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マチョ・イネ(西江雅之)さんの本 1-3

2016年03月20日 | 西江雅之さんの本

                        ▲マチョ・イネ(西江雅之)さんが寄稿していた『共和国』 1969年5月 合同出版 当時定価650円

 

西江雅之さんが寄稿していた幻の雑誌 『共和国』 1969-1970 

 

西江雅之さんの訃報記事が出たとき、急ぎ、手元にあった本や冊子だけで、私なりの西江さんへの追悼記事を書いていたのだが、かつて『牧神』というリトル・マガジンがあって、そこに、西江雅之さんという名の人が、ガルシア・ロルカの詩について、エッセーを寄せていた。

ロルカについて、寺山修司や、高橋睦郎らが書いているのだが一緒に西江雅之という名前があったのである。

先のブログでも書いたのだが、人類学や、構造主義の翻訳に関わっていた西江雅之さんとは同姓同名の別人かもしれない。ラテンアメリカ文学の研究者が別にいるのかもかもしれないということで、さほどその雑誌の出た1970年代中頃当時は、西江さんとロルカとの関係がよくわからなかったのである。

そのまま、長い月日が経ち、たまに西江さんの旅日記などが出版されると、おもしろそうな記事を見つけて買い求めていたという、かなり不熱心なファンだったのである。それでもどうしても西江さんの本が読みたいと思う時があるのだ。簡素なだれもが日常使っていることばで書かれているのに西江さんの文体には詩情を感じさせる力があるなと思っていたのだ。

西江雅之さんの訃報に接して、我が家では西江コーナーという棚はなく、(一棚を占領するほど彼の本は読んでいなかったからだが)あちこちに埋もれていた西江さんの本や、寄稿していた雑誌を探し出して、めくっては拾い読みしていたのだ。

すると、例の『牧神』のロルカ特集号が出てきたので、再再読する。

その中で西江さんは、1969年頃刊行していた『共和国』という短命に終わった雑誌に、ロルカの詩を翻訳していたというくだりがあった。

ロルカは、確かフランコ・ファシズム政権に対抗する人民戦線側に立って、「共和国」をめざす、戦線の中にいて、フランコ政権により虐殺されていた詩人だった。

ロルカは芸術家仲間の中いたある人物などからの秘密情報により、捕まったと言われているのだが、これはこれで、いつか調べてみたと思っているのだが・・・・・

日本の1960年代末には、詩人の長谷川四郎も、ロルカの詩の翻訳しているので、1930年代のスペインのアナーキーな状況に重ね合わせた、「共和国」創成の熱気のようなものがあったのかもしれない。そして、ロルカがそのカオスにエネルギーを与えていた!?

ロルカとロルカの周辺、そしてスペインという欧州の異端児的歴史的風土そんなイメージもあって、

私はようやく、つつましい生活だが、自由な時間が出来た今振り返ると、学生時代のはじめ頃、なにもかもが新鮮で、手当たり次第に本を読み始め、ロルカの詩にも出会い読み始めていた時代に遡り、40年ぶりに読みたい衝動にかられ、また、西江雅之さんがなぜ1960年代末のあの時代にロルカの詩の翻訳を思い立って取り組んでいたのか考えてみたいとしきりに思うようになってきたのだ。

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いずれ、西江雅之さんの遺稿の中に、ロルカの詩の翻訳がみつかるだろうし、西江さんのことだから、ロルカの辿った跡を訪ねていたに違いない。

彼が撮り歩いたフィルムを探すと、ロルカゆかりの写真も見つかるのではないだろうか。

思うに、西江さんの晩年、写真とエッセイを併せた素晴らしい本が出ているようなのだが、いつか、これから、未紹介だった西江雅之訳のロルカとロルカ散歩・界隈の本が出るのではないかと期待しているのだ。

『共和国』という雑誌は、西江さんが書いた『牧神』の記述に従うと、3号雑誌で終わったと書いていたと思う。

長い間気になって探していた合同出版の『共和国』3号を入手してみたところ、編集後記の頁には、『共和国』4号の次号予告が出ている。

4号次号予告目次の中に 「詩 ロルカ  西方由紀訳」 とあった。西方由紀とは西江雅之さんのペンネームなのだろう。か

西江さんの言葉に従えば、『共和国』 4号は、刊行予告はあり、各自の原稿は集まったものの、幻の4号に終わってしまった雑誌だったのだろうか。西江さんは『共和国』4号に掲載する分のロルカの詩は訳されて原稿があったのじゃないだろうか。あるいは、合同出版社にあるのだろうか。                                   

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つい最近までは、東京・神田の田村書店にスペイン語原書の1冊本の『ガルシア・ロルカ全集』が販売されていた。5000円を越える価格だったので、いつも私は日本の古本屋の買い物籠に放り込んでは、その都度、今月の購入予算を超過してしまい、やむなく、買い物籠からおろすことが続いていた。

