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鈴木靖民 『倭国史の展開と東アジア』 2012年 岩波書店 その1ー4

2016年07月16日 | 初期国家・古代遊記

             ▲ 鈴木靖民 『倭国史の展開と東アジア』 2012年 岩波書店 

 

鈴木靖民 『倭国史の展開と東アジア』 2012年 岩波書店 その1ー4

 

 

それでは、前日のつづき

 

互酬性や、再分配に関して、日本古代史などにある関連すると思われる事例を鈴木靖民は列挙している。

これらが、首長制に関わる、また初期国家理論に役立つものなのかは、後で考えるとして、まず、彼が列記するものを掲げてみる。

互酬性についての事例

西郷信綱  市と歌垣の結びつきを考え、そこに互酬性の存在を認めようとした。  「市と歌垣」 『文学』48-4 (『古代の声』 朝日新聞社 、1985年に収録

吉村武彦  古代の売買には買い戻し条件が付随 「賃租制再検討の視角」 『日本古代の社会と経済』 上、吉川弘文館、1978年

『日本霊異記  中巻第32 死後まで負債の不払いの罪を問われると記す出挙も答礼を絶対条件とする均衡的互酬が本源的なもの

保立道久  荘園内の贈与や給養・客人歓待についての論 「荘園制身分配置とと社会史研究の課題」『歴史評論』 380 1980年

笠松宏至  徳政令のなかに互酬性的要素があることを指摘  『徳政令』 岩波新書 1983年

早川庄八  古代において国司ら客人(マロウド)に対する在地社会の供給(タテマツリモノ)が一般的に存在したことを析出 『中世に生きる律令』 1986年 平凡社

宝月圭吾  中世の荘園社会では三日厨と称する検注使などに対する饗応  「高山寺方便院領小木曽庄について」『高山寺典籍文書の研究』 1980年 東京大学出版会

大日方克巳  八世紀、奈良時代頃の郡の国司や往来人に対する供給機能に関して、それが共同体的諸関係の外来者に対する迎送・歓待の慣行をもととして地方首長層を媒介に成立、政治的従属・奉仕をも象徴すること (律令国家の交通制度の構造」 『日本史研究』 269、1987年

贈与における共食を行うことで、他者(客人、国司などの貴賓)を自己の集団に取り込み、答礼としての自己集団にべ便宜を計ることを期待

林正次   平安時代に宮中もしくは大臣家で行われた大饗に注目、大饗には二宮大饗と大臣大饗にがある。その次第は拝礼、宴座、穏座、の三部からなり、宴座では舞楽奏舞や盃事があったのち穏座が開かれ、大臣などから参列者への賜禄が行われる。 「大臣大饗」 『饗宴の研究 儀礼篇』 桜楓社 1987年

これらを、鈴木靖民は大臣家に対する贈答も官職・位階を得るための行為であり、互酬の一環であると考えられるとする。

『令集解』の冒頭 官位令の注釈には「凡臣事君、尽忠積功、然後得爵位」 云々と臣下の君主に対する奉仕、それに対する君主からの叙位という認識が示されている。

「臣下の天皇への奉仕とそれに対する叙爵の関係は互酬的行為にほjかならない」とするのである。

そうなるとなんでも互酬になってしまうと私は懸念してしまうのだが、鈴木靖民は「えい」とばかりにどんどんすすむ。

今泉隆雄 七ー九世紀の蝦夷の朝貢と饗給を一体的に捉え、それが政治的な下位者の上位への貢進と上位者から下位者への贈与を通して両者の関係が確認されること。すなわち物の交換により人間関係ふぁが形成・維持さtれる贈与の交換つまり互酬にあたるとのべている。 「蝦夷の朝貢と饗給」 『東北古代史の研究』 吉川弘文館、1986年

七ー八世紀の南島人の来朝にともなう儀礼も互酬にあたるという。

鈴木靖民  「南島人の来朝をめぐる基礎的考察」 『東アジアと日本』 歴史編、吉川弘文館 1987年

平野卓治  「諸番」である新羅・渤海からの使節に対する迎接儀礼である「賓礼」においても同様なことがみられる。新羅・渤海の使節は来日して入京後、およそ朝賀参列・拝朝 → 貢物献上 → 饗宴 → 賜物 →授位 → 帰国という順序の行動パターンをとる。 (「律令位階制と『諸蕃』」 『日本古代の政治と制度』 続群書類従完成会、1987年

「この日本古代国家と新羅・渤海の使節との関係は一般化された互酬性に属することは疑いない。」 と鈴木はいう。

酒寄雅志  『内裏式』所載の「蕃客」(渤海使節)が参列する儀式、とくに七日会式の次第は外国使節への互酬行為の具体相を伝えるもの。 「渤海通事の研究」 『栃木史学』 二、1988年

以上は鈴木靖民が互酬性と捉える日本の事例である。

次は、再分配 について

首長・・・・・・・・・・・恩恵・・・・再分配  首長は集積された物質を祭礼(主に儀礼的大宴会が多い)、戦争、飢餓などに恩恵として示すため使用。搾取としての外被をもっていない、共同備蓄性格を持つ。

首長が神聖性を帯びた段階では、神から授かった収穫を神に返すという意味の要素をもつ。神と共同体成員との媒介者となる。

初穂は神聖性を有した翌年の種籾として使用される。この恩恵は、首長のもつ義務でもある。

首長の権威

この再分配にどれだけ供出できるか、

より多くふるまえるかにかかっている。

初源的首長や小首長は名声を保つ「ため、普段は財を持たないことすらある。


共同体成員・・・・・義務・・・・貢納  労働

首長は集会場や、首長下の寺院の造立、奢侈品の製作にも共同体成員の労働力を使い、聖的な存在となり、

成員は、首長に畏敬の念をもち、権威を承認するようになる。

 

しかし、首長が共同体の代表としての役割を逸脱しない限りでのことであり、首長が過分な収奪をはじめると、共同体成員や小首長の反乱を招くことにもなるのである。

支配制度としての首長制の限界 ・・・・・・首長制が親族関係に規制されるという側面

この限界の克服は、国家の成立による統一税制の創出により図られる。

日本の首長制

倭王の経済的基盤は地域の首長を媒介として設定された屯倉や名代あるいは子代によっており、貢納から本格的な収奪への転化は律令制を待たなければならない。


鈴木靖民は、この論文では律令期に至って、古代国家の成立と考えているようだ。これまでの古代文献史の年代観とそれほど相違はないのだが。ちょっと拍子抜けする終わり方だった。最も別論文もあるので、それを読んでから、鈴木靖民へのコメントを書いてみよう。

では、鈴木靖民にとって、首長制を考えるとはどういうことになるのだろうか?

もちろん私にとっても。


つづく



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