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マチョ・イネ(西江雅之)さんの本 1-1

2015年12月05日 | 西江雅之さんの本

                           ▲西江雅之の共著・著作

 

マチョ・イネ=西江雅之さんの本 1-1

 

左端から右端の方へ

1 『レヴィ=ストロースの世界』 1968年6月 みすず書房 定価当時500円

  レヴィ=ストロースの「料理の三角形」を西江雅之が訳している。フランスの季刊雑誌『アルク』誌、26号、1967年の全訳のうち、レヴィ=ストロースの論文を西江雅之が担当。この本と、『レ・タン・モデルヌ』(現代)誌1966年11月特集の翻訳である『構造主義とは何か』みすず書房などが、日本での構造主義の関心に火をつけた。『中央公論』も1968年から1971年頃、構造主義や、言語論の特集を行っている。

 

▲ 『レヴィ=ストロースの世界』 

▼ 『レヴィ=ストロースの世界』 目次

 

▼『近代言語学大系』 2

▲『近代言語学大系』 2

2 『近代言語学大系』全4巻 原著1968年刊 日本語訳 1972年 紀伊国屋書店 定価当時2000円

第2巻「世界の言語」のうち、P.アレクサンドル「バントゥー語とその領域」の翻訳を西江雅之が担当している。

アフリカ大陸の言語の研究については、この章の著者が「アフリカ言語学会」は1965年に設立されたと書いている。この本がフランスで出版されたのは1968年、アフリカ言語系統の研究は、その多くが無文字社会だったこともあって、研究の年月も浅く、アフリカ諸語の研究は端緒についたばかりなのかもしれない。アフリカ諸語の言語研究では、西江雅之が1971年、簡潔な『スワヒリ語辞典』を出版しているのでアフリカ関係部分の翻訳を依頼されたのだろうか。大修館の『月刊言語』誌や、『現代思想』誌でも言語学関係の連載を担当していた時期もあるので、アフリカ言語研究についてどのような感想をもっていたのか後で調べてみたい。

 

▲『近代言語学大系』 2 目次

 

言語学専門領域の西江雅之さんの業績については、門外漢なので、それも、大修館の『言語』や青土社の『現代思想』などの雑誌などで書いていた西江さんの論考が我が家で行方不明で探索中、この件については、精査した上で、いつかコメントしたい。山口昌男さんと一緒に編集していた、大修館で刊行していた『月刊言語』のアフリカ特集の別冊もあったはず。

今年6月、突然、西江さんの6月の訃報記事を読んで、急遽我が家の机まわりの手元で見つかった西江さんが書いた文章をもとに、「マチョ・イネ(西江雅之)さん さよなら」をブログで記事にしたのだが、普段読者はほとんどいない私のブログにしては反応があったのである。

いつかきちんと、西江さんの「旅日記・紀行文」を読み返し、大学での受講の喜びの感謝を書いてみたいと思っていたのだ。

今年11月の終わり頃、偶然早起きして、テレビのスイッチを押すと、どこかで、聞いた声と、黒メガネの姿が、現れた。思わず、「マチョ・イネさんだ」、と声をあげてしまった。

NHKの放送の『この人に会いたい』という番組だったのである。

西江さんの本をもう一度読み返したいなとその時思ったのだが、なぜかその日、私のブログの記事別アクセスで、一番多かったのが「マチョ・イネ(西江雅之)さん さよなら」 だったのだ。

ここ▼2015年6月19日当ブログ記事

マチョ・イネ(西江雅之)さん  さよなら

NHKの放送の朝番組の『この人に会いたい』を見て、西江雅之さんについて、もっと知りたいと思った人や、西江雅之の本を読みたいと思い、インターネットで検索をかけたひとが、少なからずいたようだ。

そうなると、私がブログで、うっかり人違い記事を掲載していたのではないかと心配になったことがあったのだ。

6月19日のブログ記事で、『牧神』マイナス2号の中の、「ガルシア・ロルカ」のことを書いていたのは、、「マチョ・イネ(西江雅之)」さんじゃないかと書いたのだが、もうひとりの、スペイン・ラテン・アメリカ文学研究家に同姓同名の「西江雅之」さんがいないとも限らない。

我が耄碌ブログで、嘘ばかり書いていると言われても困るので(そうでなくても私の記事には陰謀論の類の記事も多いので)、西江さんは、ガルシア・ロルカについて書いていないか探してみることに。

 

▼『花のある遠景』 1975年 せりか書房

 

3 『花のある遠景』 1975年 せりか書房 定価当時1300円

▼『花のある遠景』 目次

▲ 目次

▼『花のある遠景』 「わが家」 からの一部

 

 ▲ 『花のある遠景』 「わが家」 からの一部 から

西江雅之が、アフリカに滞在しているとき、イギリス人の家を一時借家していたのだが。スワヒリ語の民話をアフリカ人のモセスに聞かせた面白い話。

「なぜ猫は女の膝で眠ることになったのか」 ・・・・・・・・・

そうなのか。アフリカの民話もなかなかのものだね。

 

つづく

12月は断続的にマチョ・イネ=西江雅之さんの本の話が続きます。

単行本にはなっていないが、西江さんは、ガルシア・ロルカの詩を『共和国』という3号で終わったらしい同人誌で訳していたようだ。いつか、西江さんの著作集が編まれたとき、収録されるのだろうか。最初『牧神』に、西江雅之名の「ガルシア・ロルカ」論が載ったのを発見した時、文化人類学者のマチョ・イネさんだと思ったのだが、その確信は当たっていたようで、西江雅之さんはリルケのような「五感の交差点のような生を」生涯歩んでいたのだなとしきりに思う。

ロルカについて、西江さんは『異郷日記』 2008年 青土社 の中で書いていた。

西江さんの旅日記や、描写された景色は、表現や構成が、微細で的確。簡単なように見えるが、登場人物との関係・近さ・距離が絶妙で、やはり詩人がつくった本という趣がある。ひとつひとつの細部に「永遠の現在」を感じさせる。知り合った友人との別れが淋しいけれど、二度と戻ってこない永遠のいとしい今が刻み込まれている。西江さんが憑かれたように旅したのはなぜなのか、解けてきたように感じる。

 

 

          ▲次回は『異郷の景色』 晶文社 1979年 から

 

 

 

 

 

 



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