しかしある日、今日こそはと意を決して、田村書店に『ガルシア・ロルカ全集』の購入を申し込んだのだったが・・・・・・

田村書店より、メールが届き、すで購入者がいて、ホームページ削除前の状態で残骸が残されていただけだったと・・・・

取り逃がした魚ほど、大きいものはない。

これで、地下水のように流れていた私の中の「ガルシア・ロルカ知りたい」モードが一気に湧き水となって噴き出してしまった。

 

▲『共和国』1号 1969年5月19日発行 

岸内閣が、国会強行突破で安保条約延長を謀った日から9年目の日付が、『共和国』1号の発行日なんだね

日本国民が、あの日、怒りを持って心に刻んだ日付 1960年5月19日

1969年5月19日、『共和国』1号に寄せる編集同人の刊行意志が読み取れるようだ。

西江雅之さんは、すでに1969年には人類学者としての活動は開始していて、私は、『構造主義の世界』や、みすず書房から出ていた人類学の文献で、西江さんの仕事を知ったのだが、西江さんのその後の活躍とは別な側面、西江雅之さんも、1960年代の状況を生きていた地層もあることがわかったのである。

 

 

 ▲『共和国』1号目次1

 

 

 ▲ 『共和国』1号目次2

▲『共和国』2号  1969年9月25日 合同出版 当時定価580円 280頁

 ▲ 『共和国』2号 目次1

 

 ▲『共和国』2号 目次2

 

▲ 『共和国』3号  1970年6月19日発行 合同出版社 当時定価定価650円 280頁

 

 ▲ 『共和国』3号  目次

 

「詩 死の踊   ロルカ  西方由紀 訳」 とあるのが、西江雅之さんだったようだ。

『共和国』に掲載されている論文でも、民族誌や、文化人類学的記述では本名の西江雅之で書いているのだ。

詩の訳者名について、ペンネームを使った事情は、よくわからない。

私が1970年代中頃、大学で西江さんの文化人類学講義を聴講していた記憶では、西江雅之さんは、ちょっとはにかみ屋で、すこしどもりがちな、ナイーブな姿をみたことがあるのだ。詩の翻訳を本名でやるのは1960年代後半、あの「激闘の時代」 少し恥ずかしかったのだろうか。

どちらにしても、西江雅之さんが『牧神』という雑誌のロルカ特集記事で、『共和国』にロルカの詩を訳していたことがあったと書き残してくれなかったら、私はずーっと西江雅之さんの隠された側面に接することなく、また、西方由紀というスペイン文学研究家がいたと信じていたに違いない。

 

 ▲『共和国』3号後記に記されていた、『共和国』4号の内容目次 

この『共和国』4号は発刊されず、幻の号に終わったようだ。

確かに、ここにも、西方由紀 訳 のロルカの詩が予告されていた。

 

私の前日のブログで、『戦後日本スタディーズ』3冊の紹介をしたのだが、その2巻目に、1960・1970年代の記述のキーワードに、「コミューン」ということばが掲げられていた。

2巻目に今防人が「コミューンはどこへ行ったのか?」を書いている。

通常の戦後日本史の記述では、せいぜいコラムで、ヒッピーや、若者の新宗教指向、共同体指向の一群が、歩きながら立ち去っていく通行人の記述のごとく触れているだけなのだが。

さすがに、戦後世代が、自らの世代で関わった1960年代後半から70年代前半の社会現象の考察に、「コミューン」に対する自省・考察をはずせないとみたのだろう。

このコミューンに対するスタンス・対峙の仕方、ことばの意味内容の理解の仕方は、先行する60年安保左翼世代でも、後行するバブル期80年世代にもないものかもしれない。

『共和国』ということばも、この時期に特有の意味を付与され使用された経緯があるように思う。日本社会に存在しているものの歴史的経緯の全てををもう一度検証し直して、これからの社会構想の方法モデルを提示しようという深層意志が・・・・・・・

 ▲ 『共和国』 創刊1号の巻頭に掲載された刊行のことば

この同人誌的雑誌は、創刊号に寄稿した面々に回覧され、討議されて掲載されたのかはわからないのだが、西江雅之さんも、この文章は目にしていたことだろうと思う。

西江雅之さんにとって、あるいはロルカにとって、共同体・コンミューン・国家とは何だったのだろうか。

西江雅之さんが亡くなった今、西江さんにとって、ロルカとの対話は何だったのですかと問うことはできないのだが。

40年の年月を隔てて、わたしがロルカを読むことを通しながら、共同体・コンミューン・国家とは何なのか問うことはできる。

1960年代末、この上の『共和国』宣言文にあるとおり、心ある青年たちは、生硬だが、激しく・懸命にさ迷っていた。のではないだろうか。

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安倍一族(岸信介・安倍晋三)を長らく放置してきた国民の政治力量は、この国が、米国の属国の果てに、今や属国どころか、それ以下の、米国の属領になることの全面同意したというメッセージすら読み取れぬほど、奴隷化しているのだろうか。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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