見市史窯業史料編を読む会発行の本「今渡街道」を片手にグループで散策しました。
  以上

コメント    この記事についてブログを書く
« 2017/12/06今渡街道①(JR多... | トップ | 2017/12/26 鈴鹿市駅近辺を散... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

尾張文化の会」カテゴリの最新記事